1998年に衝撃のデビューを飾ったYZF-R1は、常に最先端の技術が投入され続け、現在に至るまでヤマハ・スポーツの象徴であり続けている。その開発の渦中に居続け、現在二輪開発のトップにいるのが西田豊士さんだ。右も左もカーボンニュートラル、サスティナブルな世の中、スポーツバイクにはどんな未来が待っているのだろう?
バイク好きが開発のトップに! それがヤマハの強さ
西田さんとは、1998年YZF-R1デビュー時からの付き合いで、筑波やもてぎなどのサーキットでもプライベートでYZF-R1を駆る姿をよく見かけた。とにかくフットワークが軽く、MotoGPや鈴鹿8耐でカメラをぶら下げている西田さんとよくお会いした。
インタビュー当日、「ご無沙汰してます」と部屋に入ってきた西田さんは足を痛そうに歩いている。「足、大丈夫ですか?」「いや〜、マウンテンバイクでやっちゃって……」
スマートフォンのレントゲン写真で盛り上がる……。僕自身も西田さんとお会いするのは数年ぶり。でも全然久しぶりな感じがしないのが西田さんの人柄だ。
YZF-R1を乗り継ぎ、現在はTRACER9 GTを所有。最近はバイクだけでなく電動アシスト自転車であるYPJ-MT Proにも夢中だ。
──西田さんはいつもアクティブ。常にバイク好きが滲み出ていますね。
西田「原点はバイク好き。それは今でも変わりません。ヤマハ発動機の志望動機はバイクの車体開発でした。エンジンはあまり興味なかったんです。学生時代、エンジンに興味がある人は凄く優秀でした。当時、機械系の学校に行っていたので、やはり自動車系は人気の職種。その優秀な人達と戦って志望する会社に行ける気がしないなぁっと(笑)。
1988年、大学4年生のとき世界GPを走るワイン・ガードナー選手を応援していました。当時はガードナー選手が大好きで、レプリカヘルメットも被ってましたね。この年はヤマハのエディ・ローソン選手がチャンピオンになるんですが、ディフェンディングチャンピオンのガードナー選手が勝てなかった。ガードナー選手のマシンは、パワーはあるけどそれを使いこなすことが難しく、ガードナー選手も車体に対して不満を持っていた。
優秀なエンジンがあっても、言い換えるとどんなに優秀な人がエンジンをつくってもそれを支える車体がないとダメなんだなぁと思いました。それで、ヤマハに入社したら車体開発をしたいと思ったんです。それが今でも覚えている入社の鮮明な動機です。
その頃からハンドリングのヤマハって言われていましたから、ヤマハに入って車両設計&開発ができたらバイク乗りとして凄く幸せだろうなぁと」
──西田さんは、ずっとスポーツバイクを手掛けている印象はありますが、入社してからはどんな経緯だったんですか?
西田「入社直後から、とにかくバイクの設計部署に行きたい! というオーラを出しまくっていました。とにかくバイクがやりたい! って言い続けたんです。
当時、技術系で入社したのは75人くらいでしたが、モーターサイクルの開発部門に行くのは15人くらい。モーターサイクル以外にも生産技術とかマリンとか色々ありますからね。で、モーターサイクルの開発部門の発表で「西田豊士」って呼ばれた瞬間に周りの新入社員たちからも安堵のため息が起きた。それくらいオーラというか、悲壮感が出ていたんだと思います。
最初の仕事は、デュアルヘッドライトのFZR250のマイナーチェンジ。1990年に登場した250と400です。ヘッドライトが変わるので、カウルステーから生えているメーターを装着するためのステーを設計しました。30mmくらいのとても小さな部品ですが、そんな部品にもとても多くのことを検討する必要があって、エンジニアリングってやっぱりかっこいいな、って思いました。
それが終わってすぐに1990年のヨーロッパのショーでデビューするFZR1000のシートなどリヤセクションの設計を手がけました。1989年の夏に配属されて、次の年の秋には生産が立ち上がるというスパン。今と比べると開発期間が短かったですね。
その後、YZF750RやGTS1000をやって、TZR250の改良設計も3年くらいやりました。で、サンダーキャットのチームに。サンダーエースにだけは負けないと横目にみながらやりましたよ。ラムエアを初めて導入するタイミングで、フレームにエアを導入するための穴をフレームに開け、穴を開けても強度や乗車感的に大丈夫なように設計をしました。
