スズキGBが2月1日に発表したところによると、2018年11月17~21日に英国バーミンガムで開催されたMotorcycle Live(モーターサイクルライブ)において、スズキは“ベストマニュファクチュラー=最高のメーカー”のプライズを手にすることになった。これはスズキが推進した『G-54』のレストアプロジェクトが投票を集めた結果であり、2年連続での栄誉となる。
元GPテクニシャンの手で復活した伝説のバイク
このバイクはスズキの“ビンテージパーツプログラム”の助けを借りて、元グランプリの技術者であるNigel Everettの手によって正常に動作するまでに修復されたもの。かつてバリー・シーン(Barry Sheene)のメカニックだったMartyn Ogborneも週末には手を貸しに来たという。
ショーの訪問者がよく見ることができるように設置されただけでなく、バイクはイベント中の時々にエンジンが掛けられ、熱心な愛好家たちはその伝説的な2ストロークの音や匂いを味わうことができた。さらに、1974年にこのバイクでレースを走ったポール・スマートも、その経験についてトークショーを行うために出席していた。
動画は(コチラ)から見ることができる。
車名の『G-54』はグランプリ、そして1974年の意味
G-54コンセプトは1973年5月、スズキが翌年のグランプリレース復帰を目指して準備を始めたときに生まれた。1969年のF.I.M.による規制の変更を受け、スズキは1968年を最後に世界グランプリのワークス活動から撤退。その5年後のことだった。『G』はグランプリを指し、『54』は1974年を意味する。当時の市販車であるGT250、GT500、およびGT750をレースバイクのTR250、TR500、およびTR750にコンバートする仕事を担当していたハセ・マコト氏とスズキ・マコト氏の管理下で設計、製造された。
バリー・シーンが1973年11月に最初の試乗を行ったG-54は、軽量化のためにエンジン下のロワーシャーシを省略したオープンクレードルのフレームを採用していた(トップ写真参照)。しかし、1974年4月にClermont-Ferrandで開催された最初のグランプリで、バリーのライディングにより2位を獲得したにも関わらず、6月までには従来のダブルクレードルデザインのフレームに置き換えられた。その年はバリー・シーン、ポール・スマート、そしてジャック・フィンドレイによってレースを走った。
このプロジェクトは、スズキGBのアフターセールスコーディネーターであるTim Daviesによって企画された。彼は「Motorcycle Liveでは、近年いくつかの修復を行ったが、これは最も興味深いもののひとつです。この企画を現実にすることについて話したとき、我々はとても興奮しました。そして、これはきっとバイク愛好家も同じように興奮するだろう、と考えたのです。それで、私たちはこのバイクをMotorcycle Liveに持っていくことを決心したのです」と語る。
この賞は、主催者やショーの委員会の意見を反映しない一般投票によって決定された。そのことは、バイクのコミュニティに喜びをもたらしたことを意味しており、受賞したスズキにとっても大きな喜びとなった。
レストアされた史上初のRG500(G-54)とは
このバイク『G-54』はスズキの技術者たちにとって本当に特別な存在となっている。スズキのグランプリレースへの復帰の道を切り開き、バリー・シーンを世界チャンピオンの栄光へと導いたバイク(XR14/RG500)を生み出したのが、このG-54/RG500だからだ。
G-54が生まれたプロジェクトでは、2気筒と3気筒の50ccマシン、ツインとV4の125ccマシン、さらにはスクエア4の250ccマシンの開発に携わっていたスタッフが集まったのだという。
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