2002年序盤、またしても事件が勃発!?

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.15「ある日、ケニーさんに軟禁されまして……」

  • 2020/4/10
山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]

ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。2002年、ブリヂストンはロードレース世界選手権最高峰クラスに参戦開始。しかしそのシーズン序盤、待ち構えていたのは数々の試練と“事件”だったのです。 ※タイトル写真は2002年MotoGP第7戦オランダGPの青木宣篤選手

TEXT:Toru TAMIYA

その成績、上出来だと思っていたら……

ブリヂストンがロードレース世界選手権最高峰クラス(2002年からMotoGPクラス)に初参戦した2002年、その序盤からカネモトレーシングのユルゲン・ファンデン・グールベルグ選手がトラブルメーカーになったことは、前回のコラムで紹介しました。しかしこの年には、もうひとつの大きな事件も思い出として記憶されています。グールベルグ選手をなんとかおとなしくさせたと思ったら、今度はプロトン・チームKRを運営するケニー・ロバーツさんが大激怒。第4戦フランスGPの決勝レース終了後、私はケニーさんのチームオフィスが設置されているバスに軟禁され、たぶん2時間以上にわたって説教を受けることになってしまいました。

このレース、ブリヂストンタイヤを履いてケニーさんのチームから参戦した青木宣篤選手は6位でフィニッシュ。バレンティーノ・ロッシ選手が優勝し、2位の宇川徹選手と3位のマックス・ビアッジ選手までトップ3が1秒以内の差でゴールして、4位にビアッジ選手から約1.1秒遅れでノリックこと阿部典史選手、そこから7秒近く遅れてケニー・ロバーツ・ジュニア選手、そして青木選手は、5位まで約1.8秒差に迫った状態でチェッカーを受けました。3気筒500ccマシンのプロトンKR3で、ドライコンディションの決勝で6位なら、前年までのリザルトを考えたら上出来だと我々は思ったのですが、青木選手は第3戦のスペインGPで7位、そしてこのフランスGPで6位と、リタイアに終わった第2戦南アフリカGP以外は7位以内だったので、ケニーさんとしても欲が出てきたのでしょう。

レース後、青木選手からはタイヤに関して「後半かなりタレました」というようなコメントをもらっています。しかしケニーさんからしたら、「タイヤさえ持てばもっと上位を狙えたのに!」という理論になったのでしょう。そして決勝レース後、私がチームのバスに呼びつけられる事態になったわけです。

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]

写真は第7戦オランダGPのジェレミー・マクウィリアムス選手。この時期、プロトン・チームKRは完走すらほとんどできないような苦戦が続いたが、第9戦ドイツGPあたりから調子が上向いていった。

矢継ぎ早の「これからどうするんだ?」「どう改善するんだ?」

たしかに、あのとき決勝を走り終えたリヤタイヤはかなり表面が荒れていて、我々としても青木選手のコメントは納得できましたし、残り5周くらいでは5位とは差がなかったので、タイヤがもう少し持っていれば5位は可能だったかもしれないと思いました。そしてケニーさんとしては、「タイヤが良ければ……」という気持ちがより強かったのだと思います。「こんなタイヤじゃダメだ!」と、バスの中で私はひたすら怒られていました。

こちらからしたら、タイヤの問題を指摘するなら、そもそもケニーさんが取り組んでいる3気筒500ccマシンのほうもなんとかしろ……という思いもありましたが、当然ながらそんなことをケニーさんに言えるわけありません。「これからどうするんだ?」とか「どう改善するんだ?」なんて追及されても、その場では「がんばります」とか「最大限に努力します」くらいしか言えませんしねえ……。このときは、私ひとりがケニーさんのバスに呼びつけられたのですが、そこでの時間は本当に長く感じました。通常でも、レース後にはチームとミーティングをして評価や要望などを聞くのですが、このときだけは“軟禁”という言葉が当てはまるくらい恐い雰囲気でした。

一方、私がケニーさんに怒られているころ、我々のオフィスでは開発担当者たちがレースウィークの総括をして、今後の改善策などについてミーティングをしていました。このMotoGPクラス参戦初年度は、評価と改善を毎戦繰り返して、シーズン中でも新しい仕様のタイヤをかなり多く投入し続けていたのです。

