【鮮やかな季節】 ~バイクが動かす人生があった~

特集:M.ビアッジと原田哲也【1995年、キャリア最高の走りで挑む】

  • 2020/6/16

’93年、世界グランプリデビューイヤーにチャンピオンを獲得した原田哲也。その前に立ちはだかったのは、イタリア人のマックス・ビアッジだった。圧倒的優位なマシンを駆るビアッジに、どこまで食い下がれるか──。’95年、原田はレースキャリア最高の走りでビアッジに立ち向かった。

文――高橋剛 Go Takahashi 写真――竹内秀信 Hidenobu Takeuchi/YOUNGMACHINE archives (本稿はビッグマシン2016年9月号に掲載された記事を再編集したものです)

『もっとパワーを!』M.ビアッジと原田哲也〈前編〉

その赤は、情熱だ。燃え上がる怒り。たぎる思い。興奮。熱意。ほとばしる命の脈動。爆発的な勢いで高空に舞い上がり、火花を散らしながら突進する。

その白は、冷静だ。ただそこにある純粋さ。いつだって真新しい気持ち。高潔な意志。まっさらに、清らかに、先を見つめる眼差し。広々としていて、明るさだけに満ちた世界。

1995年、原田哲也が世界グランプリ250ccクラスで走らせたヤマハTZ250Mは、真紅と純白に塗り分けられていた。

『恐怖すら感じる領域での2分10秒』M.ビアッジと原田哲也〈中編〉

’95年開幕戦は、オーストラリア・イースタンクリークで開催された。原田は「優勝はぶっちぎりでビアッジ、岡田(忠之)さんが2位、僕は3位なら上出来」と予想していたが、始まってみればビアッジが不調。原田はホンダNSR250を駆るラルフ・ウォルドマンからコンマ1秒遅れ、ビアッジをコンマ1秒抑えての2位だった。

「ビアッジの前でチェッカーを受けることができたけど、『してやったり』というよりは、正直、ホッとしていた。いいスタートが切れた、これで波に乗れるかなって」

『自分だけの道を進め』M.ビアッジと原田哲也〈後編〉

第7戦オランダ・アッセンの予選前、原田はレイニー監督にこう言われた。「おまえの走りは、もうマシンの限界を超えている。これ以上無理はするな」

原田は「『フロントローでいい。とにかく無事に走り終えろ』ということだな」と受け止めた。

「でも、行くよね。レーシングライダーだから(笑)」

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高橋 剛

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カート上がりのバイク野郎。心震わす原稿が得意で、あのスポーツ名門誌・Sports Graphic Numberにも寄稿したりしなかったり。セッティングさえ出れば怖いものなしの隠れ文豪。