鈴鹿サーキットに青木拓磨が帰ってきた……! 1998年のテスト中の事故により下半身不随の後遺症を負ってしまった拓磨は、その後もレンタルバイクによる耐久レース“レン耐”を主宰するなどバイク業界に貢献、また4輪のレースに参戦するなど精力的な活動を続けてきた。だが、バイクに乗ることは今までなかったのだ。再びホンダのバイクを走らせることになった経緯、そして青木3兄弟の3ショットに筆者は感動を禁じ得ない。
サイドスタンドプロジェクト“Takuma Rides Again”
鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎを運営する株式会社モビリティランドは、7月28日に決勝日を迎える第42回鈴鹿8時間耐久レースにおいてサイドスタンドプロジェクト“Takuma Rides Again”と銘打ち、現在は車イス4輪レーサーとして活躍中の青木拓磨選手がホンダCBR1000RR SPでデモンストレーションランを行うことを発表。これに先駆けての試走テストとして7月9日午前、拓磨選手が実際にマシンで走る姿を協力する兄弟の宣篤選手や治親選手とともに報道陣の前で披露した。
拓磨選手といえば、’95・’96と全日本スーパーバイクチャンピオンの輝き、’97年からは念願のWGP500クラスにフル参戦。パワーで劣る2気筒のNSR500Vながら4気筒勢を相手に表彰台4回&年間ランキング5位という輝かしい成績を挙げ、’98年は初優勝も夢ではないと思われた矢先、その年の2月にテスト中の不慮の事故で脊椎を損傷。下半身の自由を奪われてしまった。以来、トライクやアウトリガー(セミ補助輪)付きの実験車に乗ったことはあるものの、2輪のみで走る純粋なオートバイに乗ることはなかったため、実に22年ぶりのこととなる。
現役時代を彷彿とさせる赤いバンダナを再び首に巻き車イスで現れた拓磨選手は、兄の宣篤選手と弟の治親選手にサポートされてシフトチェンジを手元で行えるようカスタムしたホンダCBR1000RR SPに跨ると、さっそうとスタート。最初は様子を見ながらかと思いきや、慣れてくるとストレートではスロットルをワイドオープン。メーター読みで250km/h出たとさすが元世界GPライダーとうならせる速さで駆け抜け、鈴鹿のフルコースを20分あまり走行してみせた。
この企画は、弟の治親選手がフランスGPでハンディキャップライダーだけで争われる併催レースを見たのがきっかけ。そこでリッターや600クラスのSSを巧みに操りガチな速さで走るライダーたちを見て「レーシングライダー青木拓磨が走る姿をもう一度見たい!」との思いが頭にこびりついて離れなかったと言う。その願いが兄・宣篤選手や周囲の人たちが協力することによって今回実現することとなった。
現在は拓磨選手が4輪レース、宣篤選手がMotoGPマシン開発、治親選手がオートレースと、それぞれ別の舞台を活動のメインとしているため、兄弟3人揃っての姿を見せるのも久々のことだ。鈴鹿8耐本番でのデモランは、予選日の7月28日(土)に行われる前夜祭で東コースを走行、翌29日(日)の決勝前スタートセレモニーの際にフルコースを走ることが予定されている。来年に東京パラリンピックも控えるなか、ハンディキャップがあってもバイクを諦めなくていいんだということを多くの人に伝えたいと願う。それでは走行を終えてのコメントをお伝えしよう。
青木3兄弟それぞれのコメントを紹介する!
拓磨選手
「いや、正直久々にバイクで走って、いろんなことに驚きました。思ったよりスピードは出るし、タイヤもすごくグリップするし、今のバイクの進化に驚いたのが実感です。それに200km/hを超える世界でマシンを操るレーシングライダーの筋力や身体能力ってあらためてスゴかったんだと感じました。鈴鹿サーキットをこうしたパワーのあるレーシングバイクで走るのは、ホントに22年ぶり。僕が現在4輪でレース活動をしているのも、障害を負ったからといってチャレンジする精神を諦める必要はないんだということを多くの人に知ってもらいたいから。4輪なら車イスでも乗り降りが1人でできるのですが、バイクは乗り降りする際にやはり誰かの手を借りなければなりません。そこで、今まで諦めていたところがありました。しかし、今回、兄弟やスポンサー、周囲の方々のお陰でこうしたプロジェクトが実現できることになりました。今回、僕がバイクに乗ることで障害を負った仲間たちには勇気と夢を、そして一般の健常者の方には障害を負っていてもちょっと協力すればバイクに乗ることができるんだということに気づいてもらえれば幸いです。」
(青木拓磨(45歳):青木兄弟の次男。’82年にポケバイからバイク人生を始め、ミニバイクを経て’90年から本格的にロードレースデビュー。’91年に国際A級に特別昇格し、全日本GP250クラスで戦った。’94年からホンダRC45を駆り全日本スーパーバイクに参戦。’95年にHRC入りし、翌’96年と合わせて2年連続チャンピオンを獲得した。’97年からはレプソルホンダから念願のWGP500ccクラスにフル参戦を開始。初年度ながらランキング5位の好成績を残した。’98年シーズン開幕前テスト中の不慮の事故で脊椎を損傷。その後、ホンダレーシングの助監督経験などを経て、4輪レーサーとして第2の人生をスタート。アジアクロスカントリーラリーやダカールラリー、GT ASIAなどに参戦し、’20年にはル・マン24時間耐久レースへの参戦が決定している。)
宣篤選手
