
現代の日本製スクーターの原点と言ったら、多くの人が思い出すのは1977年にヤマハが発売したパッソルだろう。とはいえ、ホンダが1960年代から地道に積み上げて来たモペット/ファミリーバイクが存在しなかったら、パッソルは生まれなかった……かもしれないのだ。
●文:ヤングマシン編集部(中村友彦) ●写真:富樫秀明 ●外部リンク:ホンダコレクションホール ※記事内の展示内容はリニューアル前のもの
第1次スクーターブームの後
1946年に登場した富士産業のラビットと三菱重工業のシルバーピジョンを起点とする、日本の第1次スクーターブームは1960代前半に終焉を迎えた。では現代の日本製スクーターの原点は何か言うと、1977年にヤマハが発売したパッソルだろう。少なくとも当時の日本車では、 “またぐ”ではなく、“座る”という感覚で気軽に乗れるステップスルー=フラットフロア構造は、相当に画期的だったのだから。
【ヤマハ パッソル[1977]】1977年からヤマハが発売したパッソルは、ホンダ・ロードパルと共にファミリーバイク/ソフトバイク市場を牽引。そしてこのモデルの大ヒットが、1979年以降のHY戦争の引き金になった……という説がある。乾燥重量は45kgで、タイヤは前後10インチ。シート高は680mm。
もっとも、パッソルは突然変異的に生まれたわけではない。誤解を恐れずに表現するなら、ホンダが1960年代から地道に積み上げて来た50ccモペット/ファミリーバイク路線の延長線……と言えなくもなかったのだ。以下の文章ではそんなホンダ車の中から、2023年夏の取材時にモビリティリゾートもてぎ内のホンダコレクションホールに展示されていた、7台の50ccモデルを紹介しよう。
【ホンダ タクト[1980]】ホンダの認識ではジュノオM85以来、約15年ぶりのスクーター。パッソルに通じるフラットフロアと、パッソルとは一線を画する先進的なルックスが評価され、1年間で約26万台を販売する大ヒットを記録した。乾燥重量は49kgで、タイヤは前後10インチ。シート高は670mm。
余談だが、1970年代のホンダとヤマハは広報資料やカタログで、スクーターという言葉を一切使わなかった。その背景には各メーカーの過去の失敗があるようだが(ホンダが1954~1955年に販売したジュノオKA/KBと1961~1964年のジュノオM80/85、ヤマハが1960年に世に送り出したSC-1は、いずれも商業的には失敗に終わっている)、当時の日本ではスクーターに対して、“古い”、“時代遅れ”、などと言う人が多かったという説もある。
リトルホンダ P25[1965]
リトルホンダ P25[1965]
ヨーロッパのモペット市場を意識したモデルとして、ホンダは1963年にペダル付きスーパーカブ?と言いたくなるC310を発売。その後継として1966年に登場したリトルホンダP25は、モペットとしてゼロから専用設計することで(日本人の視点では、第二次大戦後に流行した補助エンジン付き自転車を思わせる雰囲気?)、C310より26kgも軽い45kgの乾燥重量を実現していた。後輪をダイレクトに駆動するエンジンは4ストOHC単気筒で、タイヤは同時代のスーパーカブと同じ前後17インチ。
リトルホンダ P25[1965]
リトルホンダ PC50[1969]
リトルホンダ PC50[1969]
雰囲気は先々代のC310、と言うより、スーパーカブに近づいた気がするけれど、P25の後継となるPC50もほとんどすべてを専用設計。アンダーボンフレームの素材はP25と同様のプレス成型材で(ただしデザインは異なる。なお当時のスーパーカブはバックボーンパイプ+プレス成型材)、4スト単気筒エンジンは、動弁系がOHV、ボア×ストロークは42×35.6mm(同時代のスーパーカブは、OHC、39×41.4mm)。タイヤは前後19インチ、乾燥重量は50kg。
リトルホンダ PC50[1969]
シャリイ[1972]
シャリイ[1972]
“家族みんなで楽しめる”をコンセプトとするシャリイは、同時代のモペットとは路線が異なる姿勢でフレンドリーさを追求したモデルで、足漕ぎ用ペダルは装備しない。プレス成型の低床アンダーボーンフレームは専用設計で、4ストOHC単気筒はスーパーカブ用がベース。ベーシックモデルのCF50-Ⅰは、2速ミッションと前後ハンドブレーキを採用。タイヤは前後10インチで、乾燥重量は72kg。当記事で紹介する車両では最も長寿で、基本設計を大きく変えることなく、1999年まで生産が続いた。
シャリイ[1972]
ノビオ[1973]
ノビオ[1973]
再びP25路線に戻ったかのような、自転車然とした雰囲気が目を引くノビオ。とはいえ、現代の視点でこの車両を観察して一番興味深い要素は、2スト単気筒エンジンを採用したこと……かもしれない。もっとも当時のホンダは、1950~1960年代に築いた“4ストのホンダ”というイメージを捨て、モトクロッサー/トレールバイクのエルシノアCR/MTシリーズを開発していたのだが、日本市場におけるデビューは、MT125/250よりノビオのほうが約3ヵ月早い、1973年1月30日だったのだ(ただし、保安部品を装備しないCR250Mは1972年9月26日発売)。タイヤは前後17インチで、乾燥重量は45kg。
ノビオ[1973]
ロードパル[1976]
ロードパル[1976]
