2006年、圧倒的な強さを誇っていたヴァレンティーノに対し、ニッキーはタイトル争いをリード
2006年はそれまでにない混戦となった。世界GP最高峰クラスが4ストロークになったMotoGPから参戦を開始したドゥカティも戦闘力を大幅に向上。ドゥカティファクトリーのロリス・カピロッシは、デスモセディチの圧倒的なトップスピードを武器にシーズンをリード。
ロリスは開幕戦スペインでポールトゥウインを決め、第7戦カタルーニャで負傷するまでチャンピオン争いの一員だった。
一方のニッキーは、堅実にポイントを重ねる走りを披露。第3戦トルコでランキングトップに浮上すると、第8戦オランダで優勝。ランキング2位以下に42ポイントという大量のリードを築いた。
ホンダもニッキーを懸命にサポートした。V型5気筒という独創的なレイアウトをMotoGP初年度から使っていたホンダは、『ニュージェネレーション』と呼ばれるニッキー専用機をエンジンを含めて開発。
990㏄最終年度(2007年からMotoGPエンジンは800ccに)であったにもかかわらず、この意気込みは周囲を圧倒。ホンダならではの強さだった。エンジンの軸配置を変更して、エンジンの前後長を短縮。従来のホイールベースを維持しながら、スイングアームを伸ばすためにエンジンをつくり直したのである。
その大きな目的は、エンジン単体におけるマスの集中と軽量化。単体重量はオリジナルに対して7%軽く、内部パーツのフリクションを低減させ、最高出力は3%以上向上していた。
開幕戦で14位だったヴァレンティーノは、第2戦カタールで優勝を果たすが、第4戦中国〜第5戦フランスでノーポイント。ランキングは8位まで後退していた。しかし、シーズン中盤以降に王者の強さを発揮。第6戦イタリア〜第7戦カタルーニャで連勝してランキング3位に浮上し、タイトル争いのメンバーに加わってきたのだ。
信じられないアクシデントを乗り越え、タイトルを奪取!
第11戦アメリカでの優勝以来、表彰台に上がれなかったニッキーは、第15戦日本までランキングトップを死守。しかし、残り2戦となった第16戦ポルトガルで、信じられないアクシデントに見舞われる。
レプソルホンダのチームメイトであるダニ・ペドロサがニッキーのイン側で転倒。2台はそのままリタイヤとなってしまったのだ。これはニッキーにとって2006年シーズンで、初めてのノーポイントレースだった。
そして、このレースで2位を獲得したヴァレンティーノがランキングトップに浮上。しかも、8ポイントの大差をつけられてしまった。やはり今シーズンもヴァレンティーノなのか……世界中がそんな雰囲気になった。
しかし、ニッキーは諦めなかった。
最終戦バレンシアの予選は5番手。決勝は好スタートをきり、3番手のポジションをキープする。レースをリードするのは、ドゥカティでWSBタイトルを決め、スポット参戦したトロイ・ベイリス。そこにロリスが続く。
ニッキーは積極的な走りを見せ、MotoGPチャンピオンに向け走り続けた。スタートに失敗したロッシは、走りに焦りが見られ、5周目に転倒。6連覇はならなかった。
ニッキーは、地元アメリカGP以来となるシーズン10度目の表彰台に上り、念願のタイトルを獲得した。
「人生を賭けて何かに打ち込み、その夢を叶えたとき、最高の悦びが得られる」。これは、レース終了後のニッキーのコメントだ。
「自分自身と支えてくれたチームや家族を誇りに思いたい。ポルトガルで夢は途切れたと思ったけれど、最終戦では気持ちを切り替え、走りに集中した。レースは何が起こるかわからない。最後まで戦おう、いまやらないで、いつやるんだ! と自分自身に言い聞かせた。ヴァレンティーノとの差は、サインボードで見ていた。転倒したことも把握していたが、バイクに問題がなければ、あっという間にポジションを上げてくるライダーだから、油断はしなかった。P3 OKという表示でやっと安心することができたよ」
