地獄から天国の激しすぎる2004年

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.25「大ピンチから一転、歓喜の初優勝へ!」

  • 2020/9/10
山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.25「大ピンチから一転、歓喜の初優勝へ!」

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。MotoGPクラス参戦3年目の2004年、走行中にタイヤが壊れるという重大トラブルが発生。しかしブリヂストンは、なんとかこの局面を乗り切ります。

「僕はブリヂストンを信じるので、レースを走ります」

2004年6月第1週にムジェロサーキットで開催された第4戦イタリアGPで、カワサキ・レーシングチームから参戦していた中野真矢選手が装着していたブリヂストンのリヤタイヤが300km/hの速度域で壊れ、中野選手が大クラッシュしてからわずか4日後。私はスペインのカタルニアサーキットで、翌日から走行がスタートするカタルニアGPの準備を進めていた各サポートチームを訪ねて、ブリヂストンが前戦で発生した重大トラブルに関してどのような対策を施してきたのか説明を続けていました。前戦でのクラッシュ後、中野選手はすぐに病院へ運ばれ、私は翌日に一度日本へ帰国したので、顔を合わせることができたのはこのタイミングが最初でした。

最初に中野選手と会ったときに、私は前戦のトラブルについて直接謝罪しました。中野選手にとっては、あれほどの激しくクラッシュした5日後には再びマシンに乗らなければならない状況。全身打撲を負ったとはいえシリアスなケガがなかったから参戦が可能だったわけですが、普通に考えれば精神的にも肉体的にも相当キツかったと思います。通常の転倒なら多少は意識も違うでしょうが、タイヤが壊れた結果の大転倒だったわけですから……。

どのように謝罪の言葉を述べたのか不思議なほど記憶がないのですが、ひとつだけ心に深く残っているのは、私が中野選手をはじめとするチームスタッフに対策を練った新しいタイヤの状況を説明した後に、中野選手は「僕はブリヂストンを信じるので、レースを走ります」と言ってくれたこと。その言葉に、私は涙がこぼれそうになったのです。

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.25「大ピンチから一転、歓喜の初優勝へ!」

闘志と信頼を見せてくれた中野真矢選手。写真は第7戦リオGPのものだ。

事前に3パターンのプレスリリースを用意していた

とはいえ、すべてのライダーがブリヂストンのタイヤをすぐに信頼してくれるとは限りません。実際のところ、もしかしたらブリヂストンを使用している全選手がカタルニアGPをキャンセルするかもしれないという、最悪の事態も想定される状況でした。そこで私は、日本にいるわずかな間にブリヂストン本社の広報担当と相談して、全員がレースに参加しなかった場合、数名のライダーがキャンセルした場合、ひとりのライダーが参戦を辞退した場合という3パターンのプレスリリースを事前に用意していました。

もしもライダーに、「コワいから走れない」と言われてしまったら、こちらとしては受け入れざるを得ません。そしてライダーがケガでもなくレースに参加しないとなると、チームはその理由を発表しなければならないし、タイヤが原因となれば、我々からもコメントする責任があるからです。室内試験のデータを用意して、ライダーの不信感を取り除く努力はしていましたが、そこはもう理屈では解決できない問題。ムジェロでのトラブルは、選手やチームや関係各社との信頼関係をも揺るがす出来事だったのです。興行主であるドルナ社も当然ながら心配していて、カルメロ・エスペレタ会長からも「どうなっているんだ!?」と聞かれていたので、各チームの後でエスペレタ会長にも原因と対策について説明しました。

しかし結果的には、ブリヂストンがタイヤを供給する5選手全員が、カタルニアGPに出場してくれました。そしてその中でも、クラッシュした張本人の中野選手がブリヂストン勢最上位となる7位でフィニッシュ。それも最終ラップにマックス・ビアッジ選手を抜いてのゴールでしたから、私はとても興奮し、涙をこぼしました。この結果からも分かるように、中野選手は全力で我々のタイヤを信頼して、最後まで戦い抜いてくれたのです。「振動を感じた」という理由でピットインやリタイヤした選手もいて、それはそれで正しい判断だっただけに、中野選手の闘志と信頼には本当に感動しました。

