バイクや自動車の純正マフラーや金属、樹脂部品の製造を行う独立系部品メーカーである三恵技研工業では、1970年代に発売されて今なお絶版車市場で高い人気を誇るホンダCB400FOUR用マフラーを数量限定で販売する。純正パーツ製造メーカーが当時の図面や製法で忠実に再現した復刻マフラーは、リプロダクトパーツでありながら令和の純正部品としても大いに注目を集めている。この製品が誕生した経緯と昭和と令和のモノ作り、またこのマフラーを販売する絶版車専門店ウエマツの声を通じて、流麗なフォルムとクロームメッキの輝きも美しい4into1誕生のエピソードをお届けしよう。
ヨンフォア用マフラー再生産、その意義と目的
数ある絶版車の中でも、中型クラスで圧倒的に高い評価を得ているホンダCB400FOUR(以下ヨンフォア)。既存モデルであるCB350FOURをベースに排気量を拡大した408ccエンジン(後に398cc版も追加)と、低いハンドルと虚飾を排したスポーティな外装が作り出すカフェレーサースタイルで、1974年に登場するやいなや当時の400ccクラスでたちまち人気モデルとなったエポックメインキングな1台である。
そのヨンフォアを象徴するパーツのひとつが、4本のエキゾーストパイプを1本に集合させた4into1マフラーである。4気筒エンジンの集合マフラーは現在では当たり前のパーツだが、ヨンフォアがデビューした当時、レース用やカスタムパーツの一部で集合マフラーを除けば、4気筒車のマフラーは4本というのが定番だった。
そのマフラーを純正部品として製造していたのが、ホンダ車を中心にメーカー純正マフラーやフレーム部品の製作を行う独立系部品メーカーである三恵技研工業株式会社(以下三恵)だ。その三恵がヨンフォア誕生から半世紀を経た2024年、なんと新車当時に装着されていたのと寸分違わぬ4into1マフラーを限定生産するという。
バイクを維持し後世に残すためにはさまざまな補修部品が不可欠であり、ある程度の機能部品に関してはバイクメーカーが供給を行うこともある。だが製造から長い年月を経た絶版車の場合、販売終了となる部品も多い。特に燃料タンクやマフラーといった大物外装パーツについては、車両生産と販売が終わると比較的早くに販売終了となる例も少なくない。もちろんヨンフォア用純正マフラーも、ホンダからの部品販売はすでに終了している。
それがなぜ今、再生産となるのか。そこには二つの要因がある。ひとつはユーザーの声。国内外を問わずヨンフォアは今も人気が根強く、市場にも一定数が残存しており、絶版車全体の純正嗜好の高まりというトレンドにもマッチする。そしてもう一つは、三恵社内でのモノ作り、技術継承という目的である。
1980年後半頃から工業製品の開発製造現場に3DやCADが本格導入されて以降、いわゆる「モノ作り」の様相は一変し、現在では試作から性能評価まですべてバーチャルで進行するのが当たり前となっている。試作品を製作する段階では細部まで仕様が決まるため効率は良いが、パソコンの前でキーボードやマウスを操作して行う開発には、モノ作りに対する実感が得づらいという側面があることは否定できない。
特に三恵のような部品メーカーにとっては、相手メーカーから送られてくる図面通りの製品を作るだけでは、自社の問題克服や解決能力を鍛える機会が減少してしまうという問題も生じてくる。皆で試行錯誤して製品を開発してきた歴史を知る社員が会社を去れば、その技術も途切れてしまう。そうした有形無形の資産やノウハウこそモノ作りを行う企業の財産であり、「温故知新」の精神に照らしても最適であると判断されたのがヨンフォア用マフラーの再生産だった。
ホンダとの協業で誕生したヨンフォア用4into1
絶版車市場での人気と三恵社内のモノ作り文化継承の温故知新精神から、ヨンフォア用マフラーの再生産プロジェクトがスタートしたのは2021年末。市販車初の4into1マフラーを装着したヨンフォアが市販化されたのは1974年末のことだが、ではその当時はどのようなプロセスでモノ作りを行っていたのだろうか。
