ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想。MotoGPクラス参戦3年目となった2004年に向けて、ブリヂストンはさらに上位を狙って開発が進められる体制を築くことに成功します。
ワークスチームとの契約を獲得したい!
その当時、絶対王者で我々のライバルとなるミシュランは多数の契約チームを抱えており、有力チーム(速いチーム)から順に序列ができていて、トップチームと同じスペックのタイヤが下位チームには供給されないとか、対応に差がある状態だったようです。そのため、ミシュランにとってプライオリティが低いチームの中には、不満を持つチームもあったようでした。そこで、ミシュラン契約チームのナンバー4みたいな立ち位置でいるくらいなら、ブリヂストンのナンバー1になったほうが、成績を残せる可能性は高いのではないかという判断があったと推測しています。
そのような背景に加えて、スズキとカワサキが我々の可能性を認めてくれたのには、市販車タイヤの分野でブリヂストンのポテンシャルを理解してくれていたことも影響していると思います。当時は、国産メーカーの市販スーパースポーツモデルに次々とブリヂストンタイヤが採用されるようになった時期で、その開発においても高い評価を得ていました。
MotoGPのレースにおいては、プラマック・ホンダの玉田選手が走りとリザルトでタイヤ性能を実証してくれていて、これも契約を結ぶ後押しになりました。また、スズキとカワサキとブリヂストンはいずれも日本企業で、信頼関係を築きやすいということもありました。ちなみにヤマハに関しては、当時は市販車のYZF-R1に我々のタイヤが承認されなかったこともあり、あまり技術的に評価されていなかったのと、ミシュランから変更する必要がなかったと思われ、打診すらありませんでした。
「一番熱いところに来た」というキャッチフレーズでカワサキファンの心を捉えた中野真矢選手。カワサキ・レーシングチームからはアレックス・ホフマン選手もエントリー。
ミシュラン契約チームの下位にいるよりも、ブリヂストンのナンバー1に
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