ホンダ二輪の”生き字引”勇退す

諸先輩の言葉に宿るホンダフィロソフィー【ホンダ高山正之のバイク一筋46年:最終回】

  • 2020/7/3
ホンダ高山正之のバイク一筋46年

ホンダ広報部の高山正之氏が、明日’20年7月4日に65歳の誕生日を迎え、勇退する。二輪誌編集者から”ホンダ二輪の生き字引”と頼りにされる高山氏は、46年に渡る在社期間を通していかに顧客やメディアと向き合ってきたのか。これを高山氏の直筆で紐解いてゆく。そして、いち社員である高山氏の取り組みから見えてきたのは、ホンダというメーカーの姿でもあった。 連載最終回は、高山氏にとっての”ホンダ”とは何か、これまでにめぐり逢った先輩諸氏の言葉を紡ぐことをもって結びとしたい。

ぼくにとってのキラキラ星はホンダで輝いていた

中沖満氏著作の「僕のキラキラ星」に出会い、バイクとの関わりがより深くなったと思います。中沖氏は、これまで出会ったバイク達をキラキラ星と呼んでいますが、私にとっては諸先輩達がキラキラ星です。

私の記憶に残る諸先輩がくれた名言を紹介します。


狭山工場時代の班長

「お前のツナギはなんでこんなに汚れているんだ。先輩を見ろ。きれいなもんだ」
「ちゃんと仕事をしているから汚れるんです」
「作業着が汚くなるのは、何か原因があるからだ。造っている車に汚れをつけるな」
良い製品は綺麗な職場から生まれるという考えが、現場の末端までブレずに浸透していました。

原宿時代の本部長

「高山君。君は誰から給料をもらっているのかね」
「はい、毎月25日に会社からもらっています」
「ばかもん。給料はお客様が買ってくれたバイクや部品、四輪車の儲けから出ているんだ。給料は、お客様からもらっていると覚えとけ」

「本部長、どちらの案がいいでしょうか」
「A案はここがいいけど、B案はこの点が気にかかる。ところで高山君はどう思っているのかね」
「わからないから聞いているんですけど」
「俺は意見を述べた。あとは自分で決めなさい」

「レースは勝ったり負けたりが当たり前。最後に強いホンダを印象づけられればそれでよい。巨人が9連覇した時には巨人ファンも離れてしまった。勝ちすぎは良くない。このことを忘れないように」

原宿時代の先輩

「高山君。こんなにいい天気なのに、机にしがみついていいのかね。もっとやることがあるんじゃないの」
「実は、飯能方面の林道を走って地図を作りたいんですが」
「じゃ、行ってこい。課長と部長には自分から話しておくから」

「柔道は、投げることよりも先に受け身を学ぶよね。バイクも同じで、転ぶと痛いので転ばないようにするけど、それではダメ。転ぶことを学ばないから、ダンプにぶつかって入院するんだ。明日は雨だから、桶川のモトクロス場で特訓だね」
翌日は先輩と雨の中でさんざん転倒を味わい、バイクをコントロールすることを学びました。

福井威夫社長

「福井社長、おはようございます」
「おい、俺は社長だけど福井さんだ」
「すみません。福井さん」
エレベーターに乗り合わせた社長の福井さん。ホンダで働く人は皆平等という理念の下、「さん」づけが社長にも徹底されていました。

金澤賢HRC社長

「この展示内容で報道は喜んでくれるのかね」
「ワークスマシンは機密が多いので、部品展示はこれが限界と聞いています」
「俺が報道だったら面白くないね。海外からも来るんだから、この際、すべて見てもらいましょう」
「はあ。それは喜ぶと思いますが、大丈夫ですか」
RC211Vのエンジンを分解してお披露目した前代未聞の報道向け展示では、シリンダーヘッドやクランクシャフトなどエンジン主要部品が台に並べられ、撮影も可能でした。

ホンダ高山正之のバイク一筋46年

2006年9月22日、日本GP期間中にホンダはRC211Vの全容を公開。’02年からの4ストローク990ccが翌年から800ccに変更されるタイミングで、ホンダはこの990cc最終年に、ヤマハに奪われていたタイトルを奪還した。

本田宗一郎最高顧問

「本田さん、これが本日発表のヘルメットが入る50ccのメットインタクトです」
「じゃ、こっちのバイクは何cc?」
「はい、750ccのスポーツバイクです」
「このバイクには、ヘルメットが何個入るのかね?」
 「1個も入りません……」
青山を訪れた本田宗一郎氏の冗談とも本気とも取れる発言に、我々は翻弄されました。