ヨンフォアのスタイリング開発に当たったのはホンダのデザイナーである故・佐藤允弥氏。それまでのCBシリーズのスタイルを刷新して俊敏なイメージを全面に押し出す中で、マフラーは独立した4本タイプではなく4into1に、サイレンサーは左右半割のパーツを中央で溶接するモナカ合わせタイプではなくテーパー巻きにしたいという希望がレンダリングにも描き込まれている。
だが意外なことに、エキゾーストパイプのレイアウトや集合部分のデザインといった具体的な部分に関してはホンダから図面が提出されたわけではなく、三恵の技術者が試作を通じてモノ作りを行い、図面を制作した上でホンダのデザイナーやエンジニアと打ち合わせを繰り返しながら開発を進行したという。
例えば、エンジン右側のクラッチカバー下でエキゾーストパイプが4本並ぶ集合部分は、当初三恵の技術者は4本をまとめる方向で開発を進めていたという。ところがヨンフォア用エンジンのベースとなったCB350FOUR用のオイルパンは下方への出っ張りが大きく、エキゾーストパイプをエンジン下でまとめると最低地上高不足となってしまう。後のCB550FOUR-Ⅱでは右側ステップ下に集合部を配置したが、ヨンフォアでそのレイアウトを採用するとコーナリング時のバンク角が不足してしまう。そこで窮余の策でたどり着いたのが、フラットなグローブ型の集合部形状だった。
一方で、CB350FOUR用オイルパンのままではどうしてもマフラーと干渉してしまう部分については、ホンダのエンジニアがオイルパン形状を変更してくれたという。ヨンフォア用4into1の集合部分はこのマフラーを象徴する部分だが、実は三恵の技術者が試行錯誤の結果として作り出した形状だったのだ。
集合部分からテールエンドまでなだらかなテーパー角が与えられたサイレンサーもまた、三恵技術者の努力の賜物である。軽快かつスポーティなイメージを追求するヨンフォアには、モナカ合わせよりテーパーサイレンサーの方が似合うとデザイナーからリクエストがあったものの、当時の三恵ではこれほど長いテーパー巻きパイプの製作実績がなかった。
そこで技術者はテーパー巻き用の治具製作から始め、徐々に長いパイプを巻く技術を獲得しながらデザイナーの希望に応えるサイレンサーを具現化し、これが量産市販車初の装備となった。1970年代初頭に丁々発止を繰り返しながら行われてきた昭和のモノ作りは、当時の技術者とデザイナーとの打ち合わせ議事録にも克明に記録されていたそうだ。
スタイリングの核心部分はホンダのデザイナーが行い、仕様を含む具体的なマフラーの構造は三恵が担当する形で誕生したヨンフォア用マフラーがきっかけとなり、ホンダは三恵をマフラーメーカーとして承認し、マフラー本体にはHONDAと別にSANKEIのロゴマークが刻印されることとなった。
ちなみに今も使われているSANKEIのロゴマークは、ヨンフォアをデザインした佐藤氏が三恵技術陣の労をねぎらう意味で個人的に制作してくれたものなのだそう。現在に続くSANKEIの書体が、ヨンフォアのサイドカバーの400FOURの文字とどこなく似ているのにもそうしたエピソードがある。三恵にとって、ヨンフォア用マフラーは受注発注の関係性から作られたひとつの部品というだけでなく、自社が積極的に開発に関与したという点でエポックメイキングな存在なのだ。
完全再現のために細部までこだわり抜いた技術陣
ヨンフォア用純正マフラーはホンダから承認を受けた三恵の製品ではあるものの、現在はホンダの純正部品として販売されていない。三恵社内で復刻の機運が高まったといえ、販売終了となった純正部品が再び販売される例は希有である。特に三恵は現在でもホンダ車用純正パーツを製造する部品メーカーであるから、もちろん今回のプロジェクトはホンダとも情報を共有して行っている。
一般論として、発売から長い時間を経過した純正パーツの需要は徐々に低下する。新車発売当時に年間1000個売れていたものが20年後に50個しか売れなくなった場合、車両メーカーはともかく、その部品を納入するメーカーが50個のために生産設備を維持することは生産コスト上昇に直結する。その分を純正部品代に転嫁できれば良いが、バイクメーカーが設定する純正部品価格では部品メーカーが対応できなくなる場合もある。
