内燃機関の終焉に散りゆく徒花

新型CBR600RR完全解説〈序文〉【ラストサムライ:内燃機関技術者の意地の塊】

「ラストサムライ」―― 強い逆風の中、目を見開き前に進む。振り返ると、後ろには誰もいない。だが、迷う必要はない。衝き動かされる限り、歩み続ける。孤高のストイックな乗り物が、今、この世に生を受けようとしている。道理をかなぐり捨て、効率に背を向けて、自らが信じる道を行く乗り物が ーー

不可能とは言いたくない。だからこの1台を、世に。

残念と、当然。未練と、諦念。 

相反する思いがせめぎ合う。今度ばかりは抗えない環境問題のうねりの中で、バイクの馬力競争が静かな終焉を迎えようとしている。 

いや、そんな小さな話ではない。すぐそこに見えているのは、内燃機関の終わりだ。「地球の未来を守る」という絶対的正義のもと、人類の英知は内燃機関の幕引きを選択している。

新型ホンダCBR600RRは、そのような強い逆風に揺れる徒花だ。実を結ぶことなく散り行くのが分かっていながら開こうとしている、華麗な花びら。

’20 HONDA CBR600RR

もともとが、日本刀の切っ先のようにシャープな乗り物だ。そのエッジをさらに研ぎ澄ますことに、もはや実質的な意味はない。「東南アジアで盛り上がるスーパースポーツクラスのレースで勝つ」「若手レーシングライダーを育成する」「技術を継承する」といったささやかな言い訳はあるだろう。だがそのすぐ先には、明確な終わりが見えている。 

舞台自体がなくなろうとしているのに、あえてそこに上がる、まったく合理的ではない、おそらく最後の600スーパースポーツ。冷静な判断を欠いているからこそカタチになったこの乗り物は、内燃機関を造り続けてきた技術者たちの意地の塊でしかない。 

’20 HONDA CBR600RR

いかにもバイクらしい。これこそがバイクだ。4輪車という圧倒的メジャーに対し、2輪車にはカウンターカルチャーとしての魅力がある。 

右と言われたら、思い切り左に行こうとする。上と言われたら、堂々と下を行こうとする。決して「ちょうどいい真ん中」を目指さない子供っぽい反抗心は、バイク乗りの心のどこかに常に潜んでいる。それはもちろん、新型CBR600RRを世に送り出そうとするホンダの技術者たちにも。 

車体の軽快さとエンジンパワーとのバランスは、常人にとってぎりぎりベストと言えるものだ。サーキットでスロットルを全開にして、直列4気筒の伸びやかでスリリングな爽快さを味わえる臨界点が、600ccである。 

その究極体。「だから何?」「それがどうした?」という冷たい眼差しをはね除ける熱意の凝縮。 

信念、では大仰すぎる。やはり意地だ。無理を承知で引き受けること。そこに誇りを見出すこと。それが新型CBR600RRだとしたら、もしかすると…と、かすかに思う。 

厳しい規制への対応は、きっと技術的に不可能ではない。いや、技術者なら不可能とは言いたくないはずだ。 

経営判断を打ち破るほどに意地が膨れ上がった時、いつか徒花も実を結ばないだろうか。そんな日が、いつか、もしかするとーー。

’20 HONDA CBR600RR


●文:高橋剛 ●写真:山内潤也 ※撮影車両は量産試作車 ※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。

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