超高速走行中にタイヤが破壊!!

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.23「参戦3年目にして過去最大のピンチ!」

  • 2020/8/10

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想。MotoGPクラス参戦3年目となった2004年、そのシーズン序盤で大きなアクシデントが発生し、ブリヂストンはこれまでにない危機を迎えます。

2004年、ムジェロサーキットでのMotoGP第4戦イタリアGPで……

ブリヂストンにとって、ロードレース世界選手権最高峰となるMotoGPクラスの参戦3年目となった2004年。我々は初めてワークスチームとの契約も獲得して、3チーム5台体制で臨むことになりました。前年から継続となるキャメル・ホンダの玉田誠選手に加えて、チームスズキMotoGPからケニー・ロバーツJr選手とジョン・ホプキンス選手、カワサキ・レーシングチームから中野真矢選手とアレックス・ホフマン選手が参戦。ワークス2チームが加わり、リザルトおよびタイヤ開発に対して、これまで以上に期待が持てるシーズンインとなりました。

しかし開幕戦の南アフリカGP、ウェットレースとなった第2戦スペインGP、さらに第3戦フランスGPといずれも成績は振るわず。開幕戦では玉田選手の8位、第2戦ではロバーツJr選手の8位、第3戦では玉田選手の9位がブリヂストン勢の最高位でした。そういえば開幕戦の決勝終了後には、カワサキワークスチームで上のほうの役職を持っていたある方に叱られた記憶があります。どんな内容だったかはっきりは思い出せませんが、予選ではカワサキ移籍後初レースの中野選手が6番手を獲得していたので、チームとしてもかなり気合いが入っていたのでしょう。しかし中野選手は決勝で12位に終わり、その原因がタイヤにあると考えられたのかもしれません。

もっともこの年は、ムジェロサーキットで開催された第4戦イタリアGPで、私にとって仕事や人生における最大のピンチとなるようなアクシデントが発生。開幕戦で叱られたことも、序盤3戦で成績がパッとしなかったことも、その衝撃的な出来事により記憶の中で薄れることになったのです。

衝撃的だったトラブルの写真は残念ながら残っていない。じつはタイトルカットも開幕戦・南アフリカGPのものだ。この写真は中野真矢選手のチームメイト、アレックス・ホフマン選手のマシンZX-RRのタイヤをチェックするブリヂストンスタッフの姿。 [写真タップで拡大]

路面に散乱する大量の黒いゴム片

第4戦イタリアGPは、6月第1週に開催。予選は玉田選手が7番手、ロバーツJr選手が9番手、中野選手が10番手、ホフマン選手が10番手で、ホプキンス選手は前戦でクラッシュした影響から欠場でした。玉田選手から予選トップだったセテ・ジベルノー選手まではちょうど1秒差。ところが決勝日朝のウォームアップでは、玉田選手がジベルノー選手に次ぐ2番手につけました。

そしてスタートした決勝レース。玉田選手は1周目に5番手、2周目には3番手にポジションアップすると、2番手のマックス・ビアッジ選手とトップのバレンティーノ・ロッシ選手を僅差で猛追。激しいバトルを繰り広げ、5周目にはビアッジ選手とロッシ選手を抜いてトップに浮上しました。しかし、ロッシ選手は玉田選手をぴったりマークし、その後方にはスタートでやや出遅れていたジベルノー選手と、先行を許しながらもしぶとく喰らいつくビアッジ選手までの4台が、1秒以内のトップ集団を形成。手に汗握るバトルに私も大興奮していたまさにそのとき、アクシデントが発生したのです。

5周目にトップへと浮上した#6玉田誠選手。続くのは#15セテ・ジベルノー選手、#3マックス・ビアッジ選手、#46バレンティーノ・ロッシ選手だ。 [写真タップで拡大]

12周目、玉田選手はロッシ選手の先行を許して2番手でコントロールラインを通過。そこから約17秒遅れて、11番手で中野選手がホームストレートを駆け抜けていきました。その直後、ピットレーンで見ていたモニターに映ったのは激しいクラッシュの映像。最初は誰だかわかりませんでしたが、それが中野選手だと認識するまでにそれほど時間はかかりませんでした。

