TEXT:Toru TAMIYA
ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、そのタイヤ開発やレースの裏舞台を振り返ります。ブリヂストンのMotoGPクラス参戦5年目となった2006年のシーズン後半、開幕戦以来の勝利でブリヂストンはさらに自信を高めることに!
シーズン後半にはライバルと渡り合う場面が増えてきた
全17戦で競われた2006年シーズンの後半、気温と路面温度が極めて高い過酷なコンディションとなった第11戦アメリカGPを終え、我々はタイヤ性能に対してさらなる自信を獲得。そしてその確信が間違いでないことを、ヨーロッパに戻った第12戦チェコGPで証明しました。このレースでは、予選2番手となったドゥカティワークスチームのロリス・カピロッシ選手が、オープニングラップからトップに立つと、後続をじわじわと引き離して独走優勝。開幕戦スペインGP以来となる、カピロッシ選手とブリヂストンにとってのシーズン2勝目をマークしました。
チェコGPの舞台となってきたブルノサーキットは、アップダウンが豊富かつ回り込んだコーナーが多いことから、タイヤへの負担が大きいコース。前年まで1勝もできずにいたヨーロッパでの2勝目ということに加え、タフなレースで勝利をマークできたことで、我々はさらに自信を得ることになったのです。
そしてこれは、我々ブリヂストンだけでなくカピロッシ選手も同様。シーズン中盤には不運なクラッシュによるケガの影響で苦戦が続いていましたが、再び勝利を収めたことで息を吹き返したカピロッシ選手は、続く第13戦マレーシアGPで2位に入賞して、2戦連続で表彰台に登壇。しかもレースの内容は、レース序盤からバレンティーノ・ロッシ選手およびダニ・ペドロサ選手と三つ巴のトップ争いを繰り広げ、序盤と終盤にはトップを走行。惜しくも最終ラップに逆転され、優勝したロッシ選手には0.849秒届きませんでしたが、ミシュランタイヤを履くライバルたちと互角に渡り合う内容でした。
その翌週に開催された第14戦オーストラリアGPでは、カピロッシ選手は7位に終わりますが、これはかなり特殊なレースでした。というのも、決勝スタート直前に実施される1周のウォーミングアップランで、小雨がパラついてきたのです。これによりスタートはディレイされ、レースはウェット宣言で仕切り直し。各ライダーにはグリッド上でタイヤを交換するチャンスが与えられたのですが、依然として路面はドライに近い状況だったので、全員がスリックタイヤでのスタートになりました。
ところが、7周目あたりから雨が強くなり、各ライダーが次々にピットイン。2005年のシーズン途中で導入されたフラッグ・トゥ・フラッグというシステムにより、各ライダーはピットでウェット用のマシンに乗り替え、そのままレースに復帰して戦うことに……。ちなみに2005年の途中までは、レース中に雨が降って走行継続が危険と判断された場合にはレースが中断され、再スタート後の第2レースの順位を最終リザルトにしていました。この2006年第14戦が、フラッグ・トゥ・フラッグ方式が適用された初レースだったのです。
じつはこのレースでは、予選2番手だったカワサキワークスチームの中野真矢選手が、オープニングラップからトップを走っていました。しかし、多くのライバル選手よりも1周遅くピットインしたことで順位を落とした中野選手は、ウェット仕様でのペースが上がらず残念ながら8位に終わりました。とはいえブリヂストン勢としては、中野選手に代わり、ウェット仕様に乗り替えてからしばらくはドゥカティワークスチームのセテ・ジベルナウ選手がトップ、スズキワークスチームから参戦したクリス・バーミューレン選手が2番手でワン・ツー体制。しかしレース終盤になって雨脚が弱まると、マルコ・メランドリ選手の逆転を許してしまいました。その後、ジベルナウ選手はさらに順位を落として4位。しかしバーミューレン選手は、地元大会ということでMotoGPルーキーながら事前からモチベーションが高く、最後まで粘り2位を獲得しました。このレースが、スズキ勢では2006年唯一の表彰台登壇でした。
ウェットタイヤは開発時に特定の路面状況を想定できない
