【BMW R1250GS ADV.でツーリング】天竜川春疾風〜風と月の大河流域二輪旅
遠州平野を南北につらぬくように太平洋へと注ぐ大河、天竜川。河口の砂州から中流域の月集落まではわずか30kmほどで、日帰りツーリングにも最適だ。天竜川流域に点在する絶景とやらまいか精神を体現した郷土の偉人を訪ねる二輪旅へ。
⚫︎文:田中淳麿 ●BRAND POST提供:BMW Motorrad
その名の通り竜神信仰から名付けられたと伝わる天竜川。龍神伝説が残る諏訪湖を水源とし、南アルプスと中央アルプスの間を数々の断層を跨ぐようにして遠州灘に流れ込んでいる。
流域の地盤が弱いことから土砂の流出が多く、濁りの激しい区間も多いが、最後は突き出した砂州によって狭められたわずかな隙間に集まるようにして荒波の激しい太平洋へと至る。
集落や偉人の足跡を辿る天竜川を下りながらの旅
天竜川はその長さが219kmと全国でも9位の大河川だ。かつては”あばれ天竜”などど呼ばれて歌(鏡五郎「あばれ天竜」が有名)にもなった荒くれドラゴンも今ではすっかり手なづけられたようで、きれい舗装された堤防道路が延々と続くさまは荒々しさというよりはのどかで平穏な印象を受ける。
しいて言えば、北西の風だけが容赦なく、竜の息吹のような突風のせいで本当に肝を冷やす。
さて、今回は月面旅行で有名な月集落から川沿いに下り、時おり橋を渡ることで川の西側の浜松市と東側の磐田市を行ったり来たりの小旅行となる。
旅の途上ではバイクはもちろんのこと「やらまいか精神(※)」でものづくりに励み地域産業どころか日本の発展にまで寄与した郷土の偉人の関連施設や史跡も巡る。バイク乗りには特におすすめのルートとなるはずだ。
※「とにかくやってみよう」「やろうじゃないか」という静岡県西部の方言、起業家精神
楠木正成の心が伝えられた集落で往時に思いを馳せる
国道152号線から分岐する県道360号線、その先にあるのが月集落だ。”月”という地区名称もさることながら県道360号線に設置された「月3km」というシュールな青看板がSNSやテレビ、旅行ガイド誌などで話題となり「ちょっと月旅行に行ってきました」はすでに定番のネタとなっている。
天竜川流域は長く、他にも印象深い地域は数多いのだが、時代にマッチしたというのだろうか、月集落は頭一つ抜けている感がある。と言え人口50人ほどの小さな集落に観光客向けの商店や飲食店などはなく、そこにあるのは限界集落となりつつある山間の小さな居住区域の姿だ。
月集落の始まりは”楠公(くすこう)”として現在も敬まわれている南北朝時代の英雄、楠木正成(くすのき まさしげ)の敗北に始まっている。南朝側として鎌倉幕府の打倒に貢献し建武の新政を実施した後醍醐天皇を奉じたその功がどれほどのものかは皇居外苑国民公園に建つ楠公の銅像を仰ぎ見ればわかるだろう。
1336年(建武3年)7月、楠公は湊川の戦いで足利尊氏に敗れて自害したが、その楠公に仕えていた源氏の一族である鈴木左京之進(すずき さきょうのしん)が家来とともに落ち延びた先がこの地だった。
左京之進は集落の小高い土地に屋敷をかまえ、1392年(明徳3年)に78歳で没したという。よく山間の集落を訪ねると「ここは平家の落人が開いた村じゃ」みたいなことを聞かされるが、源氏の落人というのは珍しいかもしれない。
月集落は江戸時代までは幕府領月村だったが、その後の町村制施行や市町村合併により現在は浜松市天竜区のいち地区となっている。ともあれ大敗北の後に十数人で落ち延び、現在までこの地に人の営みが続いているということが感慨深い。
月という名の由来は楠公の心のあり方が語り継がれたものだという。勝ち目のない戦いと知った上で天皇に忠義を尽くして死んだ楠公は講談や唱歌などで大人気となったが、そういう視点を持って訪ねるとまた印象が違うものとなるだろう。
本田宗一郎氏の少年時代と父 儀平氏の成功体験
浜松市の北部、天竜区二俣町を中心とした一帯はホンダ創業者の本田宗一郎氏が生まれ育った土地だ。地名の二俣とは天竜川と阿多古川のデルタ地帯(扇状地)であることを意味している。
二俣町は天竜川の大きなカーブの内側に位置し152号線と362号線の2つの国道が交わるほか、天竜浜名湖鉄道の本社がある天竜二俣駅ろ二俣本町駅が置かれるなど交通の要衝となっている。
1906年(明治39年)、本田宗一郎氏は静岡県磐田郡光明村(現 浜松市天竜区)に生まれた。父 儀平氏は腕の良い鍛治職人として知られていたがかなり貧しかったようで、それは生家跡の立地や痕跡からも伝わってくる。
その後、村の中心部に転居した儀平氏は鍛冶屋のかたわら自転車修理販売店を開業し成功。当時、自転車はまだ普及し始めた頃で自動車に至っては稀な存在だった。
中古の自転車を修理して安く販売する手法で地域の評判店になったそうだ。まさに国内における大衆向けパーソナルモビリティを成功させてわけで、この体験は本田宗一郎にも大きな影響を与えたのではないだろうか。
そうした本田家の息吹が感じられる土地を訪れることは、このモビリティ革命期においては特別な意味を持つのかもしれない。そんなことを考えながらゆかりの地を巡った。
太平洋へと注ぐ天竜川
天竜川の河川敷は河口に近づくほど広くなる。川の両岸には堤防道路も築かれていて信号も少なく快走できる…ことには間違いはないがそうもいかなかった。当地の風物詩、遠州からっ風が猛烈に吹き付けており大型バイクでもあおられてしまう。
それだけならいいが、対向車のダンプやトラックとすれ違うたびに複雑な風圧にあおられてしまい、これは危ないと思って展望道路を降りて下道を行く。地元のスクーターはふらつきながらも凄いスピードで堤防道路を走っているのだから恐れ入る。
ひやひやしながら天竜川を下ると、やがて河口の砂州に到着した。強風のためか釣り人もおらず、風に舞い上がる砂塵と濁りを伴う遠州灘か漠々たる世界を見せつけている。
北西の強風は砂州の突端へと砂嵐のように吹き抜けていて風上を向くこともできない。さすがは天竜、諏訪の杜を悠々下り河口の砂州にて風に乗り、天に昇る。最後にひと暴れしたわけだ。
【今回の旅の相棒】BMW R1250GS Adventure
とにかくスポーティで少し急かされるようなR1300GSと乗り比べるとR1250GSはまったり乗れるツアラー的性格が光る。静かにトコトコと粘りのある出力特性、ローダウンによる足つきの良さ、重さによる突風への安心感など今回はR1250GSの性能に助けられた。
※本記事はBMW Motorradが提供したもので、一部プロモーション要素を含みます。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。