新型YZF-R25にまたがる15歳の少年――阿部真生騎は、父・典史とはまったく違うライディングフォームでサーキットを駆けた。レーシングライダーとしての父・ノリックは、動画サイトでしか知らない。だが真生騎には、勝利に焦がれる生粋の血が流れている。
●文:高橋剛 ●写真:柴田直行/Webikeチームノリックヤマハ/YM Archives
1秒でも長く走りたい、1周でも多く周回したい
よくしゃべるわけじゃない。でも、無愛想とも違い、笑顔にはかわいげがある。けれど、どこか斜に構えている。ようするに、思春期真っ盛りである。
「撮影は終わったからね。もう走らなくても大丈夫だよ」
ピットに戻ってきた15歳の阿部真生騎にそう声をかけると、「……走ってもいいんですか?」と返ってきた。
「うん、構わないけど……」
「じゃあ、走ります」
はにかみながら微笑むと、真生騎はまたコースインして行った。YZF-R25のエンジンが限界まで引っ張られている。アグレッシブな走りだ。
【阿部典史[父]】/【阿部真生騎 [子]】 強気で、勝ち気で、思い立ったら一直線。最高の結果を得るために、最大限の努力を惜しまない──。この父子には、確実に同じ血が流れている。かつて父が最高峰クラスで優勝を遂げたグランプリを、真生騎もめざす。「チャンピオンになりたい」と静かに言った。
取材のため、ライダーに走行を依頼しているこちらの立場としては、できるだけリスクを減らしたい。だからカメラマンが手応えを得た時点で「もう走らなくてもOK」と伝えるのが常だ。
それでも真生騎は走った。走り続けた。ライン取りは安定していない。いろいろと試しているからだろう、ライディングは粗削りだ。見ていて不安はないが、油断できない勢いの良さだ。「走りたい」という純粋な思いが、逆光の向こうでほとばしっている。
バイクに乗り始めて、たった2年なのだ。走りたい気持ちを分別くさく抑え込むことよりも、後先を考えないひたむきさの方が今はずっと大事だ。
1周でも多く周回数を重ねる。1秒でも多くの時をサーキット路面と向き合う。レーシングライダーとしての強固な土台を作るためには、走るしかない。喜びも、痛みも、その先の栄光も、すべては黒々としたアスファルトからしか得られない。
初めて会った真生騎は、驚くほど父・阿部典史――ノリックに似ていた。顔立ちはノリックよりいくぶん柔らかいが、佇まいや立ち居振る舞い、そして内面を隠しきれない分かりやすい表情はそっくりだ。
「お父さんのこと、聞いてもいいかな」
微笑みながらコクリと頷く。
ノリックの個人ウェブサイトの制作管理をしていた僕は、6歳年下の彼とたくさんの時間を過ごし、たくさん話をして、たくさん笑い合った。
彼の死は本当にショックだった。哀しいというより、悔しくてならなかった。彼を喪ったことは大きな損失だと思ったからだ。彼の魅力は、走りだけじゃなかった。華やかな存在感、人にかわいがられる性格、そして何よりも、レースへのまっしぐらな情熱。いつか現役を退いても、彼は日本の二輪レースを牽引してくれるはずだった。
何やってんだよ――。
実家で横たわる彼の姿を見て、そう思った。今も、だ。目の前の真生騎を見るにつけて、ますます強く思う。
何やってんだよ。こんなにかわいくて可能性のある子を遺して――。
「お父さんのこと、覚えてる?」
「いえ、ほとんど……」と小さく首を横に振る。ノリックが川崎市の一般道で事故に遭った2007年、真生騎はまだ3歳だった。
「Youtubeとかでお父さんが走ってるレースを観ることはあります。でも……」と困っている。
「実際には覚えてないもんねえ。周りから『お父さん、すごいライダーだったんだよ』と言われることが多いと思うけど、本音ではどう思ってるの?」
「……へぇ〜って感じですかね」と言って、真生騎は小さく笑った。
父の幻影を子に重ねない。ふたりは別の道を生きる
「へぇ〜って感じ」
最高のリアクションだと僕は思った。
真生騎のライディングフォームは、父であるノリックとはまったく違う。上体を起こしリーンアウト気味なノリックの独特なフォームは、時が経つにつれていささか古風になりつつあった。
モトGPからスーパーバイク世界選手権へ、そして全日本ロードレースへと戦いの舞台を変えながら、懸命にフォームの改造に取り組んでいた。
前輪に覆い被さるように低く構え、タイヤを信頼してイン側に深々と体を落とす。ノリックがどうにか手に入れようとしていたフォームを、真生騎はあっさりと自分のものにしている。
真生騎には、どうしてもノリックに似ているところを探してしまう。突然この世を去ったノリックの幻影を、真生騎に重ねたい。そして勝手に期待するのだ。そうやって、あの死を少しでも納得できるものに、受け入れられるものに仕立て上げようとしてしまう。
だが、当の真生騎は父・ノリックについて「へぇ〜って感じ」と言い、まったく違う走り方をするのだ。
そうでなくちゃ困る。真生騎には真生騎の資質や考え方、そして生き方がある。「へぇ〜」には、「父は父、オレはオレだ」という密やかな主張が込められている。その若さがまぶしくて、頼もしい。
時は移ろう。ノリックと真生騎は、もちろん同じ人間じゃない。ノリックが彼の時代を走り抜けたように、真生騎も自分の時代を、自分のスタイルで、駆けていくだろう。レースへのまっしぐらな情熱に突き動かされながら。
関連する記事/リンク
まだバイクで公道を走ったことがない“サーキット純粋培養”の15歳、阿部真生騎さん。レーシングライダーとして芽を伸ばしつつある彼が、初めて公道仕様のバイクにまたがった! 保安部品のついた新型YZF-R2[…]
ヤングマシン本誌に連載中の「上毛GP新聞」から、マルク・マルケスとファビオ・クアルタラロの対決に的を絞ったマニアックな考察を展開。今シーズンのサプライズとなったクアルタラロは、青木宣篤をもってしても「[…]
2019年12月14日に決勝が行われたセパン8耐。世界耐久選手権の第2戦であり、セパンインターナショナルサーキットにおける初の同選手権開催となった。しかし、レースはスタート前後から雨模様で、セーフティ[…]
暗闇に遠くから幾多の光芒が射す。あるものは一際強い光を放って過ぎ去り、あるものは留まり今も輝き続ける。――過去半世紀に及ぶ二輪史において、数々の革新的な技術と機構が生み出された。定着せず消えていった技[…]
1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰[…]
写真をまとめて見る
- 1
- 2