復興の中で生まれた昭和の名機たち

オートバイのデザインに一石を投じた革命児:ホンダCB400FOUR【1974~1977】

オートバイのデザインに一石を投じた革命児:ホンダCB400FOUR【1974~1977】

ニッポンがもっとも熱かった“昭和”という時代。奇跡の復興を遂げつつある国で陣頭指揮を取っていたのは「命がけ」という言葉の意味をリアルに知る男たちだった。彼らの新たな戦いはやがて、日本を世界一の産業国へと導いていく。その熱き魂が生み出した名機たちに、いま一度触れてみよう。


●文:ヤングマシン編集部(中村友彦) ●取材協力:ZEPPAN UEMATSU

メーカーメイドのカフェレーサー

’74年末から発売が始まったCB400フォア、通称ヨンフォアは、’60~’70年代に世界中でブームとなった、カフェレーサーを抜きにして語れないモデルである。カフェレーサーとは呼んで字のごとく、カフェに集まる公道レーサー的な車両のことで、現代の言葉で表現するならカスタムマシン。

当時の定番パーツはセパハン/コンチハンドル、バックステップ、シングルシート、集合マフラーなどで、多くのライダーが創意工夫を凝らしながら、愛車にレーサーの手法を取り入れていた。そんな状況の中、メーカーメイドのカフェレーサーとして登場したのが、CB400フォアだったのである。

【日本仕様の車体色は赤、青、黄の3色】低めのハンドルや後退したステップ(シフトペダルのリンケージにはピロボールを使用)、流麗な集合マフラーなどに加えて、原色を用いたソリッドなボディカラーも当時としては新鮮だった。

テールランプは同時代のCBフォアシリーズ全車に共通のデザイン。いささか控えめと思えるサイレンサーの跳ね上げ角度は、工場における生産性と整備性を考慮した結果だ。

4本のエキパイはクランクケース前部のオイルフィルターを避け、車体右側で集合。シールドビーム式のヘッドライトは、CB750/500/550 フォアより小径のφ160㎜。

もっとも、当時を知らないライダーにとっては、CB400フォアの姿はオーソドックスに見えるかもしれないが、昔ながらの大アップハンドルや肉厚で平板なシート、ライダーのヒザの角度がほぼ90度になるステップ、1気筒1マフラーが当たり前だった’70年代中盤において、このモデルのスタイリングは超が付くほど衝撃的だったのだ。

ちなみに、CB400フォアの成功に気をよくしたホンダは、同じようにカフェレーサーの手法を取り入れたモデルとして’75年にCB750フォアIIと550フォアII、’76年にCJ360TとCB125/50JXを発売するものの、作り込みが徹底していなかったせいか、CB400フォアほどの支持を集めることはできなかった。

そして、当のCB400フォアにしても、スタイルが高評価を集める一方でセールスはあまり伸びなかった。その最大の理由は’75年10月に施行された中型2輪免許制度と言われており、事実、当初は排気量が408ccのみだったCB400フォアは、日本ではこの制度改正に水を差されたのだが。

欧米では当初から動力性能の物足りなさを指摘する声が挙がっていたし、ホンダにとっては4気筒の製造コストの高さがネックになっていた。こうした状況を踏まえて、ホンダは’77年にCB400フォアの販売を中止。以後は並列2気筒のホークIIがその座を引き継ぐこととなったのである。

ただし、少なくとも日本でのCB400フォアの人気は、販売終了後にむしろ高まることとなった。その背景には(ベース車のCB350フォアとともに)中型免許で乗れる希少な4気筒という事情があったようだが、現在でも、唯一無二のスタイルと乗り味を愛するライダーは数多く存在するのだ。

上方からの眺めはとにかくスリム。標準仕様のハンドルはフラットバーに近い印象で、幅は705mm。

速度/回転計の構成は既存のCBフォアシリーズと同様だが、警告灯パネルとイグニッションキーは現代的な位置に移設されている。

燃料タンクは当時のレーサーのように、前後に長く見えることを意識して設計。

モックアップまで製作したシートカウルは採用が見送られたものの、サイドに鋲が打たれ、後端が上がったシートは、当時のバイクの基準では相当にスタイリッシュ

スイッチボックスは同時代のCB フォアシリーズと共通で、ヘッドライトのハイ/ロー切り替えは左側

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