
首都圏から真鶴に至るルートは主に2つ。相模湾沿いに国道135 号または有料道路の真鶴道路・岩IC から。もうひとつは林道白銀(しろがね)線により山から海へと下っていくルートだ。
小田原と湯河原にはさまれた真鶴町(まなづるまち)。真鶴半島から箱根火山へと至る同町は、箱根ジオパークに構成されるなど起伏に富み、狭いながらも探索しがいのあるフィールドだ。その魅力について様々な視点でレポートする
●文:田中淳磨(モトツーリング編集部) ●BRAND POST提供:BMW Motorrad
真鶴はまさに首都圏の穴場、小さくも美しいフィールド
首都圏のライダーに真鶴(まなづる)について聞けば「有料道路の…」と答える方が多い。小田原厚木道路から箱根や東伊豆に向かう際に通る真鶴道路(二輪150円)はとても便利だが、その終点は隣の湯河原。つまり真鶴半島はまるっとスルーされてしまう。なので、湯河原や東伊豆にはよく行くが真鶴には行ったことがないという声をよく聞く。実際、半島内を走るバイクに目をやっても県内ナンバーがほとんどだ。
真鶴半島と真鶴町
相模湾に突き出た真鶴半島は約138ha の広さしかなく、付け根にある真鶴駅を起・終点にした場合、一周は約20分ほど。町は県唯一の過疎地域に指定されている。
まさに穴場。と言えば魅力的だが、首都圏において有料道路のストロー現象をここまではっきり体感できる町もそうない。真鶴は神奈川県内で唯一、過疎地域に指定されているが、独自の「美の基準デザインコード」により景観の維持に積極的で、寂れている田舎の漁師町といった雰囲気はない。メインエリアとなる真鶴半島のほか、箱根火山の険しい傾斜地へと続く街並みは“東洋のリビエラ”とも称されてきた。
ただしツーリングするのにどう楽しもうかと考えれば、なかなかに難しい。この小さく狭いフィールドのなか、山の頂上から岬の突端まで垂直的に探訪してみよう。
『道』〜海抜0 m から6 0 0 m狭く急な坂道をのぼり視野を垂直に拡げる
絶景の星ヶ山から真鶴岬まで!箱根火山の溶岩台地を駆け巡る
真鶴は確かに小さいが、フィールドには驚くほどの変化がある。半島を一周できる県道739号線からしてそうだ。真鶴駅前から商店街と港を抜け、風光明媚な琴ヶ浜で相模湾の絶景が開けたと思ったら、あっという間に勾配がきつくなってうねり出す。
琴ヶ浜と県道739 号線
県道739 号線沿いに位置し、日本のダイビング発祥の地とされている琴ヶ浜海岸。海岸には遊歩道が整備され、釣りや磯遊びを楽しむ行楽客で賑わっていた。夏の夜には夜光虫も見られるそうだ。
あれよあれよと周囲の環境は海から森に様変わりして、かつて御料林だったお林(はやし)の奥深くへと導かれる。分岐を左に曲がれば、その先は真鶴岬へと向かう一方通行路。このような道もまた珍しい。
変化に富んだ沿岸道路と急こう配で絶景の星ヶ山
クスノキやスダジイといった巨木をよけるように敷かれた1・5車線ほどの舗装路を行くと、森の中に駐車場が点在し、そこから多くの観光客が遊歩道を歩いてハイキングを楽しんでいる。県道に合流すると今度は眼下に相模湾を望みながらの走行となり、真鶴半島の起伏の激しさを実感できる。
駅前に戻って東海道本線をくぐり眼前にそびえる星ヶ山へと上っていけば、傾斜はさらに激しさを増して路面はコンクリート舗装となる。人影もまばらな坂道からは至るところで真鶴半島を見下ろせるが、観光客向けの展望台などは一切なく、ただ箱根火山の溶岩台地に忠実かつ縦横無尽に坂道が延びている。水平距離で言ったら2kmほどしかないが、頑張って上ったと感じられる道だ。星ヶ山の稜線走行は爽快で心地よく、所々の絶景は真鶴のポテンシャルの高さを感じられるものだった。
星ヶ山の周辺は狭路が多いが眼下には絶景が広がっている
真鶴半島を見下ろす星ヶ山の周辺には絶景ロードが数多く存在する。急坂だらけの成せる技で、そのほとんどが生活道路だが現在も整備が続いている。数年後は話題のスポットになっている可能性も。
『歴史』〜1 1 8 0 年、石橋山の戦いで敗戦…頼朝一行は箱根の山中を逃走し真鶴半島から安房国に落ち延びた
源平の薫りが今も息づく真鶴の街
頼朝が房総へと船出した岩海岸
1180 年、石橋山の戦いで大庭景親ら平家がた3,000 に敗れた源頼朝がた300は散り散りとなって箱根山中を逃走。隠れ家を移動しつつ岩海岸から鮫漁用の漁船に分乗して房総半島・安房国に落ち延びた。この際、真鶴の農夫らが頼朝の逃走を命がけで手助けし、鎌倉幕府成立後には岩村の領民に対して、租税を免除する、土地を安堵するといった特権が与えられている。
