青木宣篤の上毛GP新聞

元GPライダー・ノブ青木の”青き”青春グラフィティ〈ハルナ乗りの真実・前編〉

「独特すぎる!」と揶揄されながらも、自分を決して曲げなかった。ノブ青木が貫き続け、今もこだわるライディングフォーム「ハルナ乗り」。実は憧れの人をマネしたことが発端だった。だが、その「憧れの人」も、あるライダーに影響を受けていた。体と頭をイン側に大きく落とすフォームに隠れた真実に、今、迫る。

中学生の時、ミニバイクレースで注目を集め始めていたワタシだったが、速さだけが要因だったのではない。独特なライディングフォーム──インに大きく体を落とすハルナ乗り──によるところが大きかったように思う。

だが、雑誌に写真を送れば「中国雑伎団みたいな乗り方」と言われ、雑誌の表紙を飾ればある国際A級ライダーに「あの乗り方はダメだ」と言い放たれ、ハルナ乗りの評価は必ずしも良いものではなかった。どちらかと言えばキワモノ扱いだったのである。

自分としては、背の高いライダーがガツッと体を落とすライディングフォームは、マンガ・バリバリ伝説の主人公、巨摩郡のイメージだった。だから誰に何を言われても気に……なっていた。多感な少年時代のことである。ボーッと見えるワタシでも、しっかりと傷付いていた。

自分では「バリバリ伝説の巨摩郡みたいだ!」と思っていたが、ハルナ乗りに対する風当たりは強かった。あまりに独特だったのだ。「ナニクソ!」という思いがフォームへの執着と速さにつながっていった。

内心、「チクショー!」と思っていたワタシは、当然、意固地になった。絶対ハルナ乗りを貫いてやろうとムキになったのである。

それもやむを得ないことだった。今になって思えば、ハルナ乗りは実に理に適ったライディングフォームなのだが、理解者は少なかったし、ワタシ自身、当時は理屈を説明することができなかったのだ。

理路整然と説明できなければ、人は意固地になるしかない。ワタシは頑ななまでにハルナ乗りにこだわった。

何かと意固地になる少年期、ノブ青木も「誰がなんと言おうとフォームは変えない」と意地になり、そのまま世界を舞台に戦った。意地も張り続ければ頂点に辿り着く。

そこにはもうひとつ大きな理由があった。実はハルナ乗りはワタシのオリジナルではなく、憧れの人のマネだったからだ。その人への憧れはあまりに強く、変えるつもりなどサラサラなかった。

もし「速くなるためにはどうしたらいいですか?」と問われたら、ワタシは胸を張って堂々とこう答える。「速い人のマネをしなさい」と。

これは古今東西老若男女を問わない、絶対の真理である。レースをやっていると、必ず「おっ、あの人速ぇ」とか「あの人かっけぇ」という、憧れのライダーと出会う。

最初から速い人はいないのである。壁にぶつかったりしながら徐々に速くなっていく過程で、「あの人みたいになりたいな…」と思える、導師のような存在と巡り会うものなのだ。

コースを走るその人の姿をいつも目で追い、なんとか近付こうと頑張る。ワタシのハルナ乗りも、そんな導師をマネした──今風に言えば丸パクした──成果だった。

その人の名は、髙槗輝夫さん。榛名モーターランドのミニバイクレースで、髙槗さんはめちゃくちゃ速かった。ガリッガリにチューニングしたマシンが1周43秒だったところ、髙槗さんはドノーマルで44秒で走っていたのだ。

この方がハルナ乗りを生み出した元祖、髙槗輝夫さん。峠ライダーからミニバイクレースに転身し、激戦区の榛名モーターランドで活躍した。「どうすればアクセルを開けられるかを考えてました」と、速く走ることを追求し続けていた。

これはもう、あり得ない速さだった。「すげぇなぁ!」と、少年のワタシは素直にたまげ、尊敬していた。もうひとり、大橋寿樹さんも非常に速かったのだが、ふたりに共通していたのが大きく体をインに落とし、頭までイン側に持ってくるライディングフォームだった。特に髙槗さんは極端で、強く印象に残った。

当時のロードレース界では、頭はマシンの中心で維持するのが常識だった。髙槗さんや大橋さんは常識外れのモンスター。つまり、少年が憧れざるを得ないカッコよさだったのである。

思えば、ヒザ擦りの元祖と言われているケニー・ロバーツのライディングフォームだって、アイスレースで鍛えたフィンランド人、ヤーノ・サーリネンにインスパイアされてのことだ。「インスパイア」と言えば聞こえはいいが、要はケニーさんもサーリネンがカッコいいと思い、憧れ、マネッ子したのである。繰り返しになるが、マネは正義なのだ。

さっそく髙槗さんマネをしたワタシだったが、最初、メリットはよく分からなかった(笑)。ただ、ひとつ明らかだったのは、少ないバンク角でコーナリングスピードを稼げることだった。

特に髙槗さんが参戦していたノーマルクラスは、ステップの変更さえ許されていなかったので、バンク角はどうしても浅い。その限られた条件で速く走るために編み出したのが、体も頭もイン側に落とすことで、マシンをできるだけ起こすフォームだった。

(ハルナ乗りの真実編その2へ続く)


●監修:青木宣篤 ●写真:青木家所蔵 ※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。

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