KATANA COMPLETE FILE 1980-2019

蘇るカタナ伝説〈01〉プロローグ:新型カタナまでの系譜とは

SUZUKI KATANA
【左:New KATANA 2019】【中央:GSX750S III 1984】【右:GSX1100SZ 1982】

ヤングマシン’18年12月号の別冊付録として制作されたカタナ コンプリートファイル。プロトタイプの復刻インプレッションなど、ヤングマシンならではの記事をこれでもかと盛り込んだ24ページではあったのもの、写真をもっと大きく見たかった! などのご意見を頂戴したのも確かである。というわけで、限りある紙幅では小さく見せることしかできなかった歴代カタナなどをじっくりと見ていただけるように、WEBヤングマシンであらためて展開したい。

新型カタナまでの系譜とは

‘80年のケルンショーで大反響を巻き起こし、以後はスズキの代表作として認知されて来たカタナ。同社はこれまでに、さまざまなモデルにこの車名を使用して来たが、スタイリングの継承と発展という見方をするなら、‘19年から発売が始まる新型は3代目のカタナとなる。

タイトルカットにあるのは似て非なるスタイリングを採用した3種類のカタナ。ちなみに’80~’00 年代のスズキは、250/400㏄並列2気筒車や北米仕様のGSX-Fシリーズ、欧州生産の50㏄スクーターなどにも、カタナというペットネームを使用していた。

ヤングマシン カタナ
ヤングマシン’18年12月号の特別付録。今回はここからプロローグ部分を紹介する。

PROLOGUE:日本の武士道を象徴する抜き身の日本刀がモチーフ

たまたまカタナになったのではなく、スズキが当初からカタナとして開発したモデルの系譜は、①’82年型に端を発する初代シリーズとその派生機種、②’84/’85年に販売されたGSX750S3/4、③’19年から発売が始まる新型の3種に大別できる。もちろん、中でも最も重要なのは①だ。ほとんどの日本車が今で言うネイキッドだった’80年代初頭において、抜き身の日本刀をモチーフとする初代カタナは、2輪の世界に革命を起こしたのだから。

初代カタナの立役者は、スズキの谷雅夫さんと横内悦夫さん、そしてターゲットデザインの創立メンバー、ドイツ人のハンス・ムートとジャン・フェルストロームの4人である。きっかけは、’79年にモトラッド誌が主催するイベントに参加した谷さんが、MVアグスタをベースとするターゲットデザインの作品に衝撃を受けたことで、谷さんは同社に新型車への関与を打診。これを快諾したターゲットデザインは、ミドルネイキッドのED1(後のGS650G)と、カタナの原点となるED2を製作し、’80年8月にはクレイモデルがスズキに到着した。当時の日本の2輪メーカーにとって、こうした取り組み方は
異例だが、それ以上に異例だったのは、以後のスズキの迅速な対応だろう。

’70〜’80年代に数多くの市販車/レーサーに携わり、名エンジニアと呼ばれた横内さんは、ED2に心から感激したと言う。とはいえ一般的な技術者なら、あまりに先進的な造形に躊躇を感じそうなものだけれど、横内さんはすぐさま量産化を決意。そして翌9月には、ケルンショーでカタナのプロトタイプを公開し、大反響を巻き起こすのである。もっとも、観客やジャーナリストの大半は、カナタはあくまでも、2輪の未来像を提示するコンセプトモデルだと感じていたのだが……。

初公開から1年後の’81年秋になると、スズキはプロトタイプに必要最低限のモディファイを加えたGSX1100Sカタナの市販を開始する。当時は誰もが、〝まさかそのまま量産化するとは!〞と感じたようだが、前代未聞のスタイリングを実現したスズキの旗艦は、初年度から大ヒットを記録。結果的にカタナは、以後のスズキ躍進の原
動力となり、今日ではオートバイの歴史を語るうえで欠かせないモデルとして、世界中で認知されているのだ。

●文:中村友彦
1900年代初頭に生まれた旧車から最新のスーパースポーツまで、あらゆるバイクに興味を示す、2輪雑誌業界22年目のフリーランス。

紹介予定の車両のごく一部ですが……。

プロローグだけで終わってしまっては物足りない読者も多いと思うので、今後紹介していく車両を少しだけ掲載したい。カタナファンなら全てご存じ?

ED2 PROTOTYPE
ED2 PROTOTYPE
GSX1100SXZ
GSX1100SXZ
GSX750S
GSX750S
GSX750S2
GSX750S2
GSX1100SY
GSX1100SY

カンタンだったでしょうか? 続編にはもちろん400や250も登場します。お楽しみに!

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