怖がりなほうがバイクに向いている

世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.35「引退してから何年かは、ハイサイドの夢で飛び起きた」

  • 2020/6/15
1998年の原田哲也とアプリリア

1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第35回は、アプリリア時代の契約の話と『怖がり』なライダーについて。

TEXT:Go TAKAHASHI PHOTO:YOUNG MACHINE Archives
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アプリリアの副社長が契約書を携えて成田まで来てくれた

モナコに住み始めて20年以上経ちますが、ここ10年ほど天候が大きく変わってきたように感じます。この時期、以前ならそんなに雨が降ることはなかったんですが、最近は雨だらけ……。土砂降りもあって、隣町が水没なんてことも起きています。

そんな雨と、相変わらずのコロナ禍でなかなかバイクに乗れません。モナコでのコロナ禍は、だいぶ収束ムードになりつつあります。レストランはオープンテラスを中心に客席の間隔を空けて営業していますね。MotoGPもいよいよ新たなカレンダーが発表され、今のところ7月19日、ヘレスサーキットでのスペインGPがキックオフとされています。

無観客で、チームスタッフやメディアの数も最小限に制限されるようですね。個人的には第2波、第3波がまだ怖いので、「思い切った決断だなあ」とは思いますが、そろそろレースをしないとレーシングチームの存続自体が危うくなってしまいますからね……。

MotoGPはまだ1戦も行われていないのに、ドゥカティのファクトリーチームは早くも’21シーズンのライダーラインナップを一部発表。アンドレア・ドヴィツィオーゾの去就は不透明ですが、ダニロ・ペトルッチに代わってジャック・ミラーを起用することになりました。

確かに’19シーズンの後半戦、ミラーは調子が良かったし、ペトルッチはもうひとつでした。25歳のミラーは、29歳のペトルッチより可能性があると言えるでしょう。でも、いくらなんでも1レースもしないうちに放出とは……。さすがにかなりの政治的な駆け引きがあったのではないかと勘ぐってしまいます。

かと思えば、2月にはHRCがマルク・マルケスと4年契約を結んだことを発表するなど、長期契約も目立つようになりました。ライダーの立場からすると安定した環境でレースに取り組めるというメリットがある一方で、万一ニューマシンが合わなかった場合は地獄を見ます(笑)。長期の契約って、実はライダーにもリスクがあるんです。

僕の現役時代、アプリリアとは2年契約を結んでいました。1年目は、当時の副社長が契約書を持って成田まで来てくれたんですよ! そのまま帰ったか、1泊したか忘れちゃいましたが、トンボ帰りだったのは確か。「わざわざ契約のために日本まで飛んでくるって、スゴイな~」と思ってました。

アプリリアの契約書はいつも分厚くて(笑)、契約ライダーとしてやるべきこと、やってはいけないことなど、すごく細かく規定されていました。もちろんこちらからもリクエストすることは可能で、お互いに譲歩しながら契約する、という感じです。

ヤングマシン1996年12月号、原田哲也の連載

アプリリアと契約間近と言われ、最終戦の後にイースタンクリークでテストに臨んだことが当時のコラム連載に書かれている。 ※ヤングマシン1996年12月号より [写真タップで拡大]

チームに大事に扱われ、チームを大事にしたことで信頼関係を築いていった

また、欧米での契約ってかなりカッチリしたもののように思われそうですが、実は意外と臨機応変が効くんですよ。例えば契約上、飛行機での移動はビジネスクラスということになってましたが、南米のように遠くに行く時は特別にファーストクラスにしてくれるなど、人間味がありました。まぁ、僕はすごく大事にされた方だと思います。僕もチームを大事にしましたしね(笑)。

サーキットではもちろん、サーキット外のプライベートでもスタッフとはよく一緒に食事をしました。イタリアのサーキットでレースが行われる時は、サーキット近くに住んでいるスタッフの自宅での食事会に招かれるので、1日早く現地入り、なんてこともよくありました。スタッフにとっては、ライダーを家に招くっていうのはちょっとした自慢だったようです(笑)。でも、こちらのモチベーションも上がるし、信頼関係は築けるし、お互いの理解も深まるしで、とてもありがたいことでした。

