「カワサキ初のレーサーレプリカ」ライムグリーンカラーを導入した初の大排気量車:カワサキZ1000R【あの素晴らしい名車をもう一度】

Z1000R

1981年のZ1000Jをベースに、1982年にデビューしたZ1000R。1981年のAMAスーパーバイクにて、エディ・ローソンが駆ったZ1000Jは8戦中4勝を挙げシリーズチャンピオンを獲得し、そのイメージを押し出したレーサーレプリカだ。ここでは開発の経緯をひも解いてみよう。※本記事はヤングマシン特別号 青春単車大図鑑からの転載です。


●文:ヤングマシン編集部

見事に王座を獲得したエディ・ローソン【カワサキZ1000R】

エディ・ローソンは1958年に誕生、カリフォルニア州の出身だ。

1983年からヤマハで世界GPに参戦、以後1992年に引退するまで4度の年間タイトルを獲得した栄光のライダーである。

WGP以前はAMAスーパーバイク選手権を舞台にしていた。1980年からカワサキと契約してKZ1000マークIIに搭乗。

翌1981年にはKZ1000J改を駆り、8戦中4勝を挙げて見事に王座を獲得した。これを記念してUSカワサキではローソンの名を冠したレプリカモデルを企画。KZ1000J2をベースとする限定車を発売した。これがKZ1000Rだ。

【1982 KAWASAKI KZ1000R[Z1000R1]】■空冷4スト並列4気筒 DOHC2バルブ 998cc 102ps/8500rpm 9.3kg-m/7000rpm 222kg(乾) ■タイヤF=100/90-19 R=120/90-18 ※輸出モデル

そして羨望の”ローソン・レプリカ”誕生へ【カワサキZ1000R】

発売は1982年。外装に欧州向けの角型燃料タンクやZ1100GP同様のビキニカウルを流用装着し、カワサキワークスカラーのライムグリーンで彩り、燃料タンクの上には特製ステッカーも。さらに専用の段付きシートやリザーバータンク付きリヤショック、オイルクーラーも標準装備する。

心臓部に特別なチューンは施されていないが、純正でカーカーのメガホン集合管が装着されていた。

限定数900台のほとんどを北米で販売。またこのとき、AMA向けの市販レーサーとしてKZ1000S1が30台のみ生産&販売されている。

ローソンはこのS1にワークスチューンを施し、1982年もAMAスーパーバイクを制して2連覇を達成した。

これを受けて1983年型として再びローソンレプリカが企画され、今度は北米だけでなく欧州仕様もラインナップ、これがZ1000Rである。

1984年は排気量を拡大、Z1100Rとなり、これは1985年頃まで販売された。

メーターはZ1000Jと同様の2眼式で、中央には燃料計を配置している。翌年のR2およびZ1100Rでは台形の一体型メーターを採用。

カワサキZ1000Rの系譜

【1983 KAWASAKI KZ1000R[Z1000-R2]】初期型は北米だけの販売だったが評判が高まり、1983年型は欧州でも販売された。欧州車名はZ1000Rで、マフラーは2本出しを採用。写真の北米仕様は集合管。

【1984 KAWASAKI KZ1100R[Z1100-R1]】GPz1100のパワーユニットを搭載し、キャブ仕様で114psを発揮する最強の最終モデル。前輪は18インチ化され、マフラーは2本出しに。

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