このレースでは、雨量による路面状況の変化が目まぐるしかったわけですが、そもそもウェットタイヤというのは、開発のターゲットが非常に難しい分野です。ヘビーウェットなのか、それほど水が溜まっていない状況なのかというのは、雨の降り方などですぐに変わってしまいます。ヘビーウェットでもちょい濡れの状況でも性能に優れたウェットタイヤができればいいのですが、それはソフトからハードまでをカバーするスリックタイヤを開発する以上に難しいこと。例えばヘビーウェット用のタイヤは、排水性を高めるために溝のボリュームと接地面における比率を高める必要があるのですが、そのようなタイヤでちょい濡れの路面を走ると、パターン剛性が弱すぎてグニャグニャと力が逃げてしまい、また摩耗に対しても弱いのです。MotoGPクラスの場合、決勝は40分以上になるわけですが、その間に雨が弱まるあるいは上がるとか、それとは反対に強まることは多々あります。実際のレースシーンを考えると、そもそもウェットタイヤの開発時に特定の路面状況を想定することはできないですし、逆に特定の状況を想定すると何種類も際限なく開発しなければなりません。
これは、スリックタイヤに手作業で溝を掘ったカットスリックタイヤや、場合によってはモールド(型)を用いて製造されるインターミディエイトタイヤの場合も同様。これらは基本的に、雨は上がっているけど路面に濡れた部分が残っているハーフウェットの状態や、ポツポツと雨が降り路面が少し濡れているようなコンディションで使われます。カットスリックの溝を掘るのは手作業ですから、やろうと思えばパターンを現場であれこれ細工できるということもあるのですが、それ以前にベースとするタイヤの仕様をどうするかという段階で、何パターンも考えられてしまいます。
例えば、ドライの決勝レースで使用するのと完全に同一スペックのスリックタイヤをベースとするか、それよりも柔らかいコンパウンドのタイヤを使うか、あるいはウェットタイヤのコンパウンドでスリックを製造してから……。はっきり言って、考えだしたらキリがありません。そのため、ブリヂストンがMotoGPクラスにワンメイク供給するようになった2009年以降は、カットスリックの供給を拒否したほどです。というのも、2008年までのコンペティション時代は、チームから要望された場合にはそのようなカットスリックタイヤを供給できるよう毎回準備していたのですが、結局のところカットスリックが使われたことなんて、何年間もレースをして2回ぐらいしかなかったなかったのです。
カットスリックを使う状況とは、スタート前に路面は濡れているが、雨は上がり路面が乾く方向に向かうと予想される場面。スタート時の濡れ具合と乾く速度次第では、理屈としてカットスリックが最適と考えられるときもあるのですが、実際のところは、濡れている路面でスリックに対して明確なメリットがあるパターンを用いると、乾いた路面での摩耗によるグリップダウンが大きいので、距離の長いMotoGPではスリックタイヤでレース前半を我慢して走ったほうが、トータルでは速いことが多いのです。また、雨は上がっているがスタート時の路面にかなりの水量がある場合は、カットスリックよりもウェットのハードコンパウンドを使うほうが、リスク回避という意味も含めてベターなケースが多いです。そのためフラッグ・トゥ・フラッグになってからは、ウェットタイヤでスタートして、乾いたタイミングでピットインしてスリック装着マシンに乗り換えるのが普通になりました。
あの当時、スリックタイヤのほうは仕様変更の連続でした。カットスリックやインターミディエイトは、コンパウンドこそ専用のモノを使うこともありますが、内部構造と形状はドライ用のスリックタイヤをベースにするというのが基本。そうしないと、ライダーが乗りづらさを感じてしまうのです。ですから、スリックタイヤの仕様を変更したら、それまで用意していたカットスリックやインターミディエイトも使えなくなってしまいます。そもそも使うことなんてほとんどないのに……。ライダーは、そういう路面状況になればカットスリックやインターミディエイトを当然ながら欲しがりますが、実際には準備していても7年間で2回しか使わなかったのが現実で、メーカーからすると労力とコストに見合う開発ではなかったように思います。
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