ふだんから密接なコミュニケーションを取っていれば、スタッフは僕の表情から多くを読み取ってくれます。走行セッションがうまく行かず険しい目つきをしていると、「あ、今ちょっとピリピリしてるぞ」とすぐに気付いてソッとしておいてくれたり、いつもより速やかに作業を済ませたり(笑)。わざと怖い顔をしてピットを引き締める、なんてこともしてました。

逆に、コッチがミスして転んでしまった時などは、「ごめんね」と謝ります。僕が転ぶ時は結構大きなクラッシュが多く、マシンは廃車寸前の大ダメージを受けることもよくありました。そんな時、メカニックたちは晩ご飯も早々に切り上げて、夜を徹しての修復作業になります。先に戻って休むのは本当に申し訳なく……。そんな気持ちも伝えるようにしていました。

現役当時は、特に意識してチームスタッフの心を掴もうと思っていたわけじゃありません。人として当たり前のことをやっていただけ、という感じでした。でも、バレンティーノ・ロッシなんか見ていると、人の心を掴むのに長けていましたよね。スタッフもファンも、みんながバレンティーノの味方って感じで、あの「愛されキャラ」はなかなかの強みになっていると思います。

僕自身が当時ファンの方たちに愛されていたかは分からないけど、レースでは作戦を考えて駆け引きして最後の最後に前に出るタイプだったので、玄人受けしていたってことはあるかもしれません。イタリアでは街の中でもよくサインを求められたものです。でも突然出会った時はみんな当然なにも用意していないから、あわててそこら辺のチリ紙みたいなのを差し出すんです(笑)。レシートの裏なんてこともあります。喜んでサインしましたが、「すぐ捨てちゃうんじゃないかなあ」なんて思ってました(笑)。

「怖いもの知らず」はすぐに速くなり、「怖がり」はちょっとずつ進歩するけれど……

ああ、「大きなクラッシュ」で思い出しましたが、レースを引退してから何年かは、ハイサイドを食らう夢を見て体が「ビクッ!」となって飛び起きたものです。レーシングライダーも生身の人間ですからね、怖いものは怖い。逆に、ライダーは怖さを知っていた方がいいと僕は思います。

ポケバイで頑張る子供たちを見ていると、中にはまったく「怖い物知らず」という感じで勢いのある子がいます。このタイプはポーンと速くなるんですが、大きなクラッシュをして痛い思いをして辞めてしまうパターンが非常に多いんです。怖さを知らないままに速くなってしまうから、いざ転んでしまうと挫折しやすいんでしょうね。

僕のような怖がり屋さんは、なかなか速くなりません(笑)。「速くなりたい」と思うより先に「痛い思いをしたくない」とか「転びたくない」と思っているからです。進歩は本当にちょっとずつ。限界域に届いてちょっと滑ればビビッて後戻りし、またちょっとずつ限界域に近付く……といった感じで、スローペースなんです。

でも、限界で怖い思いをしないために乗り方を変えてみたり、セッティングを変えてみたりと、いろんなことにトライするんです。そうやって、引き出しにいろんなものをしまいこんでいきます。これがステップアップしていった時に非常に役立ちます。怖がるということは、すみずみまで神経が行き届いているということ。何も分からないまま勢いだけで走る人よりは、怖がり屋さんの方がバイクに向いているのではないでしょうか。

意外かもしれませんが、プロのレーシングライダーはみんな怖がりなんですよ。闇雲に無茶をする人はひとりもいません。特に公道でバイクに乗る時はみんな「ビビリ」と言ってもいいぐらい慎重です。怖がるということは、バイクを深く理解していて、いろんなことに気付いているということ。コロナ禍も少しずつ収束してバイクに乗る機会も増えていくと思いますが、皆さんも正しくビビリながらバイクを楽しんでくださいね。

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原田哲也

原田哲也

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1993年ロードレース世界選手権(WGP)250の世界チャンピオン。1992年に全日本で同クラスのチャンピオンを獲得し、翌年に初挑戦のWGP250で戴冠した。現役当時のニックネームは「クールデビル」。'02年に現役を引退し、現在はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。