で、1995年の終わり頃に「YZF-R1をやるぞ!」ってなったわけです。そこから2008年(2009年モデルも)までずっとYZF-R1。途中、初代のYZF-R 6もスポット的に仕事をしましたね。
その後、リーマンショックがきて、原価革新部っていうコストダウンを頑張る部署にいき、2014年にスポーツ系のモデルのSP開発部の部長になって、またスポーツバイクの舞台に戻りました」
──カーボンニュートラル、サスティナブル、SDGs時代。今後スポーツバイクはどうなっていきますか? エンジン好きとしては少し不安です。
西田「これからはカーボンニュートラルを無視できません。ガソリンを燃やしていたらダメだとも思います。でも、電気でしかカーボンニュートラルができないわけではないので、国際的 に認められた合理的な方法で、許される燃料を燃やしながら、内燃機関で続けていきます。特に趣味性の高いスポーツバイクの領域ではそうですね。
当然、電動化していくモデルもあるし、電動と内燃機関の間のハイブリッドみたいな形もある。だけどピュアな内燃機関のスポーツバイクはすぐにはなくなりません。
2050年で、90%は電動になっていくとしても、残りの10%は規制的に認められる方法で、内燃機関でやっていくっていくのをヤマハ発動機の環境白書でも出しているので、趣味性の高いスポーツバイクはその領域にハマるんだろうなぁと。
現時点でEVの致命的なところはエネルギー密度の低さです。四輪のようにスペースがあれば、なんとかなるようになってきました。充電インフラと航続距離のバランスで500-600kmと走れるようになってきました。ただ、バイクのスペースに、ガソリンエンジンと肩を並べられるくらいのバッテリーを今は積めません。やっぱりバイクで遠くまでいきたい、旅をしたいという楽しみは、カーボンオフセットした燃料を使った内燃機関でやっていくことになるでしょうね。
確かにアセアンなどを中心としたコミューター市場は大きくEVに変わっていきます。インフラを作るサービスステーションを張り巡らせ、航続距離の足りなさを繋いでいく。また、そういうインフラが整備されないところでは、バッテリーのエネルギー密度の改良を期待しながらも、家庭用充電で使えるような小型のEVに切り替わっていきます。
でも、欧米や日本のような先進国市場の趣味性の高いスポーツバイクがいきなりすべてEV化するとは考えにくい。モーターサイクルの楽しみの中には、果てしない長距離を時間をかけて旅をする、という人生を豊かにする楽しみがあるからです。これは残念ながら現在の電動技術では成立しません。
──水素や電気に行く前にeフューエルがくるんですか?
西田「まあ、eフューエルですよね。水素もエネルギー密度が低い。高圧縮した水素を搭載して、それを燃焼させるんですけど、今のバイクのレイアウトだとほんの少ししか走れません。さらに水素は、エンジン開発よりも可燃性の高い加圧した水素をいかに安全に車両に搭載して走らせるか? ということも考えなければなりません。当然、このあたりの技術も現在の業界協働の中で進化していくことは期待できます。
だから今はeフューエル、カーボンニュートラル燃料が一番答えに近い。その世界を燃料を供給してくださる方と一緒に作っていくのが2030年くらいまでの我々の仕事です。我々は燃料を作れませんから。
一方で我々は、CO2排出量を下げます、と宣言しているので、これからのエンジンは今のエンジンに対して何%CO2排出量を減らせるか? 何%燃費が良くなるのか? というスコープがないと開発できません。
もちろん、スポーツバイクの中でも電動化がマッチするシーンもたくさんあります。たとえば静かな森の中をゆっくりと走るようなシーン。これは確実に内燃機関による排気音より、ほぼ無音な電動モーターや電動アシストの方がマッチするはずです。ヤマハはこういうシーンも大切にしていきたい、新しいコンセプトの電動モビリティの提案を行いたい、と思っています」
──バイク趣味の形態としては変わらないと思って良いんですかね? 不安に思わなくて良いですか?
西田「我々は趣味ではなく仕事ですから、その不安を変化させることができます。内燃機関しかやっていなくて何も備えがなかったら不安になるかもしれませんけど、ぜんぜんそんなことありませんからね」
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