’92年の全日本TT-F1は塚本昭一のZXR-7が制した。カワサキのマシンがトップレベルに達しているのは間違いなかった。そして’93年、TT-F1ラストイヤー。カワサキが本気で8耐を獲りにいく。
※ヤングマシン2016年8月号より復刻
運があった。確かにそうだが、それだけでは勝てない
決してラッキーではない。周到な準備を重ねた結果の勝利だった。
――カワサキは、国産4メーカーで唯一、8耐優勝の経験がなかった。’83年の2位(ラフォン&イゴア組)が最高位で、’84〜’86年にはワークス活動も休止。だが、8耐優勝という悲願は変わらずに抱き続けていた。
長年、採用されてきたTT-F1レギュレーション最後の8耐となる’93年。年が明けた1月からカワサキは早くも本格的なテストを開始する。
ライダーは、前年にもカワサキから出走したラッセルとスライト。AMA ライダーのラッセルは8耐ウィークまでに豪州で1回、日本で3回のテストをこなし、AMAの日程を縫って鈴鹿200kmにも参戦した。同じくスライトも鈴鹿200kmまでに2回のテストに参加。さらに、’92年からカワサキ入りした全日本王者の宮崎祥司らがマシン開発に携わった。
前年まで他をパワーで圧倒したZXR-7は、中低速レスポンスの向上や、耐久仕様のハンドリングに仕上げることを重視。クイックリリースなど耐久特有のパーツの信頼性も上がり、ピット作業のスピードが短縮された。
決勝では、3連覇を狙うドゥーハン&ビーティ、日本人ペア初優勝の期待を背負う武石&岩橋といったホンダ勢に続く、3番手から発進。序盤はトップ争いに絡むもホンダ勢に先行を許してしまう。だがホンダ勢が次々と転倒。代わってトップに立った永井&藤原のヤマハもトラブルで脱落していった。こうして5時間44分、ペースを弛めず力走を重ねてきたラッセル&スライト組が先頭に躍り出る。結局一度のトラブルもなく、8時間を無事走り切った。’78年の第1回大会から16年目、ワークス復帰から7年目にしてつかんだ、まさに悲願の初勝利である。
最大の勝因はノントラブルで走り続けたこと。単純だが、8耐というハードなステージでは決して一朝一夕にできることではない。そこには、去りゆく一時代の最後に何としても初勝利を飾るという強い意志があった。有終の美を飾ったカワサキに対し、表彰式では、メーカーの垣根を超えた惜しみない賞賛と拍手が贈られた。
THE WORDS 荒木利春氏/前田和宏氏「マシンの出来がよくないと、誰が乗っても勝てない」
カワサキ唯一の8耐優勝車、ZXR-7。その開発に携わったおふたりに、当時のお話を伺った。なぜ、勝ったのがあの年だったのか――。
失われたマシン開発のノウハウを取り戻すのが出発点
――過去にカワサキが鈴鹿8耐を制したのは、’93年の一度きり。その座は、茨の道を乗り越えようやく勝ち得たものだった。優勝マシンのZXR-7は’87年の全日本ロードレース選手権の第3戦・菅生でデビューを果たし、7年間の熟成を経て大願を成就させた。その変遷を、当時の開発陣である前田さんと荒木さんにうかがった――。
YM――そもそもZXR-7が誕生したきっかけは?
前田――ご記憶されている方がいらっしゃるかもしれませんが、カワサキのワークスチームは’84〜’86年の3年間は表立ったレース活動を、諸般の事情により、やむなく休止していました。ただレース好きの人間はカワサキに多くいて、現場はもとより上層部にもレース活動の再開を望む声が根強くありました。それを受け、少しずつレース活動を始めようとしていたのが’86年の夏ごろです。レーサーのエンジン自体は欧州に供給していたり、エンジンチューニングは部内で続けていたりしましたから、ベースのエンジンはレース向けに開発された’86年型GPX750Rを選び、あとは私が担当の車体を作るだけでした。しかしたった3年間の休止とはいえ、マシン作りのノウハウは失われていましたから、周囲のスタッフに話を聞きながらZXR-7の開発を行う状況でした。
まず目指したのが“軽くて剛性の高い車体”です。そこで、俯瞰したときに卵のようなフレーム形状をアルミで作ったら……と発想したのが、E-BOXフレーム。これが’86年の終わりごろ。
YM――ZXR-7のデビューは’86年全日本の開幕戦が過ぎた菅生戦から。そのタイミングで出場した狙いは?
前田――当時のレギュレーションだったTT-F1の全日本で走らせる目標だけがあって、どのラウンドで出場するとか鈴鹿8耐も出るとかまで決めていませんでした。’87年4月に、岡山県の中山サーキットで宗和孝宏が完成車をシェイクダウンして、出場の目途が付いたのが菅生戦でした。
YM――なるほど。一方、荒木さんの当時のご担当は?