真鶴の歴史といえば、まずもって1180年に石橋山の戦いに敗れた源頼朝の逸話が挙げられる。平安時代の末期、頼朝の父、義朝は平治の乱(1159年)で平氏一門に敗れて殺され、その三男である頼朝は伊豆国(伊豆半島北部)に流罪となった。20年後、伊豆の豪族だった北条時政らと挙兵、手始めに平家がたの山木兼隆の館を襲撃し源氏の再興に動き出した。その後、湯河原・真鶴の領主だった土肥実平(どい さねひら)ら源氏に与する勢力も合流し、緒戦勝利の勢いでのぞんだ石橋山の戦いだったが、援軍の三浦氏が増水で酒匂川を渡れないなど不運もあり、10倍の敵にかなわず敗退した。
ここから頼朝一行らの逃走が始まり、戦場となった小田原市石橋の南西に位置する真鶴、湯河原、箱根といった土地には一行が逃走途中に残したエピソードや痕跡が現在も転々と残されている。中でも真鶴には逸話が多く、逃走の果てに再起をかけて安房国(現在の千葉県南部)へと頼朝一行が船出した浜の岩海岸、一行がしばらく身を潜めていた海食洞の「しとどの窟」などがよく知られている。
逃走中の頼朝を助けた真鶴の町民に伝わる恩義
真鶴は土肥実平の所領だったこともあり、領民が逃走中の頼朝一行をよく手助けし、頼朝もその厚情に報いている。例えば、一行がしとどの窟に潜伏していた際、アオキの木(日本各地に自生する常緑低木)で海食洞の入口をカモフラージュした村人たちには「青木」姓を与えた。また、見張り役を買って出た村人には「御守(おんもり)」の姓を、食事を運んでくれた村人には「五味(ごみ)」の姓を与え、彼らは“真鶴の三名字”として引き継がれ、現在も真鶴にはこれらの名字も持つ町民が多く、う珍しい事態が起こっている。しかも、そのうち同姓同名の青木透さんが2名立候補していたとして当時はかなりの話題になった。
小道地蔵堂寺屋敷跡
星ヶ山の頂上付近に位置し、逃走中の頼朝一行が床下にかくまわれた小道地蔵堂の跡。一行をかくまい、平家がた大庭景親の厳しい拷問にあっても口を割らなかった僧、純海の像も立つ。
頼朝公の生死のみならず、鎌倉幕府成立の分岐点ともなった真鶴領民の人助けは現在も脈々とこの地に伝えられている。2001年の町議会議員選挙には青木さんが6人も立候補するという珍しい事態が起こっている。しかも、そのうち同姓同名の青木透さんが2名立候補していたとして当時はかなりの話題になった。
頼朝腰掛石
しとどの窟付近にあった巨石で、逃走中の頼朝がこの上で休んだと伝わる。現在は貴船神社の境内に移築されているが、なぜか石が立てられている。見えている前面が本来は石の上面だ。
頼朝公の生死のみならず、鎌倉幕府成立の分岐点ともなった真鶴領民の人助けは現在も脈々とこの地に伝えられている。
『文化』〜漂着神を起源とするキノミヤ信仰が残る地貴船まつりは日本三船祭
平安時代に木像が漂着し貴宮大明神と称して祀った
伊豆半島東部に多いキノミヤ信仰が真鶴にも見られるという点は興味深い。キノミヤ信仰は民間信仰のひとつで、鎮座地が海岸部に位置し、漂着物をご神体として祀るケースが多い。ここ真鶴の貴船神社もまさにそれだ。
真鶴 貴船神社
889年、三ツ石の沖で木像12 体や書状が発見され、貴宮(きのみや)大明神と称して社殿を建てて村の鎮守とした。ご祭神は大国主大神、事代主大神、少彦名大神で、国指定重要無形文化財に指定される「貴船(きぶね)まつり」が知られている。
本殿は関東大震災後の復興で小高い丘に移され、当時としては珍しく鉄筋で建立された。大石段は煩悩の数と同じ108段あり、真鶴特産の小松石の中でも最上の“青”が使われている。
平安時代の889年、笠島(現在の三ツ石)沖に夜ごと不思議な光が現れるので、平井の翁という人が舟を出したところ楼船が近づいてきた。船内を調べると木像12体と「この神を祀れば村が発展する」と書かれた書状が見つかった。その夜、翁の夢に大国主命(おおくにぬしのみこと)が現れたことから村人と社を建てて鎮守の神として祀ったのが貴船神社の起源。そして江戸時代までは貴宮(きのみや)大明神と呼ばれていたが、明治新政府の神仏分離政策(国家神道の確立)や神社制度整備のなかで京都の貴船神社との関係が重視されて社号改正に至ったという。
出雲大社の祭神である大国主命、その息子でえびす様の起源ともされる事代主命(ことしろぬしのみこと)、大国主命と国造りをした少彦名命(すくなひこのみこと)の3柱は、海洋文化の真鶴への伝承を伝えているのかもしれない。
『ジオ』〜15万年前の溶岩は砕石産業の基盤となりお林は海の恵みに
溶岩台地が半島をつくり主要な採石産業を育んだ
三ツ石に築かれた石垣は、かの“エロ爆弾”で知られる陸軍のイ号1型乙型無線誘導弾(空対艦ミサイル)の標的とも伝わるが… 事実は定かではない。