あのとき、どこのチームにおじゃましてモニターをチェックしていたのかは忘れましたが、私はピットレーンの1コーナーに近い側で観戦。モニター映像からクラッシュがストレートエンドだと判断して1コーナーのほうを見たところ、少し先の路面に黒いゴム片が大量に散乱していました。

モニターの中では、300km/h超の速度でマシンから放り出されて1コーナー近くまで路面を転がる中野選手。すぐには何が起こったのか理解できずに頭の中は真っ白でしたが、路面に散らばるゴムを見て、タイヤが壊れたとわかりました。

この段階では、何が原因で中野選手が転倒したのかは不明ながら、タイヤが破壊したのはほぼ確実。そして、これが原因で中野選手が転倒したのだとしたら、とんでもないアクシデントを起こしてしまったと感じていました。さらに、中野選手が転倒した翌周には、コントロールラインを3番手で通過した玉田選手がコースサイドでストップ。モニター映像から、このリタイアもタイヤに原因がありそうでした。

想定していた以上の負荷がタイヤにかかっていたことが判明

中野選手と玉田選手にタイヤトラブルが発生したとしたら、他のライダーにも同じことが起こる可能性は十分にあります。ロバーツJr選手はすでにリタイアしていたため、この段階でレースを続行していたブリヂストン勢はホフマン選手のみ。私はすぐに、カワサキワークスチームのピットに向かい、「すぐにレースを諦めてストップさせてほしい」と訴えました。

しかしチームとしては、いくら同じタイヤを使用しているからとはいえ、トラブルの症状が一切発生していないライダーをリタイアさせるという決断はなかなかできません。チーム内にリタイアの判断をできる人がいなかったことから、我々としては心配しながら状況を見守るしかなかったのですが、18周目にたまたま雨が降りはじめてレースが2ヒート制になったことで、我々としては救われました。

ちなみに、私は現場でのさまざまな対応に追われていたため第2ヒートをほとんど見ておらず、最終的にレースがどうなったのかまるで記憶がありません。

その後、中野選手のクラッシュシーン映像はあちこちで何度も流れていたので、往年のレースファンなら見たことがある人も多いことでしょう。私にとっては、世界で一番見たくない映像ですが……。中野選手は、ストレートでリヤタイヤが壊れたことで転倒。すぐに医務室へ運ばれましたが、シリアスなケガを負わなかったことは本当に運が良かったというような状況でした。一方で我々は、トラブルの原因を究明するため、コース上に散らばったゴム片と車両のリヤホイールに残されたタイヤをすぐに回収して、その日はパドックで夜遅くまで解析と検討を続けました。

その後の詳細な検証の結果から、このときのトラブルはリヤタイヤがスピードと発熱に耐えられなかったことが原因と判明。ムジェロは直線が約1.1kmもあり、2004年当時でもMotoGPクラスの最高速は330km/h台に達していました。レースで周回を重ねるうちに、タイヤへの負荷から熱が上がり、高速走行時にタイヤのトレッドが剥がれてしまったのです。

2ストロークマシンのGP500から4ストロークのMotoGPになって、全体のパワーは約20%向上すると言われていました。MotoGPマシンになってからも、少しずつ改良が加えられてさらにパワーが向上していきます。そしてその分だけ、最高速度も上がりタイヤへの負荷がダイレクトに増すため、我々もそれを考慮しながらタイヤを開発していました。しかし結果的に、我々が想定していた以上の負荷が、このムジェロで発生していたことになります。

もちろん、その後に使用するタイヤに関して、早急かつ万全の対策が求められたことは言うまでもありません。ところが次戦のカタルニアGPは、よりによってインターバルがまったくない翌週開催。つまり、日曜日の午後に発生した重大なトラブルに対して、次戦のフリープラクティスがある金曜日の朝まで、実質4日間で対処しなければならなかったのです。

※編註:第4戦イタリアGPの第2レースで勝利を挙げたのはバレンティーノ・ロッシ選手

同年ポルトガルGPにて、モニターを眺める山田宏さん。生みの苦しみを味わいながら、着実にステップアップしていく。 [写真タップで拡大]

TEXT:Toru TAMIYA
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