スイートスポットの狭さがここ数年の課題になっていた。でも、コロナ禍で気づかされたのはヨーロッパメーカーの地政学的な強みだったという。個別メーカー間のライバル関係では済まない、二輪文化が根付いているかどうかの違い──。「世界トップに君臨する日本メーカーが、なぜ勝てないのか」の答えは簡単なものではなかった。
●文:高橋剛 ●写真:ホンダ ●外部リンク:ホンダ
自分たちが思っていたレベルにはまったく達していなかった
ヤマハへの取材を終えて、拭えない疑問が残った。「なぜ日本メーカーが、ヨーロッパメーカーに勝てないのか」という根本的な疑問だ。ヤマハの関は、「日欧では、仕事のプロセスが違う。どちらがいい、悪いという話ではない。日欧それぞれの良し悪しを見極めながら、ヤマハにとってベストな『いい所取り』をしていきたい」と語った。
だが、’23MotoGPの戦績だけに注目すれば、「いい、悪い」の結論ははっきりとしている。全20戦中、ドゥカティ17勝、アプリリア2勝、ヤマハ0勝。そして、もうひとつの日本メーカーであるホンダは──。
ホンダのシリーズランキング最上位は、マルク・マルケスの14位だった。史上最強ライダーとされるマルケスでさえ、スプリントレースを含めて全40回設けられた表彰台には、3位の位置に4回立っただけだ。サテライトチームのアレックス・リンスが辛うじて1勝を挙げたものの、ホンダのファクトリーチームは強さと存在感を示せなかった。
「基本的には今までと同じシーズンになってしまいましたね。何かいいアイテムを見つけて、それを飛躍につなげて……ということをターゲットに’23シーズンを戦ってきました。もちろん、これまでの不発を踏まえてやり方は変えてきたつもりでしたが、自分たちが思っていたようなレベルにはまったく達していなかった」と語るのは、ホンダ・レーシング二輪レース部レース運営室長の桒田哲宏だ。
「そのことには、シーズン途中から気付いていました。『このままの延長線上で行っても、自分たちが立ちたい位置には届かない』と。だから『何か考え直さないといけないんじゃないか』『大きな忘れ物が、どこかにあるんじゃないか』と思い始めていたんです。’23年は、ある意味ずっと考え続け、反省し続けたシーズンでもありました。シーズン内でベストのリザルトを求めることはもちろんですが、一方で、’24年に向けて何をやるべきかも考えていた」
エンジン、車体、空力と各パートごとに個別の開発に終始していた
ヤマハへの取材でも解決しなかった「なぜ?」が、やはり頭をもたげる。ホンダやヤマハほどの優れた技術者集団が、なぜこれほどまでに問題解決に手間取っているのだろうか? 桒田は「個人的な見解ですが……」と言いながら、以下のように説明した。
マシンに、ある問題が起きたとする。例えばRC213Vの場合は、リヤのグリップ不足が取り沙汰された。これを解決するためには、一部のセクションを改良するだけでは足りない。マシン全体のパフォーマンスを高めなければならないのだ。
もちろんホンダは、常にそのようなつもりでマシン開発に取り組んでいた。しかし実際には、「グリップということは、車体の問題だよね」といった具合に、部分的な解決しか行えなかった。リヤグリップを高めるために全領域を見直す、といったやり方に到達し切れなかった──。
「ライバルはマシン全体を見通しながら、性能を上げていた。それに対して私たちは、部分部分での問題解決を試みていた。それがライバルの後塵を拝する結果を招いてしまったのではないか、ということです」と桒田。
「マシントータルでラップタイムを向上させるやり方を、見失っていたんですね。エンジン、車体、空力と全部を引っくるめて考えなければならないのに、各パートごとに個別の開発に終始していたんです。私たちの課題として、ここ何シーズンか『スイートスポットの狭さ』を挙げていました。コースによって得手不得手が出てしまい、成績が安定しなかった。その要因が、こういう個別の開発にあったのではないか、マシン全体のパッケージの作り込みが足りなかったのではないか、と」
