日本滞在わずか1日のハードワーク

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.24「対策品を開発して4日後までに現地へ!」

  • 2020/8/25
山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。MotoGPクラス参戦3年目となった2004年、走行中にタイヤが壊れる重大トラブルが発生。山田さんらは4日間でその対策を求められることに!

敷け、緊急体制!

2004年の6月第1週にムジェロサーキットで開催された第4戦イタリアGPで、カワサキ・レーシングチームから参戦していた中野真矢選手が装着していたブリヂストンのリヤタイヤが300km/hの速度域で壊れて、中野選手が大クラッシュ。当然ながら我々には、早急かつ万全な対策が求められました。しかし次戦のカタルニアGPは翌週開催。金曜日の午前中には走行がスタートするので、我々はイタリアGPの決勝が終了した日曜日の午後から実質4日間で、これを成し遂げなければなりませんでした。

不幸中の幸いだったのは、通常はレースの現場にいない開発部の本部長が、イタリアGPに来ていたこと。決勝が終了してからすぐに、東京の小平にある技術センターの工場に電話で現状報告をしてもらいました。私の独断で工場に緊急体制を築いてもらうことはできませんが、本部長ならそれが可能です。ただし、日本とムジェロの時差は8時間なので、イタリアGPが終了した時点で日本は日曜日の夜遅い時間。とりあえず工場長の携帯に第一報を入れ、月曜日の朝から試作の枠をすべて空けておくよう指示してもらいました。

一方で我々は全レース終了後、コースサイドなどに散らばっていた壊れたタイヤの破片をとにかく拾い集め、その状態などを現場のエンジニアが確認して、トラブルの発生状況を分析。推測を交えながら、日本にいる技術設計者にどのようなタイヤを作るべきか指示できるようまとめていました。日本の技術者はその報告に基づいて、構造やコンパウンドを変更したタイヤを何種類も設計。月曜日の段階から生産を開始していました。

本部長と私は、壊れたタイヤやその破片を持って、現地時間の月曜日夕方にイタリアを飛び立ち、日本時間の火曜日夕方には成田空港に到着。タクシーで小平の技術センターに直行して、招集していた開発プロジェクトのメンバーと合流しました。工場に到着したのは、19時ごろだったと記憶しています。そこから、とにかくさまざまな議論を積み重ね、徹夜同然で作業を実施。週末のカタルーニャGPへの対応について決めていきました。

400km/hまで対応可能なドラム試験機で、タイヤが壊れた状況を再現

以前にも触れましたが、ブリヂストンにはこのときすでに、400km/hまで対応可能でキャンバーや駆動制動もかけられる巨大なドラム耐久試験機がありました。生産したタイヤは、徹夜作業でこの機械を使ってテストを繰り返して、評価をこなしていきました。しかし、これは対策品に限ったことではありませんが、MotoGP用のタイヤには公的な試験方法があるわけではないので、試験方法も自分たちで開発していくしかありません。

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]

ブリヂストンが2015年頃にメディアに公開した『アルティメットアイ』は、MotoGP用タイヤの試験技術を活かしたもの(今回の話に出てくる高速耐久試験機とは異なるが、技術的な繋がりはある)。接地面にどんな力が働いているかを可視化できる。 [写真タップで拡大]

ドラム耐久試験機でタイヤが壊れる条件をつくるのは非常に簡単なことなのですが、今回と同じ故障が発生する条件でのテストでないと無意味です。そこで、我々が日本に持ち帰った壊れたタイヤを解析して、どこからどのように壊れたのかを分析。同じスペックのタイヤをドラム試験機で回して、中野選手が使用していたときと同じような症状で壊れるよう、試験機の条件をセットしました。解説するのは簡単ですが、とにかく時間がない状況ですから、試験の担当者は徹夜で何度も試験機を回してくれました。

そして、壊れたリヤタイヤと同じような症状が発生するドラム試験機の条件が見つかったところで、新たに生産した対策品を比較。ひとつずつ評価していきました。ただし試験条件が決まった後も、対策品がどの程度まで上回れば安全なのかは誰にも分かりません。安全率をどのくらいみるかということですが、新しい評価法を作る場合は、この点も非常に難しいのです。

その間にも、開発陣は新たなタイヤを設計して、工場では次々に生産。すべてが同時進行していました。それでも、試験機での評価を待っていたら金曜日午前中の走行には間に合いません。そのため、生産したタイヤから順にカタルニアへ空輸。その間に日本では耐久評価試験を続けました。評価がダメだったタイヤは使用しないので、当然ながらムダになるタイヤも多く発生しますが、これが最善の方法でした。

最終スペックのタイヤは、飛行機に手荷物として持ち込んだ

私は火曜日夕方に戻ってきたばかりでしたが、翌水曜日には再び日本を離れてスペインへ。現地時間の木曜日朝にはカタルニアサーキットに入りました。渡航していた間に、生産した各タイヤの耐久評価が完了。その結果を現地到着後にメールで受け取り、チームへの説明資料を日本側とやりとりしながら完成させました。

ちなみに、最終スペックのタイヤ30本弱は、スタッフがかなりの手数料を払って手荷物として一緒にフライトして現地に運搬。こうするしか、金曜日の走行に間に合わせる方法がありませんでした。リヤタイヤだと3~4本入る大きなバッグがあるのですが、それが10個くらい。手持ちそのものはGP125時代から慣れていたのですが、あんなに大量なのは初めてのことでした。当然、1人ではカートを使っても運びきれませんから、複数名のスタッフで運搬しました。

この当時、ブリヂストンはF1にも参戦。しかもライバルメーカーが存在するコンペティションの時代だったため、試作工場では緊急対応にある程度は慣れていました。しかしいま振り返っても、あの4日間はF1の現場をも上回る綱渡りの状況だったと思います。

木曜日にカタルニアサーキットに入った私は、各チームに状況を報告。最終的には、これなら安全にレースができそうというタイヤが2~3種類に絞られていたので、それらのデータを見せて、「このような改良を施してきたので、どうか我々の安全性を信頼してください」と説明したのです。中野選手のクラッシュは、すべてのライダーやチーム関係者にとって、非常にショッキングなものでした。幸いにも大きなケガはありませんでしたが、一歩間違えば深刻なことになっていたかもしれません。もちろんそうなっていたら、我々の活動もあの時点で終了していたでしょう。それほどのトラブルを発生させてしまったという認識があったからこそ、我々は早急な対策品の開発と同時に、各ブリヂストンユーザーへの誠意ある説明が必要だと思っていました。

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]

タイヤ温度管理の様子を見守る山田宏さん。2004年4月頃。 [写真タップで拡大]

TEXT:Toru TAMIYA
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ブリヂストンでタイヤ開発を経てレース部門へ。ロードレース世界選手権では1991年のWGP125ccクラスへのスポット参戦からMotoGPへのワンメイクタイヤ供給まですべてを統括した。その後は世界耐久選手権シリーズで、ブリヂストンサポートチームの初優勝、初タイトルを見届けた。2019年7月をもって定年退職。視線はモータースポーツの未来へ。