レプリカ時代、そして“最速”を競った1990年代へ

カワサキ・Ninja ZX-4Rシリーズの77馬力で当事者が思い出す、1980年代のレプリカ狂騒曲……〈多事走論〉from Nom

ネットもSNSもない時代、バイク雑誌の影響力は絶大だった!

とにかく、ゼロヨンテストに代表される性能競争で他メーカーに負けると、それがすぐに販売台数に影響を及ぼすほどでしたから、バイク雑誌のテスト企画はメーカーにとって真剣勝負の場。

しかも、当時はインターネットやSNSは影も形もなく、バイクを詳しく紹介するのはバイク専門誌などの雑誌メディアくらいでしたから、誌面に載る情報の重要さたるや現在の100倍も1000倍もあったのです(ちょっとオーバーかな?)。

ですから、たかだかバイク雑誌のテスト企画にすぎないはずが、次第にまるでメーカーの威信をかけた決戦場に変貌していったのでした。

こちらはヤングマシン1987年5月号より。国内ナンバー1決定戦が行われた。2スト250や4スト400も持ち込まれ、CBR400Rはゼロヨン12秒20を記録した。現在の尺度でも相当凄いタイム。

そして、メーカーがトランポで持ち込んだ広報車ですが、バイクショップで普通に販売されているバイクとは明らかな違いがありました。当時のメイン車種である250cc/400ccの4気筒モデルは、元々乾いて甲高いエキゾーストサウンドが魅力でしたが、そのサウンドがさらに甲高く、まるでレーシングマシンのような咆哮を響かせていましたし、2スト250ccは本来苦手なはずの低回転域からモリモリとパワーを発揮! 

百戦錬磨のテストライダーが「これ、全然違う。速すぎる!」と呟くような、圧倒的な走行性能を発揮するバイクも多々あったものです。

当時はバイクブームで、メディアに貸出すための広報車も多数用意されていましたから、その中からもっとも状態のいいバイクを選んだのか、それとも燃調や各部のセッティングなどを綿密に調整して完璧なコンディションにしてヤタベに持ち込んできたのか、そのあたりは何とも言えません。ただ、ものすごく速かったのだけは確かでした。

そのバカッ速いバイクでテストして、誌面に掲載されたデータをメーカーの担当者は毎回厳しくチェックし、他メーカーのテストデータに劣っているようなら「次は負けませんよ」とリベンジを宣言し、実際に次のテストにはより性能に磨きをかけたバイクを投入してきたものでした。

とまあ、それらのメーカー持ち込みバイクをシャシーダイナモに載せて馬力を計測するなんてことはしていませんでしたから(そもそも、テストが終わると、またトランポに載せてそそくさと持ち帰ってしまうので)、一般市販バイクと明らかな差が本当にあったかどうか真偽のほどは不明ですが、「速くなければエラクない」という弱肉強食の時代が’90年代アタマまで続いていたのは事実でした。

そんな状況が続くとテストするメディア側も、「ゼロヨンテスト用マシン」は特別だと勘ぐるようになり、「某有名チューニングメーカーが仕上げているらしい」とか「排気量が違うんじゃないの?」とか、疑心暗鬼状態に。

じつは現代になっても相変わらず似たようなことをやっているヤングマシン。写真は2021年3月号のニンジャZX-25R、ノーマル vs チューンドの対決だ。

さらには、カタログに載っている公称出力は馬力規制内に収まっているけれど、実馬力はそれをはるかに上回っていて、某メーカーの2スト250ccなどは公称45馬力なのに実馬力は80以上! なんて「都市伝説」らしきことまで囁かれるようになっていました。

いま思い返すと、そんな話がまことしやかに口に上るほど、’80年代~’90年代アタマのバイク市場は国内の4メーカーが激しくしのぎを削った「速さ至上主義」の戦国時代だったわけですが、そのレプリカ戦争に終止符を打ったのが最高出力が46馬力しかない、カワサキの初代ゼファー(400cc)でした。

そして、ゼファーのリリースで約30年前に「終戦」を演出したカワサキが、今度はNinja ZX-4Rシリーズに77馬力というクラス最高の出力を与えました。対する他の国産メーカー、さらに最近は中間排気量車もラインナップするヨーロッパメーカーも、カワサキに追随するのでしょうか。

〈次のページは…〉レプリカ戦争の後には「最速」競争が勃発した!