
ニッポンがもっとも熱かった“昭和”という時代。奇跡の復興を遂げつつある国で陣頭指揮を取っていたのは「命がけ」という言葉の意味をリアルに知る男たちだった。彼らの新たな戦いはやがて、日本を世界一の産業国へと導いていく。その熱き魂が生み出した名機たちに、いま一度触れてみよう。
●文:ヤングマシン編集部(中村友彦) ●写真:山内潤也/YM ARCHIVE●取材協力:ZEPPAN UEMATSU
北米市場の要請を受け2スト専業から脱却
’50年代中盤に4スト単気筒車を手がけたことはあるものの、’52年から2輪事業への参入を開始したスズキは、’70年代初頭までは、基本的に2スト専業メーカーだった。そんな同社が4ストに着手した直接的なきっかけは、北米市場からの要求である。
具体的には、古くから4ストの大排気量車を愛好して来たアメリカ人の趣向と、’70年にアメリカで制定された大気浄化改正法(提案者がエドムンド・マスキーという議員だったことから、一般的にはマスキー法と呼ばれている)に対応するため、’70年代中盤のスズキでは、4ストの開発が急務になったのだ。
もっとも、スズキは’67年から4ストの研究に着手していた。
その成果がなかなか具現化しなかった背景には、シリンダー/ヘッドの水冷化や、EPIC(エグゾースト・ポート・イグニッショ ン・クリーナー)、SRIS(スズキ・リサイクル・インジェクション・システム)などの排ガス浄化デバイスで、2スト特有のマイナス要素は払拭できる、という判断があったようだ。
残念ながら事態は同社の予想通りには進まず、さらには’73年に第1次オイルショックが起こったことで、スズキは厳しい状況に立たされることになった。
こうした経緯を経て、スズキは’74年初頭から4ストの本格的な開発に着手。その第一弾として’76年末にデビューしたのが、4スト並列4気筒を搭載するGS750だったのである。
もちろん当時の市場では、すでに4スト並列4気筒車は珍しい存在ではなかったが、従来の社内基準の倍となる、2万kmの全開走行テストを行ったエンジンの耐久性と、世界GPやF750レースで培った技術を反映したシャーシの秀逸な操安性が評価され、GS750は世界各国で好セールスを記録。
言ってみればスズキは、実質的な4ストの処女作で、先行するホンダCBやカワサキZに追いつき、2スト専業メーカーからの脱却を図ったのである。とはいえ、以後の同社が即座に4スト専業メーカーに転身したかと言うと、まったくそんなことはなかった。
’78年型RG250、’83年型RG250Γ、’84/’85年型RG500/400Γなどは、いずれも革新的な2ストモデルだったし、他メーカーが公道用2ストロードスポーツの進化を断念した’90年代中盤においても、スズキはワークスマシンの技術を投入した全面新設計車として、RGV-Γ250SP(VJ23)を開発していたのだから。
1976 SUZUKI GS750 DETAIL
’77年型として登場した初代では、スポークホイール+フロントシングルディスクだったGS750だが、’78年型以降はフロントダブルディスクが標準となり、キャストホイールのEも併売された。
※撮影車は’79年型GS750E2。
【主要諸元は全世界共通】当時の国産ビッグバイクの通例に従い、日本と北米市場ではアップハンドル、欧州市場ではローハンドル仕様を販売。他の主要諸元は全世界共通だが、‘77年型のドイツ仕様のカタログには、ロングリヤフェンダー装備/リフレクターなしの車両が登場している。
堅実なスタイルでまとめられたGS750だが、シート後部のテールカウルは、スズキの公道用ロードスポーツでは初の装備だった。
当初は真っ平だったダブルシートが、段付きに変更されたのは’78 年7 月に登場したE から。撮影車は取り外しているが、本来はシート下左側にスチール製のアシストグリップが備わる。
スイッチボックスは新規開発品。ただし、右:スターター/エンジンのオン・オフ、左:ウインカー/ホーン/ヘッドライトのオン・オフ/ハイ・ロー/パッシングという機能の振り分け方は、前任に当たるGT750と同様。
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