2002年終盤、明るい兆しが見え始めた

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.16「予選で3選手全員がフロントローに!」

  • 2020/4/25
2002年オーストラリアGP 青木宣篤、ジェレミー・マクウィリアムス、ユルゲン・ファンデン・グールベルグ

ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。2002年、ブリヂストンはロードレース世界選手権最高峰クラスに参戦開始。シーズン序盤は問題多発&レースでは苦戦するも、終盤では翌年につながる好材料も得ました。

TEXT:Toru TAMIYA
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“予選用スペシャルタイヤ”が生まれるきっかけにもなった

ロードレース世界選手権最高峰クラス(2002年からMotoGPクラス)の参戦初年度となった2002年、ブリヂストンのタイヤ開発に対する基本思想は、まずラップタイム短縮を重視し、その上でその性能を長く維持させるという方向性が、前年の開発テストから継続されていました。まずはとにかく速く走れなければ、どんなに性能が安定していても勝つことができないというのが、我々の考え方でした。そして、いわゆる“一発の速さ”ということでは、シーズン終盤に実力を証明することができました。

この年、ブリヂストンはMotoGPクラスでは、カネモトレーシングのユルゲン・ファンデン・グールベルグ選手、プロトン・チームKRの青木宣篤選手とジェレミー・マクウィリアムス選手の3名にタイヤを供給していましたが、最終戦手前となった第15戦オーストラリアGPの予選で、マクウィリアムス選手がブリヂストンにとってはWGP最高峰クラス初となるポールポジションを獲得。さらに青木選手が予選3番手、グールベルグ選手が同4番手となり、ブリヂストンタイヤを使用する全選手が決勝スターティンググリッドのフロントロー(最前列)に並ぶことになったのです。ちなみに、現在のMotoGPは1列3台ですが、当時は1列4台でした。

2002年オーストラリアGP ジェレミー・マクウィリアムス

2002年第15戦オーストラリアGPの決勝レースに、ポールポジションから臨んだプロトン・チームKRのジェレミー・マクウィリアムス選手。しかし3気筒500ccマシンはパワーではライバルに劣ることから、スタート直後から後続に飲み込まれることに……。 [写真タップで拡大]

ケニー・ロバーツさん率いるチームKRは、3気筒500ccのプロトンKR3を走らせていましたが、このマシンは2スト4気筒500ccやこの年から参戦がスタートした4スト990ccと比べて軽量で、パワーで劣る代わりにコーナリングスピードを稼げるメリットがありました。オーストラリアGPの舞台となってきたフィリップアイランドサーキットは、カントがほとんどついていないヘアピンカーブがあったり路面ミューが低かったりして、高速コースではあるのですが、パワーだけではなく優れたハンドリング特性がないと速く走れないサーキット。チームKRとしては、それまでの開発努力とマシンの特徴が存分に発揮された結果と言えるでしょうし、ホンダのNSR500を駆ったグールベルグ選手にしても、優れたグリップ力のあるタイヤがうまく機能した結果だと思います。

このときの予選に使用したのは、決勝の周回数は持たないけど、数周ならラップタイムを削る走りが可能という、いわゆる予選タイヤに近い仕様。たしかこの後のシーズンだったと思いますが、本当に1周しか持たないような予選スペシャルタイヤを導入していた時期もあります。ライバルのミシュランも同じようなタイヤを開発してきましたし、そもそもライダーやチームからも予選でそういう仕様のタイヤを求められるようになりました。

当時はタイヤの使用本数制限があったわけではないのですが、とはいえ1回の予選で何度も使用できる状況ではないので、どのタイミングでこれを履くのかがとても難しいのですが、その代わりにこのタイヤを履けば確実に1秒以上は軽々とラップタイムが縮まるという、まさにスペシャルなタイヤ。本当のところは、そのような予選向けの仕様を開発しようという明確な目標があったわけではなく、我々が持つパフォーマンスのレベルを確認しようと思って設計されたタイヤです。しかし、当然ながらライダーたちは、そういうタイヤがあるのなら予選で使いたいわけで、リクエストの結果として予選スペシャルタイヤの開発も進んでいったわけです。

2002年オーストラリアGP

シーズン序盤にはブリヂストンタイヤを酷評したカネモトレーシングのユルゲン・ファンデン・グールベルグ選手だったが、2002年第15戦オーストラリアGPでは予選4番手に躍進して、最前列グリッドから決勝に。宇川徹選手や加藤大治郎選手とのバトルには僅差で敗れたが、決勝でも5位に入賞! [写真タップで拡大]

一方で、それから数年が経ち、ライダーの間でも予選タイヤを使用することを疑問視する声が上がり、タイヤメーカー3社とMotoGPの運営権利を所有するドルナスポーツが予選タイヤ排除の方法を検討したのですが、レギュレーション化することはできませんでした。予選では、スペシャルタイヤをタイミング良くうまく使ったライダーが、良いグリッドポジションを得られるので、予想外のライダーがグリッド上位に浮上する事態が続き、バレンティーノ・ロッシ選手らトップ数人のライダーたちが、安全性の面からも予選スペシャルタイヤの使用に反対するようになったのです。タイヤ3社も同意し、予選で使用したタイヤを決勝に使うとか、予選3周連続の平均タイムで決めるなどさまざまな案を検討しましたが、いずれも安全上や分かりにくさの面で実現しませんでした。ずいぶん後になって、最初の練習から予選・決勝までのタイヤ使用本数制限というレギュレーションが設けられますが、これは予選タイヤを排除するための苦肉の策でもあったわけです。

それはともかく、このオーストラリアGPでは、決勝レースでもグールベルグ選手が5位でフィニッシュして、これが2002年シーズンのブリヂストン勢ベストリザルトとなりました。同じくフロントロースタートだったマクウィリアムス選手と青木選手は、やはりマシンのパワーがないことから、スタート直後の1コーナーまででライバルたちに抜かれ、レース中のバトルでも苦戦。青木選手が7位、マクウィリアムス選手が10位でした。レースはロッシ選手が独走で優勝し、アレックス・バロス選手が2位。グールベルグ選手は、宇川徹選手や加藤大治郎選手と表彰台争いを繰り広げ、3位の宇川選手から約0.3秒差、4位の加藤選手とはわずか0.1秒差での5位でした。

初表彰台という夢こそ果たせませんでしたが、これまでに紹介したグールベルグ選手の不満ぶちまけ問題やケニーさんによる私の軟禁事件などを乗り越えながら、4月から15戦を終え、ようやくここまでの成績が残せるように。もちろん、まだまだ満足なんて少しもしていませんでしたが、翌年に向けて確かな手応えを得ることになったのです。

2002年オーストラリアGP 伊藤真一

2002年第15戦オーストラリアGPには、前年のブリヂストン開発ライダーを務めた伊藤真一選手が、タイヤテストのためにカネモトレーシングからスポット参戦。しかし決勝は、レース中盤でリタイアに終わった。 [写真タップで拡大]

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山田 宏

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ブリヂストンでタイヤ開発を経てレース部門へ。ロードレース世界選手権では1991年のWGP125ccクラスへのスポット参戦からMotoGPへのワンメイクタイヤ供給まですべてを統括した。その後は世界耐久選手権シリーズで、ブリヂストンサポートチームの初優勝、初タイトルを見届けた。2019年7月をもって定年退職。視線はモータースポーツの未来へ。