街全体にワクワク・ドキドキしたあの頃

「バイク熱狂時代は永遠に」──1980年代に若者が集った「上野バイク街」の現在はどうなってる?

かつては各地から集まったライダーで大いににぎわった上野も、今はマンションなどが建ち並び、その様相は大きく変わってしまった。その一画で今なお営業し続けるバイク用品店「RABEE」の店長さんと、元「D’s」の店員さんに"バイク街"の昔と今を語ってもらった。 ※本記事はMotorcyclist2016年1月号に掲載されていたものを再編集しています。


●記事提供:モーサイ編集部 ●report:高野栄一 ●取材協力:ラビー

情熱は昔も今も変わらず

「土日ともなると、ヘルメットとその周辺パーツだけで1日の売り上げが200万円、それに加えて革ツナギやグローブ、ブーツなどの用品関係だけで1日に500万円とか600万円とかの売り上げがありました。今ではまず考えられない額ですよ」

かつて上野バイク街の一画を占めていた用品店「D’s」に勤め、アールエスタイチで営業を担当(取材当時)する海野さんは当時の様子をこう語る。

インターネットや量販店が充実する前の関東近郊では、中古車やバイク用品といえば上野まで買いに行くのが相場だった。

今では想像もつかないが、一番上の写真のように、土日ともなると3車線あるうちの1車線が完全に駐輪場となるほどのバイクで埋め尽くされた。

「レジに革ツナギを抱えた若い子たちが並ぶんです。たいていの子はローンです。クレジットカードも今ほど一般的じゃないし、16とか17の子は親の保証が必要になるから、電話して許可をもらうんです。でも親は革ツナギを買うことなんて聞いてないから、そこでひと悶もん着ちゃく始まるわけですよ。当時は安いので7~8万、だいたい10万円くらいでしたけど『月5000円くらいだから大丈夫だよ』とか。当時はお台場に何もなかったから、それを着て船の科学館の辺りを走ってましたね」

当時のメインユーザー層はレーサーレプリカにまたがる血気盛んな若者たち。

交差点ではウイリーや信号GPさながらの張り切りぶりが見られ、あるいは月ごとに登場するニューモデルの姿を求めたり、雑誌広告に載っていた新製品の現物を間近に見たりと、かつてのバイク街は行くだけで何かが発見できる街だったのである。

一方、今なおこの地で営業を続けるバイク用品店「ラビー」店長の相原さんは現在の様子をこう語る。

「40代、50代の人がメインなのは確かですが、若い人も以前に比べてちょっと増えてきたかなって感じです。ニンジャ250Rの登場などがきっかけで20代の人も乗るようになったようです。リターンライダーもそういうバイクを求める向きはありますし、そんなバイクが出てくれるとこちらも潤う、みたいなところはありますから」

ラビー店長の相原実樹典さん(右)とアールエスタイチの海野洋三さん

今の若い人は堅実で、ローンを組んでという人は皆無に近いそうだが、それ以上に異なるのが安全性に対する考え方だ。

「安全なものを着たいという意識は確実に高くなってます。逆に年配の人でプロテクターは要らないからそのぶん安くしてくれという人はいます」

革ツナギにしても、今は年に1回問い合わせがあるかないかくらいだそうだが、サーキット走行や講習会用に欲しいと考えている人も決して少なくはないそうだ。

しかし価格がネックになるようで「今だと1番安いものでも13万〜15万円くらいします。ほかのメーカーさんですと10万円以下のものや特価でヨンキュッパのものが人気があるようです」と海野さん。

ラビーの場合、今では仕事帰りの会社員や海外からの観光客などの立ち寄りで、売り上げは平日のほうが高い。

また、売り上げの比率も4割くらいが海外からの観光客で占められ、〝爆買い〟もよくあるという。

「特に外国人観光客ですが、たぶん選ぶのに一生懸命なんでしょうけど、商品を見る目とかキラキラしていて、楽しんでいるのが伝わってくるんです。店内に貼ってある当時のバイクのポスターとか見て、知っているならまだしも、2ストディオの全タイプを持っているという人とか(笑)。バイク好きの傾向は洋の東西を問いませんね」

上野に生きる人、または訪ねてくる人の情熱は昔と同様か、むしろそれ以上に熱いものがあることは確かなようだ。

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