東京モーターショーの白きハヤブサ……1985年スズキ「ファルコ」に乗る<ある技術者兼テストライダーの回想記2>

スズキ|ファルコラスティコ|1985年

スズキの若き技術者7名が集まり、10年後の夢のバイクとして1980年代半ばに開発が始動し、1985年の東京モーターショー出展されたコンセプトモデルのファルコラスティコ。4サイクルスクエア4気筒エンジンは実に優秀なテストデータを記録した一方、新規性に溢れた車体や足周りは冒険的な挙動を示した。そんな夢のマシンながらもテスト車両は生み出され、一デザイナー兼テストライダーによって社内の竜洋テストコースを走り出した。


●記事提供:モーサイ

※同記事は、別冊オールドタイマー21号(2016年7月号)掲載の記事に加筆し、再構成したものです。

あえてベールに包まれたファルコ

’85年のモーターショー後、改めて書き直されたデザイン画の右上端にはEARER1997の記述がある。より現実的なファルコのモデルチェンジ版として描かれたスタディケースで、駆動部やスイングアームなどがより凡庸な描き方になっている。

以下は、元スズキ社員としてファルコラスティコ(以下ファルコと表記)のデザインと試走に関わった高垣和之さんが個人的に記した回想録の一部だ。同氏が営んでいたエアロパーツ製造元「マルガヒルズプロダクツ」(当時)サイト内(http://www.marga-hills.com/)にあった文章「いつかはFALCO-RUSTYCO」に記載された同車の乗り味だが、興味深い一文なのでご紹介しよう。

“エンジンのところでも触れたように、開発初期の車は乗れたもんじゃないのは常識だから、開発が進んでいけば十分に性能が出るであろう事は予測できたが、スズキのテストライダーは誰一人乗ろうとしなかったのは事実である。私は当時一応国際A級のF1ライダーであり、死んでも一番悲しむ人は少ないであろうとの判断から実験機に乗せられて死ぬ思いを経験させていただいた。その時の貴重な経験から、基本的にバイクは主に体の後ろ側の筋肉(乗った状態で見える側)を駆使して操るものだということに気づいたのである。しかしファルコに乗ると前側(乗った状態で見えない側)の筋肉を動かすことを異常に要求される。これは乗った事のある人で無いと理解しづらいかもしれない”

そんな状態のファルコは、モーターショーで華麗にベールを脱いだものの、走行映像は事前に撮影されず、液圧駆動やブレーキの未完成部分もあってか、出展時には極度に秘密が保たれた(具体的な性能やフィーリングはだれも語っていない)。そのため「だだの張りぼて」とのウワサが立ったが、実際はそういうことだったのだ。

「左右にガングリップがあり、それに連動するスライドシャフトがあって、その動きをセンサーで検知して油圧を右か左に流すかを決めてセンターハブステアが操舵されます。内側の筋肉(両腕や胸筋など)を極度に使うというのは、バイクの乗り方では経験ないですからね。でも一応走りました。竜洋も慣れてくれば何周でも走れますが、大変なのはスタートです。普通は無意識の感覚で低速発進時のふらつきを制御して走り出すものですが、ファルコではそうした挙動がワンテンポ遅れて来るんです。ほんの100分の何秒かの遅れかもしれませんが、それを収束させるリズムや、場合により舵を付ける(増幅させる)リズムを掴むのが難しいんです」

それと同時に、当時のメンバーたちは、いかにセンサー技術が進もうと、普通に2輪に乗っている人が無意識に行っている微細なステアリングの修正作業には及ばないということも痛感したという。ともあれ、ショーの段階では胸を張って走ると言える状態ではなかった。パウダーブレーキも液圧駆動も、実用性には程遠い。しかしコンセプトモデルだから、現状は低性能であっても可能性があるならその部品を組み込むことに決まった。しかし、幻滅させるだろうから詳細は語れず、ショー会場の来場者に質問されても「今はちょっと言えないんです」とコメントしていたという。それゆえにファルコは、余計にあこがれが増幅されたのか。

1985年東京モーターショーで配布されたファルコラスティコの資料。主な特徴が書かれた表のリリース文のほか、中身ではファルコラスティコ=白きハヤブサとアピールされている。この14年後に登場するGSX1300Rハヤブサは、同時期にすでに構想されていたのか興味深い。

ショー後も開発は続いたが……

そして’85年の東京モーターショー後、ファルコが公の場に姿を見せることはなかった。ショー用のコンセプトモデルとはそういうものなのか、社外の筆者には分からないが、おそらく部分部分の技術が他車に応用されたり、より現実的な(量産に向く)カタチに落ち着いて量産化という筋道はありえるだろう。ではファルコは?

「ファルコの場合は、ショーでの好評もあって、担当者のほとんどが継続開発班へ移行し、量産前提のアドバンスグループのメンバーとして1年ほど活動しました。デザイナーは2名要らないだろうということで、私の先輩は抜けて、実質6名で継続したと思います」

その過程の中で、フロントセンターハブステアのプロトタイプと、油圧駆動プロトタイプの試験は続いた。

「テストライダーは相変わらず私でした。ハブステアも、少しずつ改良されて最初よりは乗れるレベルに近づきました。でもだれもが違和感なく乗れるわけではなかったし、正直言って操舵にそれほど大きな力を必要としないバイクに、100%油圧作動は必要がなかったんですね。油圧作動を併用するアイデアも出ましたけど、実際は機械式操舵で十分じゃないかとも思いました。ただし、油圧作動でどこまで実現性を高められるかがテーマとして興味深かったので、実験はしばらく続きました。ハブステアの場合、キャスター/トレールが簡単に変えられる利点もあったので、そういうテストメニューも行ったと思います」

フロントハブステア機構と液圧駆動は、こうして継続開発プロジェクトで試された。その中から、ファルコのハブステア機構が、2年後の’87年モーターショーに出展のコンセプトモデル・ヌーダに受け継がれた。前回のファルコの張りぼて疑惑を払拭するべく、このNUDAは実際に走れることがテーマに加わった。

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。