桒田の説明は率直であり、整然としている。そしてヤマハの関が言った「ひとつのアイテムに問題があるわけではない。トータルパッケージとして、少しずつ不足していた」という言葉と、ほとんど一致している。
だからこそ、疑問はさらに深まっていく。日本メーカーは問題の根を冷静に見定めているのに、なぜそれが解決できないのか、という疑問だ。ホンダ・レーシング二輪レース部開発室長の佐藤 辰が言う。
「今まで私たちがずっとやってきた開発のやり方があるんです。それは成功体験として私たちの中にあって、そこに固執しすぎていたのではないかと思います。例えば空力パーツのように新しいアイテムが登場した時──、つまり今までの経験が通用しないような技術に向き合う時には、どうアプローチをしたらよいかをしっかり考え直さなければいけない。そういったプロセスが欠けていた」
これもまた、ヤマハの関の見解とまったく符合する。関は「数年前まで、我々も今までのやり方で勝てていた。その成功体験があったので、仕事のやり方をなかなか変えられなかった」と語った。
イタリアでは二輪の運動力学が学問として体系立てられている
成功体験の蓄積は、諸刃の剣なのだ。それは企業風土として根付き、開発の方向性を決める根拠となる一方で、強力な足かせにもなり得る。成功という“甘美な報酬”によって既成概念がどんどん強化され、それがやがて開発の可能性を圧迫し、狭めていく。
逆に言えば、現在のホンダやヤマハの「失敗体験」は、成功体験によって培われた社内の常識を突き崩し、新しい発想を生み出す源となり得る、ということになる。
だが、道程はそう容易なものではなさそうだ。佐藤が続ける。「二輪の運動力学を考える時、その学術的な蓄積が残念ながら日本にはほとんどありません。一方でイタリアでは二輪の運動力学が学問として体系立てられており、博士がいて、その下で学ぶ学生がいます。そして彼ら/彼女らが二輪メーカーのエンジニアになっていく、という文化があるんです。日本にはそういう文化的な背景がない分、どうしても技術のキャッチアップが遅れる、という面があったと思います」
さらに桒田が補足する。「コロナ禍で改めて気付かされたのは、ヨーロッパメーカーの地政学的な強みですね。皆さんからは、私たちホンダ対ヨーロッパ各メーカーといった、個別メーカー間のライバル関係が見えるのかもしれません。しかし、例えばイタリアンメーカーが相手だとすると、彼らは自国のイタリアだけではなく、EU圏内全体から技術やパーツを調達できるんですよ」
EU圏内には、数多くの二輪パーツサプライヤーが存在する。ある新パーツを開発しようとした時、選択肢は幅広い。となれば、スピードでも、コストでも、さらにはボリュームでも、圧倒的に有利なはずだ。佐藤は二輪運動力学の研究面において「ヨーロッパには文化的な背景がある」と指摘した。そして桒田は、具体的な開発面においても、やはり二輪文化が根付いているヨーロッパの有利を挙げるのだ。
どうやらこれは、とてつもない話だったようだ。「日本メーカーはなぜ勝てないのか」と疑問を持つ時、無意識のうちに「世界トップに君臨する日本メーカーが、なぜ」と考えていた。「本来は勝てるはずの日本メーカーが、なぜ勝てないのだ」と。もっとあからさまに言えば、「ヨーロッパメーカーに負けるはずがない。新しいアイテムの投入やシーズンの切り替わりやちょっとしたきっかけで、いつでも逆転できるはずだ」」と、心のどこかで思っていたのだ。
しかし、ヤマハやホンダの「敗戦の弁」を聞く限りでは、そう簡単な話ではまったくなさそうだ。桒田は、「ヨーロッパユニオン」という言葉をたびたび使った。日本メーカー対ヨーロッパメーカーの戦いではなく、日本メーカー対ヨーロッパ連合体の戦いだ、と。そしてヨーロッパには文化的学術的な下地があり、さらには地理的な有利さえもあることを思えば、これを跳ね返すのがいかに困難なことかが分かる。
「空力パーツをまた例に挙げますが、『とりあえず装着してみる』といったレベルの開発では勝負になりません。装着した結果、マシン全体にどのような影響が及ぶかを理解しながら、開発を進めなければならない。そういった時に、ヨーロッパには学術的な研究成果があるわけです」と、佐藤。