真鶴半島がどのようにできたのかには議論の余地があるらしい。約23万年前から15万年前の箱根火山活動より割れ目(フィッシャー)から噴出した溶岩が海へと流れ出し、それが50mにも及ぶ厚く硬い岩盤を形成して半島になったとされている。しかし近年の研究「単独噴火説」では箱根火山のカルデラ形成と並行して真鶴付近の海底や地表にあった単成火山(一度の噴火活動で終わる小型の火山)から直接マグマが噴出した可能性も指摘されている。いずれにせよ、溶岩が連なって台地を形成したことに変わりはないが、その後、波の浸食や地震による隆起も受けながら、三ツ石を含む現在の半島の姿が形作られた。
こうしたジオ的側面があって、山側の箱根火山噴出溶岩からは最高級の本小松石が、海側では戦国時代の城の石垣にも使われた新小松石が採石され、真鶴の採石産業を育む源になった。
『憩』〜小さな真鶴を急がない休日を心から楽しめる一杯のお茶と珈琲
実家の茶屋をカフェに改装評判の自家焙煎珈琲
青木商店 G LIDE
オーナー夫妻はハーレー乗り。手前は奥様のものでHarley-Davidson XL883(2000年式 )。カスタムポイントは昼夜で印象が変わるというピンストライプ・タンクとフェンダーに施されたペイント。奥はオーナーのもので、Harley-Davidson Shovel Head FXE1340(1982年式)。2 色のフレイムスがペイントされたタンクとリジットフレームならではのストレートライン、乗りやすさがお気に入り。
1周20分ほどの真鶴半島。食事処は県道739号線沿いに点在しているが、小休止できるようなポイントは意外と少ない。舟盛りを出すようなお店で休憩するというのも気が引けるし、ついつい通りすぎてしまう。もっと気軽に立ち寄れるスポットが欲しい。そう、ライダーズカフェのような…。
イートインスペースの中央には珈琲豆焙煎機が置かれておりお洒落!
そんな思いにぴったりのお店が県道沿いにあった。真鶴駅前の商店街に位置する「青木商店 GLIDE」。もともとはお茶屋さんだったお店をオーナー夫妻が改装してカフェとしてリニューアルオープンしたのが23年の12月。以来、地元の常連さんはもちろんのこと、観光客からは“日本一の珈琲”と噂されるほどの評判で地域の人気店となっている。
モーニングメニューのセットドリンクの抹茶ラテ(+350円)。上品な茶葉の香りが美味。
お茶屋さんから憩いのカフェへ真鶴のライダーズスポット
オーナーの青木さんは両親が長年続けてきた茶屋を畳もうとした際に、形を変えて奥さまと一緒にカフェを始めようと決意。もともと2人とも熱海のカフェで働いていたこともあり、珈琲の焙煎から食事の提供まで手慣れたものだ。「珈琲はずっとちゃんとやりたかった」というオーナーのこだわりは店舗内のアクセントともなっている焙煎機の存在感からも伺える。
また、ブラックやアイボリーを基調色とした内外装は設計士を通さずに奥さま自らがデザインしたそうで、ご夫妻が大工さんと一緒に仕上げられたもの。レジカウンターに置かれた調度品には茶屋時代から使われている年代物もあり、カフェとなった今も青木商店という屋号への愛情が感じられて心地よい。
開店後、ご夫妻がバイク乗りだという話が広がると、町内のみならず遠方からもバイク愛好家が訪れるようになった。「(町内にも)こんなに乗ってる人がいたんだって驚きました」とは奥さま。「商店街を盛り上げたい」と意気込みを語ってくれたオーナーの少し照れたような表情が印象的だった。
JR真鶴駅には真鶴駅前駐輪場があるが400ccまで。今後の拡充に期待したい。
【旅の相棒バイク】
BMW F900GS
※エンジンプロテクションバーなどオプションアクセサリー装着車
「ギアシフトアシスタント プロ」を装備。クラッチレバーを握らずにシフト操作できる。
2025 年モデルから日本仕様にはローシートが標準装備となり、足つき性がかなり向上した(870mm → 835mm)。この体感効果はかなり大きく、ダート走行時も不安がないし取り回しもラクになった。この手のモデルとしてはフロントが軽く極低速時のバランスやU ターンもしやすい。ビッグオフをあきらめたくない人にお勧めだ。
[SPEC]
- 全長:2270 全幅:945 全高:1395 ホイールベース:1600 シート高:835(各㎜)
- 車両重量:219㎏(燃料90% 時)
- 4 ストローク水冷並列2気筒
- 常時噛合式6 段リターン
- 総排気量:894㏄
- 最大出力:105ps/8500rpm
- 税込価格:208 万9 千円~
※本記事はBMWが提供したもので、一部プロモーション要素を含みます。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。





























































