王者確定も翌シーズンに向けた悩みは尽きず……

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.43「ロッシに供給しなければワンメイク!?」

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、そのタイヤ開発やレースの舞台裏を振り返ります。2007年終盤、ロッシ選手からは再び来季の供給要請が。さらにワンメイク化問題にミシュランからの要望……と、問題は山積していました。

TEXT:Toru TAMIYA PHOTO:MOBILITYLAND

ストーナー選手の活躍をよそに、裏では交渉が激化

2000年にロードレース世界選手権の最高峰クラスに挑戦するプロジェクトの立ち上げが決定したとき、私が会社に提出した5ヵ年計画では、5年目にチャンピオンという目標を掲げていました。まあこれは、とりあえずの案というか……、さすがに会社は10年も待ってくれないだろうと考えた結果のプラン。実現はかなり難しいと思っていました。とはいえ、いつまでもシリーズタイトルが獲得できないままでいるわけにもいかないので、開発をスタートしてから7年目、実戦参加して6年目での初タイトルというのは、早くもなく遅くもないまずまずの結果だったのかもしれません。プロジェクト初期では、「チャンピオン獲得は無理なのでは?」と思ったことが何度もあったことを考えると上出来でしょう。

前年は、開幕戦からドゥカティワークスチームのロリス・カピロッシ選手が好調な走りを続けてランキングトップに立っていたのに、中盤戦に入ったところでアクシデントによりノーポイントレースを演じ、これで一気に流れが変わってしまいました。2007年、ブリヂストン勢はさらにライダー層が厚くなり、タイヤの性能も明らかに向上していたとはいえ、チャンピオン争いができるほどの強さを発揮していたのはドゥカティワークスのケーシー・ストーナー選手だけ。一方でライバルのミシュラン勢には、ヤマハワークスチームのバレンティーノ・ロッシ選手を筆頭に、チャンピオン争いに加われる強さを発揮できるライダーが2~3名もいる状態でした。ストーナー選手がワンクラッシュで負傷しただけで、ブリヂストン初のチャンピオンが幻に消える可能性は十分にあったので、第15戦日本GPでタイトル獲得が決まったときには本当にほっとしました。表彰台の下で、チームや関係者達の歓喜の輪の中に、我々もいられたことは本当に感動でした。

しかし、翌シーズンに向けたタイヤ供給問題は、安心できる状態どころか、むしろ動きが激しくなっていきました。日本GPの3週間後に開催された第16戦オーストラリアGPでは当時のヤマハ役員から、「3名のライダーはミシュランのまま、ロッシ選手だけブリヂストンタイヤを使用し、チームを分けて運用することの許可をミシュランからもらった」と言われました。ヤマハへのタイヤ供給は、ブリヂストンとしてはすでに断った案件でしたが、ロッシ選手とヤマハは諦めていませんでした。

第15戦日本GPでチャンピオンの逃す形になったロッシ選手は、ブリヂストンのタイヤ供給にこだわった。 [写真タップで拡大]

さらに、MotoGPを運営するドルナスポーツからは、懸案だった翌シーズンのタイヤワンメイク化について、オーストラリアGP翌週の第17戦マレーシアGPで、コンペティション状態を保つかワンメイクにするか決定することが発表されました。実際に決めるのはGPコミッションという組織で、これはドルナだけでなくFIM(国際モーターサイクリズム連盟)やIRTA(国際ロードレースチーム協会)やMSMA(モーターサイクルスポーツ製造者協会)から成る機関。タイヤメーカーは、このうちのIRTAに所属しています。IRTAにはすべてのチームとヘルメットやレザースーツなどのサプライヤーも参加。年会費を払う代わりに、パドックのスペースなどを提供してもらえます。MSMAはバイクメーカーの集まり。タイヤワンメイク化に関しては、ここでの意見がカギを握ることになります。ちなみにドルナのカルメロ・エスペレータ会長からは、「ヤマハからの要請を受けないとワンメイク化は避けられない」というようなことも言われていました。我々はMSMAの全5社とサポートのチームには、我々がコンペティション状態を継続したいという考えを伝えていたので、MSMAとIRTAは支持してくれるという感触はあったものの、GPコミッションで多数決となった場合、FIMとドルナは一体とも言える上、2対2となった場合はドルナが決められる事になっていたので、ドルナの力は強く彼らの意向に沿わざるを得ない状況でした。

これらのことを受けてブリヂストンは、オーストラリアGPから日本に帰国してすぐに社内会議を開いて、ロッシ選手に対する翌年のタイヤ供給を決定。前々回のコラムで触れましたが、8月末の段階でヤマハワークスだけでなく同時期に依頼があったHRC(ホンダレーシング)にも同じ理由で供給を断っていたので、ヤマハのロッシ選手にタイヤを供給するようになった状況について、HRCにも説明に出向きました。

タイヤ本数制限についても議論が再燃

ロッシ選手への供給と同時に、ミシュランからは日本GPで一度は合意した翌シーズンのタイヤ制限本数について「増やしてほしい」という強い要請も受けていました。ミシュランの希望はフロント4本、リヤ5本をプラスしたフロント18本、リヤ22本。「ユーザーが納得しないから」というのがその理由でした。タイヤメーカー3社で1ヵ月以上も議論してきて、ツインリンクもてぎでようやく3社合意のサインをしたのに、それからちょっとしてまた変更を要求してくるなんて……と怒ったのですが、とはいえミシュランの苦しい立場も理解できます。さらに、ミシュランからはテスト日数の緩和についても打診がありました。最終的には、これらを了承することでなんとかワンメイク化を避けることができたのでした。

ちなみに2008年は、ロッシ選手の1台分が増えたことから11台に供給することになりました。1大会で登録できるタイヤは、制限本数の増加によりライダー1名あたり2007年より9本増えるので、9×10台分とロッシ選手の40本で130本も増えることになります。たいしたことないように思えて、これはけっこう大変な数字です。年間18戦で計算すると使用分だけで2340本ものプラスとなり、必要在庫を考えると更に増えるわけですから……。しかし、ワンメイク化を回避してコンペティション状態を保つためには、これも仕方のないことだと思っていました。

コストアップにもつながりますが、タイヤ制限本数が増えることで我々にも戦略上のメリットは当然ながら生まれます。2007年のミシュランは、5~6種類のタイヤスペックを用意していたようで、それぞれの本数を増やすことにより、ベストなタイヤが見つかってからセッティングを煮詰めるまでに使える本数に余裕を持ちたいという思惑があったようです。一方でブリヂストンは、毎回そこまでの種類を持ち込んでいなかったので、制限本数が増えることで違うスペックのタイヤをもう1種類追加できます。

マレーシアGPの2週間後、11月第1週のバレンシアGPで、初めてロードレース世界選手権のシリーズタイトルを獲得した2007年は終了しました。この大会で、ミシュランが要望する来季のタイヤ規制緩和に関してタイヤメーカー3社で合意。これでようやく、来季に向けての活動がクリアになりました。ただしこの段階ではまだ、ヤマハともロッシ選手とも来季に向けた契約は締結していませんでした。この契約がそれほど大変とは、この時は知る由もなく……。

第15戦日本GPにて、いつものルーティンをこなすロッシ選手。 [写真タップで拡大]


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