いくら人気があるとはいえ、市場に残存しているヨンフォアの台数と需要を想定すれば、ホンダ自体が純正部品として販売することはあり得ないレベルにしかならない。だからこそ今回はホンダから承認を得た上で三恵が自社で販売する枠組みが成立したのだ。
今回製造する300セットという数量は、量産メインでマフラー製造を行う三恵にとっては非常に少量である。ただ、単にビジネスというだけでなく「温故知新」というメーカーをかけて行うテーマがあるが故に実現したともいえる。ただしホンダの承認を得てホンダのロゴを付けて販売する純正部品である以上、エンドユーザーからのクレームでホンダに迷惑を掛けることはできないというプレッシャーは強かったそうだ。
純正部品を製造するための金型は2009年に既に処分していたため、ヨンフォア用マフラーを製造するにあたり、まず最初に開発陣が探したのは当時の図面だった。現物を3Dスキャニングしてデータ化するリバースエンジニアリングのような手法も考えられるが、前項で説明したとおりこのマフラーは三恵で設計し作図も行っているため、完全復刻のためには図面にさかのぼるのが最善策である。
幸い図面は発見したものの、現代の技術者にとってはコンピュータも3Dも存在しない時代に描かれた二次元の図面をどう読み解くかが課題となる。設計図には各部の寸法は記載されているが、三次元曲面は表現されていないからだ。1970年代当時は、図面を元に製作した木型をデザイナーの元に持参し、デザイナーの感性を加えて検討を重ねて形状を決めていくのが一般的だったのだ。
ここで役に立ったのが、当時の量産装着マフラーを3Dスキャンして製作したCADデータである。二次元の図面とCADデータを比較対照することで図面から立体のイメージを膨らませて、半世紀以上前のデザイナーと技術者の感覚と感性の再現に挑戦した。
それでも試作金型では当時の製品が持つ微妙な形状を完全に再現することができず、金型の修正を幾度か行ったが、SANKEIとHONDAのロゴマークを入れる以上、車体各部に干渉せず装着でき、マフラーとしての機能を満たせばそれで良しというわけにはいかないという責任があった。
当時の純正マフラーの完全復元をテーマに開発を行うにあたり、当時よりも技術や加工が進化したために突き当たる難関もあった。そのひとつがエキゾーストパイプの内部構造である。
クロームメッキ仕上げのエキゾーストパイプは、排気熱で表面処理のメッキがダメージを受けないよう、シリンダーヘッド側から一定の距離を二重構造としている。それ自体は昔も今も変わらないが、複数のパーツを溶接して1本のエキゾーストパイプを製造していた1970年代当時は高温部分には二重パイプを使用して、途中からは異なる金型で曲げた一重のシングルパイプを溶接していたのに対して、現代的な製造方法ではエキゾーストポートから集合部まで二重パイプのまま連続的にNCベンダーで曲げるため、パイプの途中で二重を一重に変更することができない。
二重パイプかシングルパイプかを外から見て判断することはできない上に、エキゾーストパイプ全体が二重パイプになることはメッキの耐久性向上にもつながることから、開発陣の中には全面二重パイプでも良いのではないかという意見もあったものの、製造部門が納得せず製法を工夫してウルトラCクラスの手法で途中までの二重パイプを実現した。
一方、当時とは風合いが異なるという理由から問題となったのがエキゾーストパイプ集合部分。当時も現在も、集合部分は素材板をプレスで成型して溶接したパーツを下地研磨することなくクロームメッキ処理しているのだが、素材自体の品質が向上したことで現代版はメッキ後の光沢が良くなってしまったという。
クロームメッキが輝くことに不満を抱くユーザーは少ないだろうが、開発陣の中からは当時の純正部品はこれほどツルツルでピカピカではなかったという声も上がったそう。ただしサンドブラストやショットピーニングなどの後処理で表面を荒らすのも不自然だろうということで、素材には手を加えずクロームメッキを施している。
テーパー形状のサインサーボディとサイレンサーエンドピースの溶接ビード幅も、1970年代当時の製造部門がこだわったポイントだ。デザイナーの佐藤氏はこの部分の継ぎ目が見えないよう溶接痕を研磨して仕上げるよう指示したものの、素材の肉厚が薄いため研磨時の熱でボディやエンドピースがどうしてもゆがんでしまう。