じつは、これは今だから話せることですが、このレースで使用したタイヤを境に、リヤタイヤの構造を大きく変更。中野選手のクラッシュがなかったら、その決定は遅れていたでしょうが、それでもいつか着手しなければならなかったはずです。金曜日最初のプラクティスで、新しいタイヤを初めて使用した選手はみんな、「まったくグリップしない」とコメント。「壊れる壊れない以前に、これではレースにならない!」という感じでした。しかし、そこはさすがワークスやトップチーム。走行を重ねるごとにマシンセッティングを煮詰めて、しっかりタイムを上げてきました。使えるタイヤは2~3種類しかなかったので、現状あるモノでなんとかするしかないという姿勢が、結果的に良い方向に機能した部分もあったのかもしれません。

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.25「大ピンチから一転、歓喜の初優勝へ!」

事故の翌戦にはブリヂストンがタイヤを供給する5選手すべてが出場。※写真はリオGP

「後ろを走っているときに、勝てると思っていました」

とはいえ、ブリヂストンにとって厳しい状況であることは確実。翌戦の第6戦ダッチTT(オランダ)では、キャメル・ホンダから参戦していた玉田誠選手の12位がブリヂストン勢最高位だったことからも、それは明らかでした。ところが、ブラジルに渡った第7戦リオGPでは、その玉田選手がなんと優勝。我々としても、そこまでの6戦は好成績を残せず、なおかつ大きなトラブルでドタバタしていたので、まさに突然の優勝といった感じでした。以前にも触れましたが、リオGPが開催されていたネルソン・ピケ・サーキットの路面とブリヂストンタイヤはなぜかとても相性が良く、前年には同じく玉田選手のライディングによってMotoGP初表彰台圏内となる3位を獲得しています。

リオGPが開催されたのは7月第1週で、ダッチTTの翌週開催というスケジュール。カタルニアGP以降、リヤタイヤの基本的な構造を継承しながら、今度はグリップを上げるための改良を少しずつ加えていきましたが、ブラジルの場合はとくにタイヤの輸送に時間がかかるので、ダッチTTのデータを反映させてタイヤを改良することは不可能。ところが、ダッチTTでは苦しんだのにリオGPではいきなり優勝となり、我々としても驚きを隠せずにいました。しかも予選では、チームスズキMotoGPのケニー・ロバーツJr選手がポールポジションを獲得。決勝でも、玉田選手の優勝に加えてロバーツJr選手が7位、中野選手が9位でゴールしていて、このことからもブリヂストンタイヤとネルソン・ピケ・サーキットの相性が優れていることが証明されたのです。

ちなみに玉田選手は予選7番手からのスタートで、7周目にはファステストラップを叩き出しつつトップから約2秒遅れの5番手に浮上。さらに少しずつ順位を上げて13周目に2番手まで浮上すると、その後はトップを走るビアッジ選手を僅差でマーク。21周目の最終コーナーでビアッジ選手をパスすると、最後はやや引き離して24周を走り切りトップチェッカーを受けました。玉田選手がビアッジ選手とバトルを繰り広げているのを見ながら、私は興奮する一方で、無理しないでほしいという感情も抱いていました。速いビアッジ選手を相手にバトルを繰り広げているということは、玉田選手のタイヤはかなり酷使されているはず。無理をして転ばないでほしいという気持ちもあったのです。しかし玉田選手はレース後、「後ろを走っているときに、勝てると思っていました」と、我々の心配をよそにかなり自信があり、なおかつ冷静だったようです。

第4戦イタリアGPのタイヤトラブル発生直後には、我々がこの年の目標に掲げていた初優勝どころか、活動が続けられるかどうかという危機的状況だったのですが、その3戦後に初優勝を果たすという、予想外のドラマが待っていたのでした。

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.25「大ピンチから一転、歓喜の初優勝へ!」

同カラーに塗られたRC211Vで参戦するマックス・ビアッジ選手(左)を抜いての優勝を遂げた玉田誠選手(中央)。3位には故ニッキー・ヘイデン選手(右)が入っている。

TEXT:Toru TAMIYA
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ブリヂストンでタイヤ開発を経てレース部門へ。ロードレース世界選手権では1991年のWGP125ccクラスへのスポット参戦からMotoGPへのワンメイクタイヤ供給まですべてを統括した。その後は世界耐久選手権シリーズで、ブリヂストンサポートチームの初優勝、初タイトルを見届けた。2019年7月をもって定年退職。視線はモータースポーツの未来へ。