桒田が「大学などとコラボレーションしながら、そういった研究内容をうまく採り入れて開発を進めていくのが、ヨーロッパ勢のやり方なんです」と付け加える。「同じような形状の空力パーツを付けてみた」といった安直な戦いではないことが、よく分かる。そしてこういった基礎力の差が個々のアイテムについて起きているとしたら──。
「だからといって、ヨーロッパに依存するような方法にはしたくない」と、桒田が言った。「私たちは日本のメーカーですからね。日本の中でできる限りのことを最大限にやって、ヨーロッパ勢に対抗できるような体制を作っていかなければなりません」
これもヤマハの関が言う「彼ら(ヨーロッパ勢)の進め方をまるまるコピーするつもりもない。それぞれのよさを『いい所取り』しながら、ヤマハトータルとしてのベストを模索する」と、まるで示し合わせたかのように一致する。
ホンダとヤマハが共同戦線を張っているわけではない。しかし日本企業対欧州連合という図式の中で、それぞれに日本という国そのものが抱えている課題と向き合っている結果として、同じ言葉が並ぶのだ。
化粧直しで騙し騙し運用するのではなく、いったん取り壊して地盤から作り直す
思えば日本は人口1億2000万人の極東の島国であり、残念なことに二輪文化が深く根付いているとは言いがたい。一方のEUはほぼ陸続きの27ヵ国で構成され、総人口は約4億5000万人で、二輪文化の色も濃い。そう考えると、世界グランプリ史での日本メーカーの栄華がいかに奇跡的だったか、そして今の苦境から立ち直ることがいかに難しいかが分かる。
桒田は「『2年後、3年後に勝ちます』なんて悠長なことを言うつもりは、まったくありません。そんなことを目標にしていたら、ライバルに追いつくことすらできませんからね。当然今年、勝つつもりで臨んでいます」と力強い。
佐藤も「技術者である限り、ナンバー1だけをめざします。ドゥカティ+マルク・マルケスは、最強のライバルです。ここに戦いを挑めるのは、ある意味では大きなチャンス」と意気込む。そしてふたりのこの言いようも、「チャンピオンだけをめざしている」とするヤマハの関と共通している。
彼ら日本メーカーの技術者たちがよじ昇っているのは、恐ろしく低く、なのに恐ろしく厚い壁だ。コンマ数秒という極めて小さなタイム差を埋めるために、過去の栄光を忘れ、自分たちの常識を捨て、「仕事への取り組み」という極めて広範に渡る事柄を見直しながら、欧州連合と戦わなければならない。
その行程を想像すると、「今年の目標はチャンピオン獲得」と口を揃える日本メーカーの技術者たちは、いささか楽観的なようにも見える。「技術力を高める」という目的は昔から同じでも、そのための基礎力が根本から問われているのだ。老朽化しつつあるビルを外壁の化粧直しで騙し騙し運用するのではなく、いったん取り壊して地盤から作り直す、という話である。
しかしMotoGPという競争に打って出る限り、彼らとしては常に「チャンピオンをめざす」と言わざるを得ない。頂点をめざすことでしか、得るものがない場だ。だからこそ戦いは厳しく、試練と忍耐の地盤改良はしばらく続くだろう。
だが、この恐ろしく低くて厚い壁を乗り越えた時に、日本メーカーは新しい地平に到達するはずだ。そしてMotoGPの勝利のみならず、未来の日本の二輪メーカーの、ひいては日本企業の、あるべき姿を見せてくれるに違いない。
’49年からの世界グランプリ史において、最高峰クラスのライダータイトルをホンダは21回と最多獲得している。ヤマハは18回で、MVアグスタと並ぶ2番手。ドゥカティは3回、アプリリアとKTMは無冠だ。
時代が変わり、今までの方法論が通用しなくなり、いかにヨーロッパ勢が有利だとしても、過去の栄光が日本メーカーの底力として逞しく息づいていることを示してほしい。「彼らなら、この新しい挑戦にも打ち克つだろう」と、楽観的に信じながら、その時を待ちたい。
HONDA RC213V[2023]Special Graph
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