今は珍しい”黄色ナンバー”隆盛の時代 金欠少年たちの夢…【1980〜2000年代に起こったバイクの改変 その3】


●レポート:阪本一史 ●写真:ホンダ ●記事提供:モーサイ編集部

費用を抑えつつ原付50からのステップアップを模索

83年以降の新型車から60km/hリミッターが搭載され、急激に魅力を失った50ccのスポーツモデル。7.2psの最高出力で規制なしの速度が味わえた状況からの急激な変化は、筆者を含む当時の高校生を落胆させた。

30km/h以上の速度を出せば違反であり、捕まればメンタル的にも金銭的にも痛手を味わうとしても、本来の性能を無理矢理規制されては魅力を感じようがない。

無論、メーカー側の技術者も規制車の開発は楽しく感じなかっただろうと想像するが、ともあれ当時のバイク少年やその予備軍は、その後自分のバイクライフをどうするか、悩むこととなった。

技量を磨くにつれ、性能も欲しくなる当時のバイク少年が考える常道は、免許のステップアップだ。

試験場での技能試験の思い出

80年代の自動二輪免許は、125ccまでが乗れる同小型限定、400ccまでが乗れる同中型限定があり、その上の750ccやそれ以上の排気量に乗れる免許は自動二輪・限定解除免許と言った。

現在は、400ccまでが乗れる普通自動二輪免許(125cc以下が乗車可能な免許は同・小型限定)、排気量の上限なしで乗れるのは大型自動二輪免許と名称が変わったが、現在と当時で大きく異なるのは、限定解除免許が教習所で取得できなかったこと。

ベテランライダーには不要な説明ながら、当時400cc以上のバイクに乗るハードルは非常に高く、限定解除免許を得る試験場での技能試験は、合格率が一桁%と言われた。そして、試験場側は特に高校生にはこの免許を極力取らせない姿勢が感じられたものだ。その話の詳細はまた別の機会に譲りたいが、ともあれ50ccからのステップアップには、差し当たり中型免許取得が目標となった。

これを極力安く取得するには、教習所に通うのではなくすべて試験場で済ますことだ。学科試験をパスし、その後実技試験を受けるのだが、学科試験は原付試験の免許をすんなり合格した者ならさほど困難ではなく、概ね1回で通るはず。一方実技試験では、何回か不合格になるのは当然と考えなくてはならない。

筆者の場合は小型自動二輪(試験車はホンダCB125T)の実技試験を試験場で受け、5〜6回の挑戦後に合格。まずは125ccまでのバイクに乗れる小型限定免許を取得。そして目標の中型免許(試験車はホンダのCB400TホークII)も続けて試験場でと思ったものの、気力が萎えた。そこで、条件変更の目的でここから教習所に入所。

教習所での小型限定から中型限定への条件変更は、正確な記憶はないが10時限程度の実技教習を経て卒業検定に進む流れだが、この方法だと教習所の費用は3〜4万円だったように思う。かくして高校2年の晩秋に中型免許を取得した筆者は、50cc(当時の愛車はホンダの4サイクルスポーツCB50S)からステップアップできることとなったが……。

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