ウエルカムプラザ青山の所属長

「金はないぞ。残業もできないぞ。でもアイデアは無尽蔵だ。高山君」

広報部の先輩

「広報は広く報(ほう)じるというが、自分は、広く報(むく)いることだと思っている」

木村譲三郎氏(初代スーパーカブC100のデザイナー)

「君は、本田宗一郎が魂を込めて造り上げたスーパーカブの歴史を捻じ曲げるのか。私は君しか知らん。だから君に正しい歴史を残してほしいと願っている」
自宅で2時間ほど説教された記憶は鮮烈です。

吉野浩行社長

「私は、販売店様にこんな生ぬるい挨拶などしたくない。もっと厳しい話をしなければならないと思う。それが私の役目だ」
私が作成した販売店大会用の挨拶原稿を見て怒り心頭の吉野社長。’90年代末、店舗運営において改善すべき点がたくさんありました。


諸先輩からの話は、今でもその当時の状況が鮮明に記憶されています。果たして私は誰に記憶に残る話をしてきたのだろうか。私は無口な広報マンですから、名言よりもたくさんの本の中に伝えたいことを記載いただきました。それらの本は、時代が変わってもホンダの生きざまを語ってくれるものと思います。23年に渡りPRに携わってきたスーパーカブは、創業者である本田宗一郎と藤澤武夫両氏による渾身の製品です。この製品には、ホンダの夢、アイデアやチャレンジ、そして宣伝や広報活動のソフト領域から営業・サービス活動までも巧みに取り入れた、まさにホンダを映す鏡というべき存在です。スーパーカブから学んだことは、書籍やWeb、そしてTVなどで残してきました。いつかそれらに接していただける機会がありましたら嬉しいかぎりです。

終わりに、叱咤激励してくださった多くの方々と、長きに渡り支えてくれた、かみさんに感謝いたします。これからも相棒であるスーパーカブとの付き合いは長く続きそうです。皆様にとって楽しいバイクライフになりますよう願っております。

ホンダ高山正之のバイク一筋46年

愛車のスーパーカブ110に乗って高山氏の旅は続く。高山氏60歳の定年は、2015年に朝霞の2輪R&Dセンター(現ものづくりセンター)で迎えた。ホンダでは製作所と研究所はユニフォームが貸与されるので、「最初の狭山工場と同じ白いユニフォーム姿で終えられたのは、幸せなことだった」と高山氏は振り返る。そして明日7月4日、ホンダを勇退する。

ホンダ高山正之のバイク一筋46年

ヤングマシン連載「ぼくのきらきら星」(’78年5月号~’80年7月号、全25回)は、中沖 満氏(人物右側)が、わたびき自動車の名塗装職人として活躍する傍ら執筆、作画された。中沖氏が終戦直後の中学時代から48歳になるまで、主に’50~’60年代に出会ったバイク(=キラキラ星)や仲間たちとのバイクライフが生き生きと描かれていた。

ホンダ高山正之のバイク一筋46年

本記事トップおよびこの写真は、’20年6月30日に実施されたVFR750R(RC30)を対象とした「リフレッシュプラン」説明会でのもの。高山氏にとって最後の公の場になったことから、退職の挨拶の時間が設けられた。「これまでゆっくりと休めなかったので、私もリフレッシュプランに入ります」と、笑いを誘いつつメディア関係者との別れを惜しんだ。

ホンダ高山正之のバイク一筋46年

【高山正之(たかやま・まさゆき)】1974年本田技研工業入社、狭山工場勤務。’78年モーターレクリエーション推進本部に配属され、’83年には日本初のスタジアムトライアルを企画運営。’86年本田総合建物でウェルカムプラザ青山の企画担当となり、鈴鹿8耐衛星中継などを実施。’94年本田技研工業国内二輪営業部・広報で二輪メディアの対応に就き、’01年ホンダモーターサイクルジャパン広報を経て、’05年より再び本田技研工業広報部へ。トップメーカーで40年以上にわたり二輪畑で主にコミュニケーション関連業務に携わり、’20年7月4日に再雇用後の定年退職。【右】‘78~’80年に『ヤングマシン』に連載された中沖満氏の「ぼくのキラキラ星」(写真は単行本版)が高山氏の愛読書で、これが今回の連載を当WEBに寄稿していただくきっかけになった。

●文/写真:高山正之(本田技研工業) ●写真:柴田直行(トップ写真) ●編集:市本行平(ヤングマシン) ●協力:本田技研工業/ホンダモーターサイクルジャパン

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