浜松から東京へ、バイクウエアからバイクファッションへ〈クシタニヒストリー〉
プロテクションを求めるレーシングスーツにファッション性を与える。
洒落た“運動着”など存在しなかった時代に生まれた斬新な発想は、バイク文化も時代の先端を行く“東京”がキーワード。
職人気質のモノ作りに最新カルチャーを吹き込む
クシタニは、日本で最初の革ツナギ(’53年)を作った後も、10年余りは職人気質の“町の小さな革製品の店”だった。しかし櫛谷久会長(現)が、若干20歳にして’71年に櫛谷商店を法人化してから、目を見張るスピードで商品を展開。その大きなきっかけとなったのが、同’71年の”東京営業所”の設立だった。
当時は高度成長期の真っただ中であり、バイクやバイク用品においても東京周辺が最大のマーケット。そこでカルチャーの動きは“東京にいないと分からない”と、考えた。さらに商いだけでなく、より深くバイクを知るために、自身もトライアルの選手権に出場。国際A級ライセンスを獲得したのもこの時期という。東京営業所の開設からほどなく、世田谷にショップもオープン。後には近隣に喫茶店も開いた(店名はエクスプローラー)。世田谷店には60名ものクラブ員が集まり、その中から様々なアイデアも生まれていった。
60年代は黒一色の革ツナギがテストライダー(=プロライダー)の装束として人気を集めたが、70年代半ばには一気にカラフルに変化。すでに自社製造を始めていたレーシングブーツ等にはカラーオーダーも取り入れた。
バイク用ウエアとしての機能や性能の確保はもちろんだが、そこにファッション性を取り入れたのはかなり先進的だった。当時のカタログやバイク雑誌に掲載した広告にも反映され、レーシングスーツへのメーカーロゴやネーム入れ、ラインの追加など、オプション価格まで細かく設定して掲載した。
鮮やかなカラーやファッショナブルなデザインは、現在のバイクウエアではあたり前だが、いち早く取り入れて一般ライダーが入手できるシステムを作った“センス”は、やはり東京進出の影響が大きかった。それらのアイデアの浜松本社へのフィードバックが、新たなモノ作りを加速させていったのだ。
※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。