ただし、レースウィークにやれることは限られているので、前年に開発テストで走らせた経験があるコースはともかくとしても、それ以外のコースでいきなり完全に新しいスペックのタイヤを試すというのは非現実的。ライダーのほうだって、コースに慣れる時間が必要ですから。

そこで、大会ごとに6~7タイプくらいの仕様を持ち込んでいたとしても、最初は前戦で評価が良かった仕様やこれまで平均して性能が発揮できたようなタイヤを使ってもらい、そこからライダーの評価に合わせて次の仕様を提案するというようなパターンが多かったと思います。6~7種類を持ち込んでも、使うのは2~3種類なんてことはたくさんあります。とはいえ、あの当時に考えられることは次々とカタチして、新しいスペックのタイヤを持ち込んでいました。

ハード/ミディアム/ソフトと言っても膨大な組み合わせがある

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MotoGPクラスのタイヤは、2009年からブリヂストン、2016年からミシュランのワンメイクとなっているが、2002年当時は王者のミシュランにブリヂストンとダンロップが挑む三つ巴の戦いとなっていた。当時ブリヂストンは実績もなく新参者だったが注目され、オランダの雑誌に取材を受けてインタビューが掲載された。

以前にも触れましたが、タイヤを構成する三大要素のうちコンパウンドというのは、それこそいくらでも細かく仕様を変更できます。「それなら、毎戦何十タイプも持って行ったほうが、ベターな仕様が見つかりやすいのでは……」と思われるかもしれませんが、プラクティスの途中でそのタイヤがベストという評価になれば、決勝までに最低でも4セットくらいは必要。3選手が同じタイヤを選んだら、12セットという計算です。製造と物流の現実的な範囲というのを考えると、ある程度は数を絞らなければなりません。

ちょっと話は逸れますが、一般的にレース用のタイヤコンパウンドはハード/ミディアム/ソフトというようなイメージだと思いますが、じつはそこに加えて温度依存性というものが加わります。簡単に言うと、例えば夏用のハード/ミディアム/ソフト、冬用のハード/ミディアム/ソフトというものが存在して、それぞれコンパウンドのスペックは専用。では、夏向けのソフトと冬用のハードは何が違うんだ……みたいなことになるわけですが、作動温度と硬さの調整はそれぞれ違う手法で、コンパウンドというのは高度な化学の世界なので、スペシャリストたちは色々な特性を持ったポリマーやカーボンなどを、どのくらいの量をどうやって混ぜ合わせるかを日夜研究しているのです。

いずれにせよ、高温で作動するタイヤにもハード~ソフト、低温で作動するタイヤにもハード~ソフトという仕様違いがあるわけです。さらに、作動温度域と硬さが同じレベルのターゲットだとしても、使う材料は色々と新しい物をトライしていきます。コンパウンドの詳細については私にも理解不能な領域でしたが、まずはこのようなことを知ってもらうと、開発を続ける中で膨大な種類のコンパウンドが生まれる理由を想像してもらいやすいかもしれません。

ちなみに我々が、実戦に挑戦する前の開発テストでまず求めたのは、とにかくグリップを上げるということ。次に、それを長く持たせるという手法でした。いくらタイヤの性能が安定していても、それがトップから2秒落ちのラップタイムだったら勝てるわけありませんから。そこで、まずはラップタイムが予選のポールポジションタイムなどにどこまで迫れるかというところを重視。その目標が達成できてから、今度はその性能を長く維持させるための開発を続けるという考え方でした。そしてこれが、後のいわゆる予選用タイヤという発想につながりました。参戦初年度の2002年、シーズン終盤で我々は最初の大きな結果を残すことになるのです。

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山田 宏

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ブリヂストンでタイヤ開発を経てレース部門へ。ロードレース世界選手権では1991年のWGP125ccクラスへのスポット参戦からMotoGPへのワンメイクタイヤ供給まですべてを統括した。その後は世界耐久選手権シリーズで、ブリヂストンサポートチームの初優勝、初タイトルを見届けた。2019年7月をもって定年退職。視線はモータースポーツの未来へ。