
元MotoGPライダーの青木宣篤さんがお届けするマニアックなレース記事が上毛グランプリ新聞。1997年にGP500でルーキーイヤーながらランキング3位に入ったほか、プロトンKRやスズキでモトGPマシンの開発ライダーとして長年にわたって知見を蓄えてきたのがノブ青木こと青木宣篤さんだ。WEBヤングマシンで監修を務める「上毛GP新聞」。第18回は、ライダーによって捉え方が異なる“接地感”について。
●監修:青木宣篤 ●まとめ:高橋剛 ●写真:Michelin, Pirelli, Red Bull
接地感とグリップ力は別のハナシ
バイク乗りの皆さんなら、「接地感」という言葉を耳にしたり、口にしたりすることも多いと思う。この「接地感」、言葉通りに受け止めれば「タイヤが路面に接している様子を感じること」であり、いわゆるフィーリングだ。
一方で、「グリップ力」という言葉も多用される。こちらはタイヤと路面の間で生じる、摩擦力を指す。これはフィーリングのような曖昧なものではなく、タイヤメーカーならキッチリと数値化しているはずの、れっきとした物理現象だ。
この接地感とグリップ力は、同じようにタイヤと路面の間で起きている現象について表す言葉なので、しばしば混同されることが多い。しかし、ハッキリと別物だ。そしてライダーにとって大事なのは、実は接地感の方だったりする。
グリップがなくても、接地感さえあればライダーはいくらでも走る。意外かもしれないが、オフロードをイメージしてもらえればこれが真実だと分かるだろう。そもそもグリップしない路面なのに、みんなバァバァとリヤをスライドさせながらガンガン走っている。
逆に、「グリップが高くても接地感が得られない」という状況は、主にロードレースで起こる。これは本当に感覚的なものでしかないのだが、どんなにハイグリップなタイヤを履いていても「なんとなく怖くて攻められない」という経験をしたことがある人もいると思う。それはほとんどの場合、接地感が不足しているからだ。
このあたり、実際にはフロントタイヤとリヤタイヤでだいぶ話は変わってくる。接地感やグリップ力を求めるのは、主にフロントタイヤだ。ライダーは、リヤタイヤをさほど気にしていない(笑)。特にフロントタイヤの接地感さえあれば、リヤタイヤがどんなにグリップしなくても走れてしまう(速いかどうか、しっかり加速できるかどうかは別として)。
路面コンディションが悪いときに速いなら……とお思いでしょう
後半戦に入ってからのMotoGPで言えば、第12戦アラゴンGPが行われたアラゴンモーターランドは路面コンディションが非常に悪かった。MotoGP開催直前に舗装を張り替えたため油分が抜け切っていなかったのだ。
そういう状況で異常に強いのが、マルク・マルケスだ。アラゴンではスプリントレース、決勝レースとも優勝。決勝での優勝は’21年第16戦以来で、なんと1043日、約3年ぶりだった。得意とする左回りのコースということもあるが、路面コンディションの悪さもマルケスに味方した。
そして、第13戦サンマリノGPである。決勝レース途中で雨が落ちてきたが、途端にめちゃくちゃ生き生きし、ライバルをバッタバッタと抜き去っていたのは、やはりマルケスだった。トップを走っていながらピットインし、レインタイヤ装着マシンに乗り換えたホルヘ・マルティンは15位に後退。結局、マルケスが2連勝を果たした。
スリックタイヤでのウエット路面となったサンマリノGPなど、想像するだけで背筋が寒くなる。極端にグリップ力が下がると同時に、十分に荷重がかけられないこともあり、接地感も薄くなる。どうしようもなく恐ろしい状況だ。
そして、そういう難コンディションになればなるほど喜び勇んでペースを上げるのが、マルケスという男なのだ。彼は接地感のしきい値が異常なほど低い。接地感が得られなくてもほぼ気にせずに走ってしまうタイプだ。
雨交じりの難コンディションで生き生きとしだすのがマルケスだ。
対照的だったのが、極めて繊細なセンサーの持ち主だったダニ・ペドロサである。ペドロサはかわいそうになるほど「接地感が得られなければ安心して攻められないタイプ」だった。だからコンディションが良ければ素晴らしく速い一方で、コンディションが悪くなると思い切った走りができなかった。
ここで皆さんの頭の中には、「路面コンディションが悪い時に速く走れるなら、路面コンディションが良い時はもっともっと速く走れるのでは?」という疑問が浮かぶことだろう。ごもっともである。