フレームのメインパイプを細身にしたうえで、ペダルを廃止し、搭載位置を後方に下げてエンジン(新規開発の2スト単気筒)の存在感を希薄にしたロードパルは、女性を中心に爆発的な人気を獲得。初年度だけで約25万台を販売した。カタログに登場する人物はすべて女性で、1977年はイタリアを代表する俳優のソフィア・ローレン、1978年型Sにはデビュー4年目の大竹しのぶを起用。なおソフィア・ローレンがTVCMでタップスターターを踏む際に発した“ラッタッタ”というかけ声は、当時の日本ではファミリーバイクとほとんど同義語になっていた。タイヤサイズは前後14インチで、乾燥重量は44kg。
ロードパル[1976]
パルホリデイ[1978]
パルホリデイ[1978]
ロードパルの爆発的なヒットで手応えを掴んだホンダは、1979年になると3種類のバリエーションモデル、スポーツ指向のパルディン、上級仕様のパルフレイ、クルーザーテイストのパルホリデイを販売。いずれの車両も、ロードパルには存在しなかった走行距離計=トリップメーターを採用するものの、オドメーターは依然としてナシ。
パルホリデイ[1978]
カレン[1979]
カレン[1979]
1977年型バリエでVベルト式無段変速機を初めて採用したホンダは、1979年になるとその技術を転用したモデルとして、フレンドリーさに磨きをかけたカレンを発売。フレームはスーパーカブに通じるパイプ+プレス成型材で(構造は異なるが)、2スト単気筒エンジンはパッソル系+0.9psとなる3.1psを発揮。乾燥重量は52kg、シート高は685mmで、パッソルの影響を感じるプレスホイールは前後10インチ。現代の目で見ればスクーターだが、当時のホンダの呼称は依然としてファミリーバイクで、カタログには“可憐なリビングバイク”と記されていた。
カレン[1979]
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
最新の関連記事(名車/旧車/絶版車)
ホンダ「モンキー125」(2024)試乗レビュー この記事ではかわいらしいフォルムと実用性が同居したファンバイク、モンキー125の2024年モデルについて紹介するぞ。初期のモンキー125に近い、シンプ[…]
現代の耐久レーサーはヘッドライト付きのスーパーバイクだが…… 近年の耐久レーサーは、パッと見ではスプリント用のスーパーバイクレーサーと同様である。もちろん細部に目を凝らせば、耐久ならではの機構が随処に[…]
高回転&高出力主義の権化 250クラスでも高性能な直4を望む声が高まっていた’80年代前半、スズキが世界初の250cc水冷直4エンジンを搭載した量産車、GS250FWを投入。以降、ヤマハ、ホンダが追随[…]
0.1ps刻みのスペック競争 日本史上最大のバイクブームが巻き起こった1980年代は、世界最速を謳う大型フラッグシップや最新鋭レーサーレプリカが次々と市場投入され、国産メーカー間の争いは激化の一途を辿[…]
250ccを思わせる車格と水冷2スト最強パワーに前後18インチの本モノ感! 1979年、ホンダはライバルの2ストメーカーに奇襲ともいえる2スト50ccの、まだレプリカとは言われてなかったもののレーシー[…]
人気記事ランキング(全体)
現代の耐久レーサーはヘッドライト付きのスーパーバイクだが…… 近年の耐久レーサーは、パッと見ではスプリント用のスーパーバイクレーサーと同様である。もちろん細部に目を凝らせば、耐久ならではの機構が随処に[…]
GB350に初のツートーン、GB350Sの燃料タンクにはストライプ採用カラーも ホンダ「GB350」「GB350S」マイナーチェンジ。2023年に最新排出ガス規制に適合して以来のイヤーモデル更新だ。2[…]
バイクツーリングにおすすめの都道府県ティア表 バイクツーリングの魅力は、ただ目的地に行くだけでなく、そこへ至る道中のすべてを楽しめる点にある。雄大な自然が織りなす絶景、心地よいカーブが続くワインディン[…]
最新モデルはペルチェデバイスが3個から5個へ 電極の入れ替えによって冷却と温熱の両機能を有するペルチェ素子。これを利用した冷暖房アイテムが人気を博している。ワークマンは2023年に初代となる「ウィンド[…]
高回転&高出力主義の権化 250クラスでも高性能な直4を望む声が高まっていた’80年代前半、スズキが世界初の250cc水冷直4エンジンを搭載した量産車、GS250FWを投入。以降、ヤマハ、ホンダが追随[…]
最新の投稿記事(全体)
レブル250ではユーザーの8割が選択するというHonda E-Clutch ベストセラーモデルのレブル250と基本骨格を共有しながら、シートレールの変更や専用タンク、マフラー、ライディングポジション構[…]
シリーズ第10回は『クイーンスターズ』に学ぶ「取り回し」だ! 白バイと言えばヤングマシン! 長きにわたって白バイを取材し、現役白バイ隊員による安全ライテク連載や白バイ全国大会密着取材など、公道安全運転[…]
要望に応え、アンコール販売が決定 「AIO-6」シリーズの初回クラウドファンディングは2025年6月3日に終了し、2015名からの支援と総額7,300万円を突破する大きな成果を収めた。今回のアンコール[…]
なぜ「モンキーレンチ」って呼ぶのでしょうか? そういえば、筆者が幼いころに一番最初の覚えた工具の名前でもあります。最初は「なんでモンキーっていうの?」って親に聞いたけども「昔から決まっていることなんだ[…]
【ヨシムラジャパン代表取締役・加藤陽平氏】1975年、POPの右腕だった加藤昇平氏と、POPの次女・加藤由美子氏の間に生まれる。4輪業界でエンジンチューンやECUセッティングなどを学び、2002年にヨ[…]
- 1
- 2