であるのなら、その代わりに溶接痕を処理せず見せる溶接とし、溶接ビードを限りなく狭くしたいとのデザイン要望に対して、三恵技術陣は日本メーカーだけでなく海外メーカーからも溶接機を取り寄せて狭いビードを追求した。そのこだわりは今回再生産されるマフラーにも受け継がれており、一般的な市販車用マフラーよりはるかに狭い溶接ビードを実現している。
余談だが、この溶接ビード幅はヨンフォアが新車で製造されていた際のマフラーと後年部品として販売されていたマフラーを見分けるポイントのひとつとなる。新車の製造中は三恵の工場にもヨンフォアマフラー用の製造ラインがあり、海外メーカーの溶接機で狭いビード幅の溶接を行っていた。しかし新車の製造が終了して補修部品扱いになると製造ラインがなくなり、量産時とは異なる溶接機が使われるようになるため、ビード幅も新車装着時のマフラーより広くなっているのだそう。
多段膨張型サイレンサー内部の隔壁(セパレーター)を貫通するパイプの太さや長さ、位置に関しても設計図通りに再現し、内部の防錆ペイントも当時と同じものを使用している。1974年当時の新車の排気音をはっきり覚えているライダーは少ないだろうが、そのサウンドは程度の良い当時モノよりも明らかに静かで、メンテナンスの状態が良くない車両では排気音よりもエンジンノイズの方が気になることもあり、これが純正新品マフラーの音なのかと感動を覚えるほどだ。
19万8000円は超バーゲンプライス! 限定300本を見逃すな
社内に半世紀前の製造図面があり純正マフラーを製造していた実績があるからといって、当時と同じ製品が簡単にできるわけではないのはここまでで説明してきた通り。メーカーの威信をかけて、と言うと大げさすぎるかもしれないが、昭和と令和であまりにも大きく変わりすぎたモノ作りの現場で温故知新をテーマに完璧な純正マフラーを復刻した三恵の開発陣は賞賛されるべきだろう。
ただし企業である以上、崇高な理念の前に経済的合理性をないがしろにすることはできない。そこで導き出されたのが「製造数300本」「税抜価格19万8000円」という二つの数字である。工業製品は一般的に生産量が増えるほど単価は安くなるものだが、いくらヨンフォアに人気があるといえ、何年にもわたり数万台レベルで製造されるニューモデルのマフラーとは比較にならない。
製造現場の事情としては、製造数が増えると素材成型用の金型を量産対応とする必要があり、そうなるとさらに大量に製造しなければ製品価格の上昇につながるジレンマが生じてしまう。そうして品質とコストのバランスを考慮した上で算出したのが、300本の製造数と19万8000円(税抜)という価格だった。参考までに、2020年前後のホンダCB400スーパーフォア用純正エキゾーストパイプ+サイレンサーの新品価格が22万円超であり、ネットオークションでヨンフォア用純正中古マフラーが10万円以上でやり取りされていることを思えば、ユーザーからすればバーゲンプライスと言って良いだろう。
また今回のヨンフォア用復刻純正マフラーはホンダの純正部品網ではなく、三恵が直接販売を行う。とはいえ三恵は製造メーカーであり販売部門を持たないため、いくつかのショップが販売を担当する。そのひとつが、30年以上に渡り絶版車を取り扱ってきたウエマツである。同社にとって、中型クラスを牽引する人気モデルの筆頭株であるヨンフォアの取り扱い実績が豊富な機種であり、飾り物や転売目的ではなく、実際に車両に装着してサウンドとスタイルを楽しんでもらいたいという三恵と思惑が一致した。
絶版車市場で人気のある機種には、必ずライダーの目を惹きつける独自の個性があるものだ。スタイリッシュなカフェレーサースタイルで一世を風靡したヨンフォアにとっては、市販車初の4into1は欠くことのできないアイコンである。昭和のデザイナーの感性と職人たちの技術を完全に再現した令和生まれの純正マフラーは、ヨンフォアユーザーのみならずモノ作りの継承という観点からも価値ある逸品となるだろう。
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