70余年の歴史、そして世界のクシタニへ【50年カンパニー Vol.3後編 KUSHITANI】
創業以来、長きにわたってライダーをサポートし続けているメーカー/企業が、ここ日本には数多くある。中でも、50年を超える歴史を持つところは、バイク業界に訪れた大波・小波を乗り越えながら、常にライダーを見つめ、ライダーのために歩んできた。創業77年を迎えたKUSHITANI(以下クシタニ)もそのひとつ。’50年代に日本初のレーシングスーツを製作し、以来、革製品を中心にしたライディングウエアで安全と快適をライダーに提供してきた。現在は、創業者から3代目に当たる櫛谷淳一、信夫の兄弟が二人三脚で率いるクシタニの歴史を紐解き、新しい時代のクシタニを作るべく奮闘している2人に未来のクシタニを語ってもらった。(文中敬称略)
●取材/文: Nom ●写真:奥隅圭之、クシタニ ●BRAND POST提供:クシタニ
新東名高速・清水PAにオープンしたパフォーマンスストアが新機軸となった
前編でお伝えしたように、主力商品はテキスタイルに移行していても、社員は「レザースーツのクシタニ」に憧れて入社した人がほとんど。だから、クシタニの本丸から外れたようなものを作るのは許容しづらい反面、新しい道の開拓の喜びもあったそうだ。
しかし、いち商品で大きく情勢が変わるわけではなく、苦境は続いた。
「ウチは専門店で、なんとなく敷居が高そうに見えるのと、大型用品店などには商品を納めていないので、免許を取ってウエアを買おうとお店に行ってもウチの商品は置いていない。選択肢のフィールドにものっていなかったんです。昔からのお客さんはいますが、若いお客さんは全然いない。まずはウチの商品を知ってもらうことから始めないといけないと思って、’12年に新東名高速道路のパーキング・ネオパーサ清水にパフォーマンスストアの1号店をオープンしました」(信夫)
実は筆者もそうだったが、なぜクシタニが高速道路のPAに出店するのか疑問に思った人が多かったと思う。しかし、信夫はクシタニを知らない人とのタッチポイントとして高速道路のPAは最適だと確信していたそうだ。
「一般の人を含め、ウチとはそれまで接点がなかった人が来る場所で、ライダーはもちろん、以前バイクに乗っていた人もクルマで立ち寄ってくれて『あ、クシタニだ』と言ってお店を覗いてくれたんです」(信夫)
信夫と淳一以外の社員全員が反対したこのお店は、開店した当初は土日の2日間で他のクシタニ直営店の1カ月分の集客をし、スタッフが店内に入れないほどの混雑ぶり。売上自体も初年度からすべてのクシタニショップの中でナンバー1になり、その勢いは現在まで続いているそうだ。
次に信夫が取り組んだのが『カフェ』だ。実は、以前あった川崎店にもカフェがあり、久会長にはカフェを備えた店舗を作っていく構想があったという。
「いろんな理由、状況で会長ができなかったことがあって、それをいまボクらが時代に合わせた形でリメイクしているんです。クシタニカフェは、’13年に箱根ターンパイクのビューラウンジ2階に初出店して、1年後に清水PAに出しました。その後、奈良県の道の駅針テラスなど、ライダーがツーリング中にブレイクするために立ち寄るところに出店しています」(信夫)
カフェだから、ライダーだけではなく、一般の人も訪れてクシタニと出合う。清水のパフォーマンスストアと考え方は一緒だ。
そしてもうひとつ、大掛かりな事業も昨年から始めている。長野県・大滝村の御岳スキー場のオフシーズンを利用したオフロードパーク、『ONTAKEエクスプローラーパーク』である。
「25年前まで作っていたオフロードウエアを、また作って欲しいという要望がたくさんあって、しっかりした開発・テストをする場所が欲しいなと考えました。昨年6月にオープンしたんですが、東京ドームが13個入る80万平米の広大なコースです。キャンプ場も併設していて、今年は4月27日からオープンしています」(信夫)
クシタニ・タイランドをベースにアジア発信で世界のクシタニを目指す
一方、淳一はタイのバンコクで『世界のクシタニ』を目指すチャレンジを行っている。
「世界を目指しながらアジアの選手権を戦っているライダーに、レーシングスーツを提供しています。’80年代にはワイン・ガードナーやランディ・マモラといったGPライダーにスーツの提供をしていましたが、再びやるならもっと本格的にやろうとしています。ウチのスーツを着たアジアの選手が世界GPに行って、あの選手が来ているスーツのブランドはクシタニっていうんだ、じゃあちょっと取り扱ってみようかという流れを、アジア発進で実現したいと思っているんです。
アジアには、レーシングスーツを着てレースをしているライダーがたくさんいるので、タイのクシタニをラボ(編注:研究開発機関)にして、日本よりもスピーディーに新しいスーツを開発していこうとしています。浜松だと歴史の重みもあり、簡単にはリリースできないようなものでも、タイではどんどんやってみよう、失敗しても大丈夫という感覚です。アジアのサーキットでレーシングサービスもしていて、かつて祖母が浜松の櫛谷商店でやっていたようなリペアも積極的にやっています。初めてタイに行ったとき、信夫と一緒に中古のミシンを買いに行きました。創業当時と同じスタンスで取組んでいます」(淳一)
製造・営業は淳一、販売・広報・マーケティングは信夫と、兄弟2人で役割分担をしながら、二人三脚でまさに第2創業とも言える時期をいま送っているクシタニ。
2人がいま取り組んでいるすべてのことが、未来のクシタニにつながっていくのである。 (文中敬称略)
※本記事はクシタニが提供したもので、一部プロモーション要素を含みます。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。