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[画像 No.7/7]ラスボス・ケニー校長のバイク馬鹿一代

ケニー・ロバーツ|インタビュー|ラスボス・ケニー校長のバイク馬鹿一代
Kenny Roberts/1951年12月31日生まれ アメリカ出身 ヒザ擦りハングオフを筆頭に、スリックタイヤの導入など現代のロードレースで一般的となったライディングスタイルを確立したのがケニー・ロバーツだ。AMA(全米モーターサイクル協会)グランドナショナル選手権において’73年当時で史上最年少の21歳でチャンピオンとなった成績を皮切りに、デイトナ200マイルレースで3度の優勝(’78年、’83年、’84年)のほか、WGP500でもデビュー後3年連続チャンピオンという偉業を達成し、日本でもケニー・ロバーツのファンになったライダーは多い。’83年のWGPはフレディ・スペンサーの台頭により激闘を繰り広げ、2ポイントの差で2位に甘んじ、その後WGP引退を宣言。以降はチーム監督や後進を育てる指導者として手腕を発揮している。
頂点を極め、ロードレース史にその名を刻みつけた男たち。荒れ狂う2スト500ccのモンスターマシンをねじ伏せ、意のままに操った彼らのスピリッツは、現役を退いて時を経た今もなお、当時の熱を帯びている。伝説の男たちが生の声で語る、あのライディングのすべて──。ヤングマシン’12年11月号掲載の「THE CHAMPION TECHNIQUE」復刻インタビューの最後を飾るのは、“キング”ことケニー・ロバーツ […]
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