荒木――私は’91年からZXR-7に関わり、エンジン開発を主に担当していました。ZXR-7のベースエンジンはGPX750Rから始まっていますが、私は2代目のZXR750からですね。当時印象的だったのは、市販車を開発する量産グループとの折衝です。市販車のZXR750からZX-7Rに変わるとき、量産グループから相談を持ち掛けられました。具体的には動弁系をロッカーアーム式からタペット式にする際のエンジンレイアウトについてです。基本レイアウトはいじれませんが+αのところでエンジン性能を追求するためにはどうしたらいいのかというところの煮詰めです。レースで使うエンジンは市販車がベースですから、基になるエンジンの素性がよければ、レースエンジンの開発にも有利ですから、こちらはそういう要望を量産グループにお願いします。ただし、量産グループは公道での扱いやすさという観点でも車両を作らないといけませんから、設計の主導権は向こうにあります。そのため過去には、市販車が初めからこうだったら、もっとレースでいい状態に持ち込めたろうなというところが少なからずありました。
前田――シリンダーのボアについても1mmサイズを変える、変えないで、よくやりあっていたことも聞きます。
YM――前田さん担当の車体設計でも量産グループとの関わりが?
前田――例えば初期のZXR-7のフレームはアルミのプレス部材でできていて、それを溶接します。弊社にある板金工場の施設を利用して、アルミのプレス部材を適切な形に整えて溶接するのですが、そのままだと溶接長が長くなり、ZXR750の量産には向きません。ですからどうすれば溶接長を短くできるかや、フレームの絞りの型をどう浅くできるのか、なんてことをZXR750の開発時によく話していたことを覚えています。
「トップスピードで負けないことがまず重要」
YM――最終的には’93年鈴鹿8耐で優勝をつかみ取るわけですが、すでに’92年のマシンでもストレートは速かった印象があります。どこかでブレイクスルーがあったのですか?
前田――勝てない時代に色々なテストを行ったり、様々な価値観のライダーの意見を聞いたりして経験値を積み重ねていただけで、何かが極端に変わったことはありません。でも、しいて言うならいくつかポイントがあったと思います。一つ目は目標を明確にしたこと。それまでは全日本を毎戦続けていくなかで8耐があるとの位置づけでした。そこで最終目標を8耐に据え、一年間の全日本をどう活動していくのかと、考えるようになりました。その一環として洗練していったのが、耐久用の給油機構やタイヤチェンジャーなどの装備です。もちろんメカニックたちの作業効率の見直しもありました。エンジンの仕様を決める際も、スプリントの全日本とはいえ耐久性もおろそかにしないというふうな感じです。
二つ目は、ある時期からこれまで勝てなかった要因をもう少し数字でとらえて分析していくことでした。エンジンはどこが悪いのか、人員を配置してコースの区間タイムを計測して検討。併せてサスペンションの計測も行いました。ライダーは自分が感じたことを率直に伝えてくるものですが、ある状況下でライダーはサスペンションが沈むと言っても、計測してみると沈んでいないということがよくあります。そこに計測データがあるとライダーも納得し、じゃあ次はこちらの方向を試そうと、問題解決に向かって話しを進めやすくなりました。さらにエンジン搭載位置も重要で、クランクセンターを車体のどこに配置するとよくなるのか、その際のスイングアームピボットの高さをどうするかという試行錯誤が大いに役立ちました。
三つ目は、弊社のインターン事業活動です。2輪開発だけの分野で閉じこもっているのではなく、川崎重工の他の部署で勉強しなさいという制度で、私は岐阜工場に出向して空力の勉強をしたり、カーボン製品の使い方を学んだりして、ZXR-7の開発に役立てました。こういった要因が’93年の8耐優勝につながったのだろうと思います。
――そして今(2016年当時)。ZX-10Rは’15年のスーパーバイク世界選手権(WSBK)王者であり、新型マシンとなった’16年シーズンもランキングの1位/2位を快走中だ(14戦中7戦終了時点)。’93年もそうだった。国内タイトルを獲得するなど、マシンの速さに疑いはなかった。万全の耐久対策で実力を発揮しさえすれば、あるいは今年――。
“8耐整備”にも力を注いだ
迅速なタイヤ交換を実現するエアジャッキや前後ホイールの着脱を容易に行えるクイックリリースなどの耐久装備も8耐には欠かせない。リヤスプロケは後輪を外すとスイングアームに残る構造を採用して作業効率を高めている。
●文:高橋 剛/飛澤 慎/沼尾宏明/宮田健一 ●写真:鶴身 健/長谷川 徹/真弓悟史
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