「バイクはそもそも人とかスタンドなど支えるものがないと倒れてしまうもの。拓磨も言っているように4輪と2輪ではそこが大きく違う。治親から話をもらい、そうした皆の支えがあって初めて成立するということでサイドスタンドプロジェクトという名の由来にもなりました。思っていたよりも速く走ることができる拓磨の姿を見て驚きました。あまりにトバしているもんで、僕は普段あたりまえのようにレースに出てましたけど親や奥さんなど待っている人の気持ちもちょっと分かりました。」
(青木宣篤(47歳):ヤングマシン誌上でも連載「上毛新聞」でおなじみ青木兄弟の長男。ポケバイからバイクを始めて、’88年にロードレースデビュー。’89年から全日本、’93年からはWGPとGP250クラスに参戦。’97年にはWGP500ccクラスにステップアップし、TSRホンダでランキング3位を獲得した。’98~’00はスズキワークス、’02~’04はプロトンKRで同クラスで参戦。’05からはスズキのMotoGPマシン開発に携わる傍ら、鈴鹿8時間耐久レースへの参戦を続けている。)
治親選手
「フランスGPでのハンディキャップレースを見て、拓磨にもう一度バイクでサーキットを走ってもらいたいと思って、この企画を立ち上げました。それもスクーターとか倒れないバイクではない普通のレーシングバイクで走れるんだということを見てもらいたいと思ったんです。でも、思ってた以上に乗れてましたね。今回の試走ではマーシャルカーで追走したんですが、ストレートではそんなにスピード出しちゃっていいのって驚くくらい先に行かれてしまいましたよ。」
(青木治親(43歳):青木兄弟の三男。兄たちとともに’82年頃からポケバイを開始。16歳になった’92年からロードレースデビューし、’93年からWGP125ccクラスにフル参戦開始。’95・’96と2年連続で世界チャンピオンに輝いた。’97~’03まで、WGP250、500、SBKに参戦。’04からはオートレーサーに転向し、GI優勝も果たすトップレーサーとして活躍している。)
走らせたのはCBR1000RR SPの特別仕様
拓磨選手がデモランで使用するホンダCBR1000RR SP。市販のハンドシフターシステムを追加したのとバックステップ、ブリヂストン製バトラックスRS10に換えただけで、マシン本体としてはほぼ無改造と言える状態。ただし今どきのバイクとして、トラクションコントロールやクイックシフター、コーナリングABS、それにSPならではのオーリンズ製セミアクティブサスといった最新の電子制御技術が、ハンディキャップライダーの拓磨選手にとっては大きな助けになっていると言う。技術の進化により、現代では特殊なバイクでなくともハンディキャップライダーが乗れる時代がやってきたと伝えることにも今回の大きな意味があるのだ。
シフトペダルに電磁アクチュエータ-を接続
ハンドシフターシステムは英国KLIKTRONIC社製。仕組みとしては人間の足の代わりにシフトペダルにつないだロッドを電磁アクチュエターで駆動するというもの。汎用設計となっており、ステーを作れば基本的にマニュアルタイプのどんなバイクにも装着できる。治親選手がフランスGP会場で見たハンディキャップーレースでも使われているものだ。拓磨CBRでは、治親選手なじみの金型製作を主に行っている企業の菅原モデルがステーをワンオフで製作。バックステップはベビーフェイス製で、自由が効かない足を固定できるように小改造している。
シフト操作は左手元のスイッチで行う
シフターのスイッチは左ハンドルに装着。左右に並んだタイプと上下に並んだタイプがあり、好みで選べるようになっている。今回はリヤブレーキは操作できないままとなっているが、KLIKTORONIC社では左レバー側で操作できるハンドブレーキシステムも製品化している。なお、CBR1000RR SPはノーマル状態でクイックシフターが標準装備のため、走行中のクラッチ操作はいらず。クラッチ操作が必要となるのはほぼ停止するときのみだ。
競技用自転車のペダルを応用
下半身の自由が効かない拓磨選手は足とステップを固定させてあげることが必要。そのためにステップは、ブーツ裏に取り付けたアタッチメントとジョイントできる自転車競技用のものをステッププレートに付くようシャフトを加工して使用している。アタッチメントは健常者だと足をひねることでリリースできるが、拓磨選手の場合は脱着に周りの人間がサポートをしてあげるかたちとなる。このあたり宣篤&治親兄弟が阿吽の呼吸で行っていた。
これが今回の走行を可能にしたシステムのキモ
シートカウル内にハンドシフターシステムのコントローラーが収納されている。回路的にはバッテリーから取得した電源を、手元とスイッチとシフター本体に振り分けているだけ。シンプルだから、普通のバイクも大掛かりな改造をすることなくハンドシフト化することが可能。KLIKTOROICのシステム自体は599ポンド(約8万1500円)。これにステー製作代や諸々の加工費・工賃などを加味しても、20万円ほどから実現することが可能になる。このニュースを見て、バイクにもう一度乗りたいと思っている世のハンディキャップライダーたちには、グッと現実味があり心強い味方となるはずだ。後は実際に走れる場所や環境を提供していける社会作りに期待したい。
なお“Takuma Rides Again”は、鈴鹿8時間耐久レースで披露されるほか、10月20日決勝となるツインリンクもてぎでのMotoGP日本グランプリでも行われる予定。そこではマシンをRC213V-Sに代えて走ることが計画されている。
取材/文:宮田健一 写真:佐藤寿宏
※編集部より――筆者のミヤケンは、1990年代にヤングマシンの青木拓磨による連載などを通じて活動を見守り、現在でもレン耐を手伝うなど交流が深い。今回の走行では感激もひとしおだったことをお伝えしておきたい。
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