![[’88-]ホンダ アフリカツイン:浪漫の塊だった”パリダカ・レプリカ”【青春名車オールスターズ】](https://young-machine.com/main/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
’80年代――あの頃のバイク文化は、レースの文脈と切っても切り離せないものだった。本記事では、当時のライダーを熱狂させたレーサーレプリカモデルから、現代にも続くホンダのパリダカマシン、アフリカツインを取り上げる。※本記事はヤングマシン特別号 青春単車大図鑑からの転載です。
●文:ヤングマシン編集部
500台限定で登場したチャンピオンレプリカ〈ホンダ アフリカツイン〉
年末、あるいは正月にフランスのパリをスタートし、アフリカ大陸を走破してセネガルのダカールを目指す「パリ・ダカールラリー」(’09年からはコースを南米に移して開催)。’78年に始まった当初はラリー好きのフランス人による”壮大なイベントレース”だったが、’81年にFIA(国際自動車連盟)とFIM(国際モーターサイクリズム連盟)の公認を獲得してからは各メーカーのワークスチームも参戦するようになり、世界中から注目されるメジャーレースとなった。
ホンダは、第4回大会の’82年に単気筒のXR500をベースにしたレーサー XR500Rで優勝したが、’83年にBMWが投入した800㏄(後に1000㏄)水平対向2気筒のファクトリーマシンは、’85年まで3年連続優勝という強さを示す。パリ・ダカはスピード競争になっていて、重くても大排気量のツインのほうが有利だったのだ。
そこでホンダは、XLV750Rの水冷SOHC3バルブ45度V型2気筒を4バルブ化して搭載したワークスレーサーのNXRを開発。初めて投入された’86年から、ライバルのBMW/ヤマハ/カジバほか、後に加わったスズキと激闘を繰り広げ、’89年まで4年連続で優勝するという快挙を成し遂げた。
そして’88年、そのNXRの技術をフィードバックした市販車 アフリカツイン(欧州名XRV650)が発売される。さすがにその大きさから国内では限定車扱いだったが、モデルチェンジを繰り返して’00年まで販売された。
【’88 HONDA AFRICA TWIN[RD03]】ロードスポーツのブロスと同じ水冷52度Vツインを角断面ダブルクレードルフレームに搭載。大容量24Lの燃料タンクと一体にデザインされた大型フェアリグ、アルミ製アンダーガードがNXRのスタイルを彷彿させる。■空冷4ストV型2気筒 SOHC3バルブ 647cc 52ps/7500rpm 5.7kgm/6000rpm ■195kg ■タイヤサイズF=90/90-21 R=130/90-17 ●当時価格:74万9000円
’86 ホンダ NXR750:パリダカ4連覇の伝説的マシン
’84年秋にプロジェクトチームが結成され、’86年の優勝を目指して開発されたワークスマシン。エンジンはダートトラックレーサーRS750Dのノウハウを生かしたもので、’89年型では最高速度177km/hをマークした。
【’86 HONDA NXR750】■空冷4ストV型2気筒 SOHC4バルブ 779.1cc 75ps/7000rpm以上 8.29kgm/55000rpm ■128kg以下 ■タイヤサイズF=19(21) R=18 ●競技専用車
ホンダ アフリカツインの系譜
’90 ホンダ アフリカツイン[RD04]
【’90 HONDA AFRICA TWIN[RD04]】’90年に排気量を647→742ccにアップするとともに、フェアリングを大型化。写真の’92年型はデジタルトリップメーターを装備する。
’93 ホンダ アフリカツイン[RD07]
【’93 HONDA AFRICA TWIN[RD07]】フレームやサスペンションを新設計するとともにデザインも一新した’93年型。’95年にはカウルとスクリーンの形状を変更している。
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
最新の関連記事([連載]青春名車オールスターズ)
ヤマハFZ400R:ワークスマシンと同時開発 市販レーサーと同時開発したNS250Rがリリースされた1984年5月。 400クラスにも同様の手法で開発されたマシンが、ヤマハから世に放たれた。 FZ40[…]
スズキGSX-R250:過激さ控えめ“アールニーゴー” 1983年のGS250FWでクラス初の水冷DOHC4気筒を開発したスズキ。 しかし、4バルブエンジンの投入は遅れを取り、1987年のGSX-R2[…]
