ソフトタイヤを急遽搬入する決定をするも……

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.64「ワンメイクレースの“公平性”に悩んだアッセン」

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、その当時を振り返ります。MotoGPがブリヂストンタイヤのワンメイクとなって3年目の2011年。そのシーズン中盤には、ライダーの安全にも配慮したブリヂストンのフレキシブルな対応が、むしろ一部のライダーにとって不満となる難しい事態が!?


TEXT: Toru TAMIYA

「タイヤの温まりが悪い」という印象になってしまった

2011年の第7戦として開催されたTTアッセン(オランダ)は、晴れていたかと思ったら急に大雨が降ってくるような、いわゆるダッチウェザーのレースウィークに。そしてこの大会で、「ワンメイクタイヤの公平性とは、どういう状況なのか?」と我々も考えさせられてしまう事態が起こりました。

土曜日に転倒を喫した#27ストーナー選手と#4ドヴィツィオーゾ選手は、それぞれ決勝2位、3位に。

まず金曜日に実施されるはずだった2回目のフリープラクティスは、雨の走行となったMoto2のセッション中に転倒者がエンジンオイルをコースに撒いてしまい、全走行の走行がキャンセルに。噴霧器や高圧洗浄機のようなものが投入され、路面を清掃したのですが、結局はコースの状態はあまり良くなりませんでした。迎えた土曜日午前中のフリープラクティス3は、MotoGPのセッション前に雨がやみ、ドライコンディションでの走行に。ところがドライのほうが前日のオイルによる影響が大きく、しかも走行開始早々にホンダワークスチームのケーシー・ストーナー選手、アンドレア・ドヴィツィオーゾ選手、青山博一選手が相次いで転倒してしまいました。結局、このうちストーナー選手とドヴィツィオーゾ選手はウェットパッチに乗ったことが原因だったのですが、路面状況の悪さに気温の低さ(このプラクティスは気温15℃、路面温度20℃)という条件が加わったことから、ホンダワークス勢の相次ぐ序盤での転倒に、「タイヤの温まりが悪い」という印象を持たれてしまいました。

ドイツに在庫があったソフトタイヤを急きょ使用することに

そこでフリー走行の直後、あるライダーが「この状況では危ない。何とかならないか?」とブリヂストンにリクエスト。さらに、MotoGPを運営するドルナスポーツや統括するFIM(国際モーターサイクリズム連盟)にも直訴したのです。この時点ではまだ、ストーナー選手とドヴィツィオーゾ選手の転倒がウェットパッチによるものだとはチーム外に伝わっていなかったことから、今度はFIMが我々に「現在のコンディションでは危険だというライダーがいるから、対策を至急検討してほしい」と要請。そのライダーからは、タイヤの左側に対してナイフカットの表面加工をするという提案もあったようで、それも含めて対策を練ることになったのです。

初日は2位/9位だった#46バレンティーノ・ロッシ選手と#69ニッキー・ヘイデン選手だったが、2日目にロッシ選手は11位へ急降下(ヘイデン選手は9位をキープ)。決勝では4位/5位と上位に進出した。

我々としては、転倒はオイルや雨の影響によるもので、路面状況は今後良くなる方向であることは間違いない……と思ったのですが、FIMからの正式な要請を無視するわけにもいきません。そこで、元々この大会用に用意していた2種類のスペックよりもさらにソフト方向の1スペックを、日曜日のウォームアップと決勝用として、各選手に2セットずつ供給することにしました。というのも、前週のイギリスGPで供給したタイヤが、追加したいスペックと同じで、その在庫がドイツの倉庫にあったのです。ドイツからオランダなら、トラックで5時間もあれば運べます。土曜日のお昼ごろにこの対策を検討し、倉庫に連絡。すると、「これから用意をして、夜中にはサーキットに到着する」というので、すぐに手配をかけました。

ちなみに、1大会につき2スペックという基本の取り決めは崩したくなかったので、この大会でそれまで誰も使っていなかったハード側のコンパウンドをキャンセルして、ドイツからのソフトに入れ替えることに。この提案にFIMも「それはいいアイディアだ!」と大賛成してくれて、我々が意見を求めた何人かのライダーも「ハッピーだ。よく提案してくれた!」と喜んでくれて、これにて一件落着かと思ったのですが……。

現状で問題を感じていないライダーにとっては“余計なお世話”だった!?

FIMがあらためて全選手に意見を聞いたところ、この対策に強く反対するライダーが何名か出てきたのです。「決勝はどうなるのか分からないから、ハード側を残しておきたい」とか、「今のタイヤでも温まりの問題は感じていない」という意見です。現状で問題を感じていないライダーたちは、ライバルたちに問題を解決してほしくないわけで、「それは公平ではない。最初に供給されたタイヤでレースを戦うべきだし、それがうまく使えないのはチームやライダーの問題」と言うのは当然のこと。結局、あれこれドタバタした挙句、ソフト側のスペック追加もタイヤのナイフカットもナシになったのです。

この件に限った話ではないのですが、ワンメイクになって以降、「公平性とは何ぞや?」と悩まされる案件はいくつもありました。我々からしたら、「全員に同じタイヤを供給するのだから、大会の途中でスペックを変更しても公平だ」とも考えられますが、一方で「不具合のあるライダーが訴えたから途中で条件を変更するのは公平ではない」と捉えることもできます。このTTアッセンでソフト側のコンパウンドを追加投入することに関しては、転倒者を減らして安全性を高めるための行為とも考えられるので、それに関しては望ましいことなのですが……。

このときの対応に関しては、ブリヂストンの前向きな提案に対して多くの関係者から評価されたので、そこに関しては我々にとっても良いことだったのですが、なんとも複雑な気持ちになり、いろんなことを考えさせられた大会でした。我々としては安全を第一に考え、できるだけ転倒者を減らしたいというのが大前提。全員が満足するアロケーションは難しいにしても、今回の問題で言えば、ソフトを最初に入れておけば良かったので、その後のアロケーションに対しての参考になりました。

ちなみにこのときの決勝レースでは、ヤマハワークスチームのベン・スピース選手がMotoGP初優勝。スピース選手は、土曜日の段階でタイヤの温まりなどに問題を感じていなかったライダーのひとりでした。予選2番手だったスピース選手は、スタートで飛び出すとオープニングラップだけで約2.5秒、ストーナー選手が2番手に浮上した2周目までに約3.5秒のアドバンテージを確保。序盤でのリードを有効に活かしながら、最後まで逃げ切りました。決勝も、気温14℃で路面温度は16℃と寒い状況でのレース。もしもソフトコンパウンドを導入していたら、何名かのライバルたちはこちらを選択したと考えられ、スピース選手の優勝も脅かされていたかもしれませんね。

MotoGP初優勝を手にした#11ベン・スピース選手。肘を突き出したライディングフォームが特徴的だったアメリカンライダーで、MotoGPにおいてはこのときの勝利が最初にして唯一のものとなった。 ※ベン・スピーズと表記されることが多いが、ここでは当時のヤマハが公式に用いたベン・スピースを使用


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