しかし路面コンディションが良くなると、誰でも接地感が得やすいのだ。だからライダー間の「接地感しきい値」の差が縮まる。接地感が薄い状況では「マルケスOK、その他のライダーはNG」だが、接地感が濃密な状況なら「マルケスOK、その他のライダーもOK」となるわけだ。
こうなると、人間の感覚の差よりもマシン差や絶対的なグリップ力の差が利いてくる。そして今年のマルケスはドゥカティのサテライトチームで型落ちマシンに乗っているため、好コンディション下ではなかなか勝てない、ということになる。
そして皆さんにおかれては、もうひとつ疑問が生じるはずだ。「第15戦インドネシアGPだって、路面コンディションは悪かったぞ」と。確かにその通りだ。舞台であるマンダリカサーキットは、年間でもMotoGPとアジア選手権ぐらいしかレースが行われていないため、いつも路面はダスティ(ほこりっぽい)な状態なのだ。
だがマルケスの独壇場……とはならなかった。スプリントレースこそ3位表彰台に立ったが、決勝レースはトップから5秒近く離されて7番手を走行し、最終的にはエンジンから火を噴いてリタイヤしてしまった。トラブルがなかったとしても、表彰台は難しかっただろう。
マンダリカサーキットの路面はダスティとはいえ、セッションを重ねるうちに1本のラインができていく。それは数10cmあるかないかの細さで、文字通りの「線」だ。これを外さずに走るのは至難の業だが、それをやってのけてしまうのがMotoGPライダーの恐ろしさ。細い線の上で、それなりの接地感を得ている。だからマルケスと言えども、そう簡単には上位に上がれないのだ。
しかし、条件が揃った時に限ってはマルケスのような特殊能力の持ち主がとんでもない強さを発揮することからも、接地感がまさに「感」、つまりフィーリングであることがよく分かる。接地感は主にハンドルから得られる手応えのことを指すのだが、それをどう受け止めるかは、ライダー次第。まさにフィーリングでしかない。マルケスは、ちょっとの手応えでも増幅して感じているのだろう。
マルティンの判断は正しかった
思い起こせば、ホンダRC213Vをマルケスただひとりだけが乗りこなせていたのは、彼の接地感のしきい値が異常に低かったからだ。「フツーの天才」であるMotoGPライダーなら怖くて攻められないぐらい接地感に乏しいマシンに乗って、ひとりでバンバン勝ちまくっていたのだから、やはりフツーではない。
マルケスの後ろを走るのはレプソルホンダのジョアン・ミル。
その影響で開発の方向性を完全に見誤ったホンダは、今なお迷路から抜け出せずにいる。多くのライダーの意見を吸い上げながらマシンを造り上げ、「フツーの天才」でもしっかりと接地感を感じ取れるドゥカティ・デスモセディチとは正反対だ。
最後に付け加えておきたいのは、決勝レース途中で雨に見舞われた第13戦サンマリノGPでのマルティンの判断についてだ。トップを走っていた彼はピットインし、レインタイヤを履いたマシンに乗り換えたが、その直後に雨は止んでしまった。ピットインによるタイムロスと、レインタイヤではペースが上げられない状況に、終わってみれば15位と大失敗。マルティン自身も「100%僕のミス」とコメントした。
しかしワタシは、あれがミスだとは1mmも思わない。あの時点で雨が降り続くのか止むのかは、誰にも分からなかった。雨が止んだからマルティンは後退したが、降り続ければ圧勝した……かもしれない。転倒したかもしれない。それはもう、分からないことなのだ。
終わってからの結果についてアレコレ言うのは簡単だ。しかしああいう状況ではすべてが賭けでしかなく、どっちに賭けた者が勝つかは運以外の何物でもない。丁か半か、自分ではどうしようもできないどちらかに賭けて敗れたとしても、それをミスとは呼ばないだろう。
どちらかと言えば、ワタシはマルティンの判断こそ正しかったとさえ思う。バイクは、安全第一。どんなに臆病者と揶揄されようが、無事にレースを終え、無事にレース人生を終えることこそが、最大の勝利だと考えている。
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
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