スズキGSX-R400R:ダブルクレードルにフルモデルチェンジ GSX-Rは、1990年に3度目のフルチェンジを敢行。新設計エンジンに加え、φ33mmダウンドラフトキャブや倒立フォークまで備えた。 フ[…]
スズキGSX-R:斬新かつ孤高のネーム、走りもケタ違い 1983年は、世界耐久や鈴鹿8耐でスズキの耐久レーサーGS1000Rが旋風を巻き起こした。 その年の暮れ、晴海で開催された東京モーターショーに、[…]
ホンダの“R”だ! 可変バルブだ‼ 1980年代に入ると、市販車400ccをベースにしたTT-F3やSS400といった敷居の低いプロダクションレースの人気が高まってきた。 ベース車として空冷直4のCB[…]
最新の関連記事(名車/旧車/絶版車)
2024年モデル概要:赤×黒の熱いカラーリング 「エキサイティング&イージー」をコンセプトに掲げるZ900は、カワサキのフィロソフィーを体現したかのような、先鋭的な「Sugomi」デザインが特徴。エン[…]
ヤマハFZ400R:ワークスマシンと同時開発 市販レーサーと同時開発したNS250Rがリリースされた1984年5月。 400クラスにも同様の手法で開発されたマシンが、ヤマハから世に放たれた。 FZ40[…]
シリーズ累計で約3万台を生産したW1の系譜 約9年に及んだ販売期間の中で、W1シリーズの人気が最高潮に達したのは、ペダルの配置が左:シフト/右:リヤブレーキに改められたW1SA。それに次ぐのはツインキ[…]
零戦と同じサムライ魂が成し遂げた「究極」の直4 時代を決定的に「それ以前」と「以降」に画してしまうエポックメイキングなモデルはいくつか存在する。中でもZ1は紛れもない革命児である。 量産車として世界初[…]
海外の名車を規範とした1960年代初頭以前の日本車 W1シリーズの原点はメグロのスタミナK1で、K1の規範はBSAが1946~1960年代初頭に販売したA7である。ではそもそも、なぜ1923年に創設さ[…]
人気記事ランキング(全体)
50年の眠りから覚めたBSA、復活のファーストモデルがゴールドスター 世界最古クラスの英国ブランド、BSAが再び日本に上陸した。輸入を手掛けるウイングフットが「BSA ゴールドスター」を取り扱い“ほぼ[…]
16歳から取得可能な普通二輪免許で乗れる最大排気量が400cc! バイクの免許は原付(~50cc)、小型限定普通二輪(~125cc)、普通二輪(~400cc)、大型二輪(排気量無制限)があり、原付以外[…]
シリーズ累計で約3万台を生産したW1の系譜 約9年に及んだ販売期間の中で、W1シリーズの人気が最高潮に達したのは、ペダルの配置が左:シフト/右:リヤブレーキに改められたW1SA。それに次ぐのはツインキ[…]
懐かしの四角ライトに極太のブロックタイヤ 1987年に発売されたやまは「TW200」は、フロントに130/80-18、リヤには180/80-14という極太タイヤを履いたファットなオフロードスタイルで人[…]
ヤマハFZ400R:ワークスマシンと同時開発 市販レーサーと同時開発したNS250Rがリリースされた1984年5月。 400クラスにも同様の手法で開発されたマシンが、ヤマハから世に放たれた。 FZ40[…]
最新の投稿記事(全体)
トリックスター初となるハーレー用マフラー トリックスター初となるハーレー用マフラーが、X350向けにリリースされた。今回、初の試みとして“ツインタイプ”のサイレンサーが採用されている。 X350の特徴[…]
ライディングポジション変更のおかげで操縦性も大幅アップ! 私が参戦する全日本ロードレース選手権のJ-GP3クラスは、5月下旬にシーズン初戦を迎え、私自身も今季のさらなる走りの進化に期待しているのですが[…]
2024年モデル概要:赤×黒の熱いカラーリング 「エキサイティング&イージー」をコンセプトに掲げるZ900は、カワサキのフィロソフィーを体現したかのような、先鋭的な「Sugomi」デザインが特徴。エン[…]
懐かしの四角ライトに極太のブロックタイヤ 1987年に発売されたやまは「TW200」は、フロントに130/80-18、リヤには180/80-14という極太タイヤを履いたファットなオフロードスタイルで人[…]
ヤマハFZ400R:ワークスマシンと同時開発 市販レーサーと同時開発したNS250Rがリリースされた1984年5月。 400クラスにも同様の手法で開発されたマシンが、ヤマハから世に放たれた。 FZ40[…]
- 1
- 2