諦めずに努力して、掴み取ったタイトル
2006年の戦いは本当にドラマチックだった。歴史に残る戦いだった。ニッキーが全力で走る姿、夢を叶えた時の涙や笑顔はいまでも鮮明も思い出せる。
その後、ニッキーのレースでの成績は十分といえるものではなかったかもしれない。それでも多くのファンの心にその走りが刻まれているのは、誰しもにその努力が伝わってきたからなのではと思う。
ニッキーは確かにマシンコントロールに長けてはいたが、決して天才ではなかった。でも調子が良い時もナーバスな時も感情を表に出し、それがとても魅力的だった。素直に応援したくなった。どんな時も前向きで、ファンサービスを忘れず、バイクのコンディションがよくなくても自分の100%を出し続けていた。思い通りにならないバイクでもひたすら走り込んで自分を納得させているようなシーンもたくさん見た。本当にバイクが好きで、レースを愛していた。
この後、何度かインタビューを受けてくれたが、ニッキーは常に我々メディアにさえも気を使ってくれた。2007年2月、ホンダのキックオフパーティに来日していたニッキーは、日本に着いた翌日の朝6時にホテルの地下駐車場まで降りてきてくれて撮影に付き合ってくれた。
2月なのに半袖のレプソルシャツ1枚で現れた彼と握手すると、大きな手はとても温かった。早朝からあの100%の笑顔を披露してくれたのは言うまでもない。
そして、どんな質問にも真面目にそしてユーモアを入れて答えてくれたのも印象的。ホンダからドゥカティに移籍した直後に、ドゥカティの印象は? という質問にも「ドゥカティはアニマル(野獣)だ。ホンダとは全然違うよ」とニッキーは笑った。
ケンタッキー・キッドは、スーパースターになってもどこまでもナイスガイだった。あのビッグスマイルが、いつまでも忘れられない。
※本記事は“ミリオーレ”が提供したものであり、文責は提供元に属します。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
あなたにおすすめの関連記事
ウイングからエアロパーツへ。前輪の接地感向上からウィリー抑止のアイテムへ 2022年、MotoGP第6戦スペインGPはヘレスで開催。ストレートは比較的短めだが、後半セクションは中高速コーナーが続き、エ[…]
ドライでは装着していないメーカーも…… スイングアームの下に装着された、当初はスプーンと呼ばれた空力デバイス。2018年のテストから登場し、2019年から本格的に採用したのはドゥカティだった。また、そ[…]
ロケットスタートを可能にするホールショットデバイス 2018年あたりから進化を続けているホールショットデバイス。現在は前後サスペンション(リヤはリンクの可能性も)に作動させ、ご覧のようなシャコタンスタ[…]
「全日本チャンピオンを獲得して、一番いい形でWSBKに参戦できた」 野左根の出発点は、子ども向けオフロードバイク、ヤマハPW50だった。土日にはいつも家族で河川敷に行き、バイクを楽しんでいたという。あ[…]
数えきれないほどのライダーを育んだヤマハTZ250 '80年代に入ってからのTZ250は、日本でレース&バイクブームを巻き起こし、さらには世界GPの黄金期を支えた。そして、そこで培った技術は市販車にも[…]
最新の記事
- スズキ「Vストローム250SX」と「Vストローム250」は何が違う? 身近な兄弟車を比較!
- 【2024年11月版】150~250cc軽二輪スクーター 国内メーカーおすすめ7選! 125ccの双子モデルからフルサイズまで
- SHOEIがシステムヘルメットのド定番モデル「ネオテック3」に新グラフィック「ANTHEM」を発表!
- SHOEIが「Z-8 YAGYO」を発表! 百鬼夜行をイメージしたバイクパーツ妖怪が目印だ!!
- 【SCOOP!】ついに「GB500」登場へ?! ホンダが海外で商標を出願!