左2本出しのアップマフラーが“CL”のトレードマークだった

異端の原点と黎明期のスクランブラー──同系車とは異なり、オフロード性能を本気で追求したCL72 【ライター中村友彦の旧車雑感 Vol.7】

スクランブラーの特徴と言ったら、多くの人が思い浮かべるのはアップマフラーやワイドなハンドルだろう。とはいえ日本製スクランブラーの原点として、1962年からホンダが発売を開始したCL72は、それらの他にも車体各部に数多くの専用設計パーツを投入していたのだ。


●文:ヤングマシン編集部(中村友彦) ●写真:富樫秀明 ●外部リンク:ホンダコレクションホール ※記事内の展示内容はリニューアル前のもの

数多くの部品を専用設計したCL72

近年の2輪の世界では、“未舗装路もある程度は走れるオンロード車”というのが、スクランブラーの一般的な認識になっている。そして2023年にCL250/500が登場したことが契機になって、ここ最近は日本製スクランブラーの原点、1962年からホンダが発売を開始した250ccのCL72の記事を目にする機会が増えているのだが……。

【1962 CL72】1960~1970年代のスクランブラーとトレールバイクはタコメーターを装備するのが一般的だったものの、軽さやシンプルさを意識したのか、CL72/77はスピードメーターのみ。

個人的にはCL72をスクランブラーの原点と呼ぶことに、何となく違和感を覚えなくもない。CL72は現代で言うならトレールバイクのCRF250L〈s〉、いや、エンジンからセルモーターを撤去していることを考えれば、見方によってはモトクロッサーのCRF250Rに匹敵する、本気でオフロード性能を追求したモデルだったのだから。

【1962 CL72】1962年にホンダが発売したCL72は、日本製スクランブラーの原点。もっともそれ以前からヤマハは2スト250ccツインのYDSシリーズ用として、スクランブラーキットパーツを販売していた。

と言っても、当時の日本にはトレールバイクやモトクロッサーという概念が存在しなかったため、メーカーもメディアもCL72をスクランブラーと呼んでいた。ただしCB72から転用した4スト並列2気筒エンジンを除くと、セミダブルクレードルフレーム、40本スポーク+H型リムの前後19インチホイール、容量10.5ℓのガソリンタンク、豊富なストロークを確保した前後ショック、頑丈な構成のステップなど、CL72は数多くの部品を専用設計していたのだ(CB72のフレームはダイヤモンドタイプで、36本スポーク+U型リムのホイールは前後18インチ。ガソリンタンク容量は14ℓ)。なお悪路走破性を左右する最低地上高は、CB72+55mmの195mmだった。

スクランブラーからトレールバイクへ

【1966 CL125】CL72/77と比較すると、CB125をベースとするCL125の専用設計パーツは控えめ。ただし理想のエンジンフィーリングを求めて、キャブレターはツイン→シングル化。

もっとも、ホンダが本気でオフロード性能を追求したスクランブラーはCL72と兄弟車のCL77(305cc)のみで、1960年代中盤以降のCLシリーズは、当時の他メーカーが販売していたスクランブラーと同様に、オフロードテイストのオンロード車になっていく。つまりCL72は、日本製スクランブラーの原点でありながら、ライバルや後継車とは一線を画する異端のモデルでもあったのだ。

【1968 YAMAHA DT-1】ワークスモトクロッサーYX-26の技術を転用していたものの、DT-1はオンとオフが過不足なく楽しめる、フレンドリーなトレールバイクだった。乾燥重量はCL72より40kgほど軽い112kg。

ちなみに、CL72に端を発する第一次スクランブラーブームは、1970年代初頭に終焉を迎えた。そのきっかけになったのは、1968年にデビューして世界中で爆発的な人気を獲得したヤマハDT-1だ。2スト単気筒エンジンを含めて、トレールバイクとしてすべてを専用設計したDT-1の登場で、オンロードバイクの派生機種だったスクランブラーは、徐々に存在意義を失うことになったのである。

CB450D[1967]

CB450D[1967]

CLシリーズとは趣が異なる、左右出しアップマフラーが目を引くCB450Dは、1967年の1年間しか販売されなかったレア車。このモデルが誕生したきっかけは、北米市場におけるCB450K0の販売不振で、主な開発目的は悪路走破性の向上ではなく、ルックスの刷新だった。ごく少数の完成車も存在したが、ディーラーで取り付けを行うキットパーツとしての販売がメインだった模様。

CL450[1968]

CL450[1968]

主要市場のアメリカでは1968年、日本では1970年から発売が始まったCL450は、CB450K1をベースにして開発。アップマフラーはCLシリーズの流儀を踏襲した左側2本出しで、前輪は18→19インチ化(後輪は18インチのまま)。容量を12.5→9ℓに縮小したガソリンタンクは新規開発で、ブリッジ付きワイドハンドルはCB450Dと同形状。最低地上高は、CB450K1+15mmの155mm。

CL250[1968]

CL250[1968]

1968年に発売されたCL250は、オンロードモデルのCB250とほぼ同時期に開発。前任車のCL72と比較すると、専用設計パーツは少なくなっているものの、シリーズの長兄となるCL450と同様に、左側2本出しアップマフラーや19/18インチホイール、ブリッジ付きワイドハンドル、小ぶりなガソリンタンクなどを採用。最低地上高はCB250+30mmの180mm。なお当時のホンダはスクランブラーの充実化に力を注いでおり、1970年のカタログには、50/70/90/125/175/250/350/450と、計8機種ものCLシリーズが並んでいた。

YAMAHA YDS3-C[1966]

YAMAHA YDS3-C[1966]

1959年の時点でYDS-1用のスクランブラー用のキットパーツを販売していたヤマハだが、完成車としてのスクランブラー第1号車は1966年にデビューしたYDS3-C。ただしこのモデルは輸出専用車で、同社が初めて日本市場に投入した2スト250ccパラレルツインのスクランブラーは、1969年型DS6-Cだった。

SUZUKI TC250[1967]

SUZUKI TC250[1967]

1960年代前半の250ccクラスで熾烈なバトルを繰り広げていた、ホンダCB72とヤマハYDSシリーズの牙城を崩すべく、スズキは1965年に2スト250ccパラレルツインロードスポーツのT20を発売。1967年にはそのスクランブラー仕様として、左右出しアップマフラーを採用するTC250を世に送り出した。なお当時のスズキはモトクロスに非常に熱心で、1965年から世界選手権への参戦を開始し、1970年には250ccクラスで日本車初の王座を獲得。

KAWASAKI A1SS[1967]

KAWASAKI A1SS[1967]

スクランブラーに分類できるモデルとして、カワサキは1960年代中盤に82ccのJ1TRや175ccのF2T2などを発売。250ccスクランブラーの第1号車は、A1をベースとするA1SSだった。なお2ストパラレルツインというエンジン形式は同時代のYDSシリーズやTC250と同様だが、ヤマハとスズキの吸気方式がピストンバルブだったのに対して、カワサキはロータリーディスクバルブを選択。

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