クアルタラロは自分の走りにマシンを合わせようとしている?

世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.117「ペドロ・アコスタのステップアップで思い出す、最後のNSR500」

1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第117回は、難なく乗り換えをこなしているペドロ・アコスタや、ホンダ/ヤマハの現状について。


TEXT: Go TAKAHASHI PHOTO: Michelin, Red Bull, YM Archives

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765ccから1000ccへ、スムーズに乗り換えが進んでいるアコスタ

新人のペドロ・アコスタもライダーの力量を見せつけました。早くも「新人」という言葉が似合わないぐらい、当たり前のようにMotoGPマシンを乗りこなし、当たり前のように上位を走っています。ブレーキングが非常にうまいアコスタは、今シーズン中に表彰台に立ってもおかしくありません。

2023年のMoto2チャンピオンを獲得したペドロ・アコスタ。2021年にMoto3参戦初年度でチャンピオン、2022年はMoto2でランキング5位だった。マルク・マルケスの次の天才ライダーと目されている。

アコスタのテクニックは間違いありませんが、4スト765ccのMoto2から、4スト1000ccのMotoGPへのステップアップは、かなり容易なように見えます。僕は制御が大きく影響していると感じているのですが、MotoGPマシンはかなり乗りやすいマシンなのでしょう。

2スト時代、250ccから500ccへの乗り換えは非常に大変でした。かつてホンダは、シーズン終了後にジャーナリストにGPマシンを試乗してもらうという、何とも豪勢な企画を行っていました。当時、V型5気筒エンジンだったRC211Vに乗ったジャーナリストたちは、「非常に乗りやすい」と絶賛していました。「これなら誰でも乗れる」と。

もちろん限界域まで攻め込めば、どんなマシンでも難しさが出てきます。でも、限界に至るまでの過渡領域では、RC211Vはかなり乗りやすいマシンだったようです。

一方、2スト500ccエンジンは、発進すらままならない(笑)。僕は2スト500ccのNSR500で自分の最後のシーズンを戦いましたが、MotoGPマシンに乗ったことがないので、あくまでも感覚的な予想ですが、平均台の上を歩くようなMotoGPマシン、スケート靴のブレードの上を歩くような2スト500ccマシン、というぐらいの違いがあると思います。2スト500ccマシンは、それぐらいスイートスポットが狭い乗り物だったんです。

原田さん現役最後の年となった2002年はMotoGPクラスでNSR500を駆る。2001年よりこのヘルメットのデザイン。2002年は2スト/4スト混走の初年度で、翌2003年シーズン中に2ストは姿を消していった。

少し余談になりますが、僕が’02年に走らせたNSR500は、本当に難しいマシンでした。僕は早い段階からスロットルをガバッと開けてエンジンが着いてくるのを待ち、パワーの上昇とともにリヤから旋回していく、という走り方をしていました。パワーの出方に多少のタメがあるエンジンに乗り慣れていたから、そういう走り方が体に染みついていたんです。

でもNSR500にはタメがなく、スロットルを開けた瞬間にドンとパワーが出てくる。僕の走らせ方では、いつも必要以上のパワーが得られてしまい、それが乗りづらさ、扱いづらさを感じる要因になっていました。

簡単に言えば、僕はNSR500をうまく走らせることができなかった。当時の僕は31、2歳。年齢とキャリアを重ねて、自分の走りが固まってしまっていました。だからNSR500に合わせて、走りを変えることができなかったんです。

「あと5歳若い時に乗っていれば、もっとうまくアジャストできたかもしれない」と思うこともあります。若いうちは、与えられたマシンを何とか乗りこなそうと、自分の走りを変えていく柔軟さがあります。でも経験を重ねると、自分の走りを変えるのではなく、どんどんマシンを変えて行く。知恵が付いて、ラクする方法を覚えてしまうわけです(笑)。

だから経験値があればあるほど、いいマシンを作れるというメリットがあります。でも一方で、自分の走りを変えることがどんどん難しくなっていく。そうして走りが固まってしまい、別のマシンへの乗り換えに苦労することになります。経験にも良し悪しがある、ということですね。

『自分を変えない』が時に邪魔をする

さて、テストの様子に話を戻しますが、ライダーが「だいぶよくなってきた」とコメントしているホンダに対して、ヤマハの苦戦が目立ちます。これは外から見ている僕の感じたことに過ぎませんが、ファビオ・クアルタラロはYZR-M1に合わせた走り方をするのではなく、M1を自分に合ったマシンにしようと必死なように見えます。

ブレーキングでタイムを稼ぐクアルタラロだが、それがYZR-M1本来の特性に合っていないようにも見えるという。

ものすごく簡単に説明すると、クアルタラロの強みはブレーキング、M1の強みはコーナリングなんです。クアルタラロは、M1をブレーキングマシンにして、自分の強みを発揮したい。だから一生懸命にセットアップで何とかしようとしますが、基本的にコーナリングマシンであるM1は、なかなか思うようにならない……。実際にはこんなにシンプルな話ではありませんが、ざっくりこのあたりがクアルタラロ苦戦の根っこだと思います。

僕がヤマハに乗っていた時代、似たような苦労をしました。エンジンのパワーが不足していたこともあって、コーナリングでしか勝負できなかったんです。僕自身としては、立ち上がり加速重視の走りをしたかったのですが、マシンの武器がコーナリングなら、それにアジャストするしかありませんでした。

決勝レースでは、突っ込めるブレーキングは大きな武器になります。ブレーキングは抜き所なので、そこで頑張れるライダーは、強い。覚えている方も多いと思いますが、突っ込みの鬼だったアレックス・バロスは、とにかく抜きにくいライダーでした。後ろから追いついてきたライダーの方がペースは速いのに、鬼突っ込みのバロスを抜くのは本当に難しいんです。

レースで勝ちたいライダーとしては、抜かれないマシンの方がいいに決まっています。だからブレーキングを重視する。でも僕が走らせていたヤマハのマシンは、ブレーキングで突っ込みすぎるとフロントが過荷重になり、思うように曲がらなくなります。しかも加速もしてくれない。だからブレーキングを微調整して前後にうまく荷重を残し、旋回スピードを高めることを意識しました。

勝つために、自分の走りをアジャストする。それができたのも、僕が若かったからなのでしょう(笑)。まだ24歳のクアルタラロが自分の走りをなかなか変えられないのだとしたら、それはチャンピオンを獲ったことが災いしているのかもしれません。王者のプライドが邪魔をしている可能性はあります。

でも、MotoGPライダーは全員プライドのカタマリです。プライドが高くなければ、世界最高峰クラスでチャンピオンなんか絶対に獲れない。絶対に必要なものです。でもプライドが高すぎても、適応力に悪影響を及ぼしてしまう……。つくづくバイクは難しく、だからこそ面白いですよね。

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