浜松から東京へ、バイクウエアからバイクファッションへ〈クシタニヒストリー〉

  • 2021/09/09
  • 【BRAND POST】クシタニ

プロテクションを求めるレーシングスーツにファッション性を与える。
洒落た“運動着”など存在しなかった時代に生まれた斬新な発想は、バイク文化も時代の先端を行く“東京”がキーワード。

1971年に東京営業所を設立し、ほどなく世田谷の桜新町にショップ(写真:上段真ん中)をオープン。70年代後半のカタログや当時のバイク雑誌に掲載した広告では、女性モデルがカラフルなウェアを着用。当時はツナギ革を利用した小物も製作しており、これらは現在、クシタニパフォーマンスストアで販売するウォレットなどに繋がっている。写真右から時計回りに名刺ケース(ブルー、9130円)、キーケース(レッド、8250円)、コインケース(ブラック、9130円)

職人気質のモノ作りに最新カルチャーを吹き込む

 クシタニは、日本で最初の革ツナギ(’53年)を作った後も、10年余りは職人気質の“町の小さな革製品の店”だった。しかし櫛谷久会長(現)が、若干20歳にして’71年に櫛谷商店を法人化してから、目を見張るスピードで商品を展開。その大きなきっかけとなったのが、同’71年の”東京営業所”の設立だった。

 当時は高度成長期の真っただ中であり、バイクやバイク用品においても東京周辺が最大のマーケット。そこでカルチャーの動きは“東京にいないと分からない”と、考えた。さらに商いだけでなく、より深くバイクを知るために、自身もトライアルの選手権に出場。国際A級ライセンスを獲得したのもこの時期という。東京営業所の開設からほどなく、世田谷にショップもオープン。後には近隣に喫茶店も開いた(店名はエクスプローラー)。世田谷店には60名ものクラブ員が集まり、その中から様々なアイデアも生まれていった。

 60年代は黒一色の革ツナギがテストライダー(=プロライダー)の装束として人気を集めたが、70年代半ばには一気にカラフルに変化。すでに自社製造を始めていたレーシングブーツ等にはカラーオーダーも取り入れた。

 バイク用ウエアとしての機能や性能の確保はもちろんだが、そこにファッション性を取り入れたのはかなり先進的だった。当時のカタログやバイク雑誌に掲載した広告にも反映され、レーシングスーツへのメーカーロゴやネーム入れ、ラインの追加など、オプション価格まで細かく設定して掲載した。

 鮮やかなカラーやファッショナブルなデザインは、現在のバイクウエアではあたり前だが、いち早く取り入れて一般ライダーが入手できるシステムを作った“センス”は、やはり東京進出の影響が大きかった。それらのアイデアの浜松本社へのフィードバックが、新たなモノ作りを加速させていったのだ。

1980年代のカタログは製品紹介だけでなく海外のバイク旅を掲載し、バイクとの”生き方”を綴った。当時、人気だったパリ・ダカールラリーの記事なども掲載された。
1984年の第6回目のパリ・ダカールラリーに参加した菅原義正氏、横川哲二氏、丸山澄秀氏の体験を全8ページにわたって紹介している。


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