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世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.5 「日本人ライダーが世界で活躍するためには……」

  • 2019/3/15

1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第5回は、職業としてのレーシングライダーについて語る。

TEXT:Go TAKAHASHI

モトGP人気が高い国は、バイクがたくさん走っている

モトGP、ついに開幕しましたね! 第1戦カタールGPでは、モト3クラスで鳥羽海渡選手が日本人として同クラス初優勝を果たしました!! GP最小排気量での日本人優勝としては、’07年の小山知良くん以来。これは快挙だと思います。鳥羽くんのエンジンはちょっと速かったようで、自信を持って走っていましたね。「最終コーナーを2番手で立ち上がれば勝てる!」と冷静に戦局を判断していました。これで他の日本人ライダーたちにも火が点くんじゃないかな。なんだかんだ言って日本人同士のライバル心はありますから、ひとりが勝ってくれると「アイツがイケたなら、オレもできる!」と勢いに乗るはずです。

鳥羽くんは19歳。僕がヤマハファクトリーライダーとして全日本ロード250ccクラスで戦い始めたのが18歳の時ですから、ほとんど同じ年頃です。僕の時代よりも世界が近付いている……ようにも見えますが、実態はなかなか厳しい。当時は各メーカーがレースに非常に力を入れていて、各クラスにファクトリー体制が敷かれていました。僕も18歳ですでにメーカーからお給料をいただいて走ることができていた。つまり、お金をいただける職業としてレースが成り立っていたんです。

それだけ競争も厳しかったのは確かですが、今の日本のヤングライダーたちに比べれば恵まれていた、とも言えます。レースに専念することができましたからね。今、全日本を戦いながら、レースだけで食べている人がどれぐらいいるのでしょうか? ファクトリー体制を明言しているのは、JSB1000クラスのヤマハとホンダだけ。メーカーが全日本にお金を使ってくれないという、かなり危機的な状況が続いていることは間違いありません。

ではどうしたらいいのか?「全日本そのものの集客力を高める」など、いろいろな考え方があるでしょう。僕は、まずは日本でバイクが売れてくれることが重要だと思っています。バイクが売れれば、メーカーが改めて日本の市場を魅力的に感じ、レースにお金を使ってくれることにも期待できます。僕たちが全日本を戦っていた80年代後半は、まずバイクが売れていた。そのおかげで僕たちはメーカーからお金をいただき、職業としてレースができていました。

レースって、実はかなりマニアック。まったく何も知らない方がレースを観に来ても、ヘルメットをかぶっているライダーは誰が誰だか分からないでしょうし(笑)、マシンについてもよく分からないと思う。だからこそ、まずはバイクに興味を持ってもらい、乗ってもらうことが大事なんじゃないかと。バイクに乗っていれば、もう少しレースを身近に感じてもらえる。バイク乗りなら、レースを観てもライダーたちの凄さや、レースの意味、価値が分かってもらいやすいと思うんです。

もちろん、レースそのものの分かりやすさや魅力を高める努力も必要でしょう。モトGPがかなりの盛り上がりを見せているのも、プロモーターであるドルナの頑張りがかなり効いています。最初のうちはかなり苦労していましたが、イメージ戦略やPRの仕方、映像の作り込み方などかなり努力して、ショーとしての魅力を高めた。そして今では、モトGPをステータスの高いプロスポーツに押し上げることに成功しています。でも、モトGPが人気の国って、やっぱりバイクが普及している国なんですよね……。

今の日本でバイクを普及させることが難しいのは分かっています。「レース盛り上げのためには、バイクの普及が重要」なんて、かなり遠回りにも感じますよね。でも、メーカーに余力がなければ、レースにお金を使ってくれない。メーカーがレースにお金を使ってくれなければ、職業としてレースが成り立たない。プロスポーツにならなければ、その世界に憧れる若い世代も出てこない……。いつまでも悪循環が続くばかりです。

だから僕は、一般のツーリングライダーが増えてくれることがとても大事だと思っています。日本でバイクが売れるための突破口があるのかどうかは分かりませんが、僕は自分のできることとして、僕自身もツーリングを楽しみながら、なるべく多くの方にバイクの魅力を発信しようと考えています。レースが先か。市販バイクが売れることが先か。「卵が先か、鶏が先か」みたいな話ですし、最初に言ったようにいろんな考え方があるとは思いますが……。

タイヤのグリップが落ちてきてから、どう走るか

#04 ドヴィツィオーゾと#93 マルケスがレベルの高いレースを展開した。

さて、だいぶ遠回りしましたが(笑)、話をモトGP開幕戦に戻しましょうか。モトGPクラスで優勝したのは、ミッション・ウィノウ・ドゥカティのアンドレア・ドヴィツィオーゾ。彼のタイヤのマネジメント能力は素晴らしく、今回は完全にレースペースをコントロールしていました。ドヴィと同レベルでタイヤマネジメントができていたのはレプソル・ホンダ・チームのマルク・マルクスだけ。あとのライダーたちは、トップグループを形成しながらもドヴィとマルケスについていくのがやっと、という状態でした。

今のモトGPは、タイヤマネジメントがすべてと言ってもいいほど。ライダーが何をやっているのかは走り方やマシンセットアップ次第なので何とも言えませんが、刻々と変わる状況に対応するためには、走りの引き出しが多いに越したことはありません。ドヴィとマルケスは開幕前から「タイヤグリップを失ってからどう走るか」を重点的にテストしていましたが、「やはりこのふたりが来たか」という印象です。

ブレーキのかけ方、スロットルの開け方、体の使い方……。ライディングのすべてをいろいろと微調整しながら、最後の最後までタイヤを保たせる。それをあのハイスピードで、しかも他のライダーとバトルしながら、精密に行っているんですから、本当にスゴイですよね……。

1989年4月9日 全日本ロードレース第3戦 筑波サーキット。この年から原田さんはヤマハファクトリーチームに所属した。マシンはTZ250だ。

ウォームアップエリアにて。

まだ少年の面影が残る原田さん。

当時のTZ250は後方排気。市販車のTZR250はその直系モデルとした販売された。

『世界GP王者・原田哲也のバイクトーク』は、毎月1日・15日にお届けします!

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原田哲也

原田哲也

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1993年ロードレース世界選手権(WGP)250の世界チャンピオン。1992年に全日本で同クラスのチャンピオンを獲得し、翌年に初挑戦のWGP250で戴冠した。現役当時のニックネームは「クールデビル」。'02年に現役を引退し、現在はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。