ホンダ広報部の高山正之氏が、明日’20年7月4日に65歳の誕生日を迎え、勇退する。二輪誌編集者から”ホンダ二輪の生き字引”と頼りにされる高山氏は、46年に渡る在社期間を通していかに顧客やメディアと向き合ってきたのか。これを高山氏の直筆で紐解いてゆく。そして、いち社員である高山氏の取り組みから見えてきたのは、ホンダというメーカーの姿でもあった。 連載最終回は、高山氏にとっての”ホンダ”とは何か、これまでにめぐり逢った先輩諸氏の言葉を紡ぐことをもって結びとしたい。
ぼくにとってのキラキラ星はホンダで輝いていた
中沖満氏著作の「僕のキラキラ星」に出会い、バイクとの関わりがより深くなったと思います。中沖氏は、これまで出会ったバイク達をキラキラ星と呼んでいますが、私にとっては諸先輩達がキラキラ星です。
私の記憶に残る諸先輩がくれた名言を紹介します。
狭山工場時代の班長
「お前のツナギはなんでこんなに汚れているんだ。先輩を見ろ。きれいなもんだ」
「ちゃんと仕事をしているから汚れるんです」
「作業着が汚くなるのは、何か原因があるからだ。造っている車に汚れをつけるな」
良い製品は綺麗な職場から生まれるという考えが、現場の末端までブレずに浸透していました。
原宿時代の本部長
「高山君。君は誰から給料をもらっているのかね」
「はい、毎月25日に会社からもらっています」
「ばかもん。給料はお客様が買ってくれたバイクや部品、四輪車の儲けから出ているんだ。給料は、お客様からもらっていると覚えとけ」
「本部長、どちらの案がいいでしょうか」
「A案はここがいいけど、B案はこの点が気にかかる。ところで高山君はどう思っているのかね」
「わからないから聞いているんですけど」
「俺は意見を述べた。あとは自分で決めなさい」
「レースは勝ったり負けたりが当たり前。最後に強いホンダを印象づけられればそれでよい。巨人が9連覇した時には巨人ファンも離れてしまった。勝ちすぎは良くない。このことを忘れないように」
原宿時代の先輩
「高山君。こんなにいい天気なのに、机にしがみついていいのかね。もっとやることがあるんじゃないの」
「実は、飯能方面の林道を走って地図を作りたいんですが」
「じゃ、行ってこい。課長と部長には自分から話しておくから」
「柔道は、投げることよりも先に受け身を学ぶよね。バイクも同じで、転ぶと痛いので転ばないようにするけど、それではダメ。転ぶことを学ばないから、ダンプにぶつかって入院するんだ。明日は雨だから、桶川のモトクロス場で特訓だね」
翌日は先輩と雨の中でさんざん転倒を味わい、バイクをコントロールすることを学びました。
福井威夫社長
「福井社長、おはようございます」
「おい、俺は社長だけど福井さんだ」
「すみません。福井さん」
エレベーターに乗り合わせた社長の福井さん。ホンダで働く人は皆平等という理念の下、「さん」づけが社長にも徹底されていました。
金澤賢HRC社長
「この展示内容で報道は喜んでくれるのかね」
「ワークスマシンは機密が多いので、部品展示はこれが限界と聞いています」
「俺が報道だったら面白くないね。海外からも来るんだから、この際、すべて見てもらいましょう」
「はあ。それは喜ぶと思いますが、大丈夫ですか」
RC211Vのエンジンを分解してお披露目した前代未聞の報道向け展示では、シリンダーヘッドやクランクシャフトなどエンジン主要部品が台に並べられ、撮影も可能でした。
本田宗一郎最高顧問
「本田さん、これが本日発表のヘルメットが入る50ccのメットインタクトです」
「じゃ、こっちのバイクは何cc?」
「はい、750ccのスポーツバイクです」
「このバイクには、ヘルメットが何個入るのかね?」
「1個も入りません……」
青山を訪れた本田宗一郎氏の冗談とも本気とも取れる発言に、我々は翻弄されました。
ウエルカムプラザ青山の所属長
「金はないぞ。残業もできないぞ。でもアイデアは無尽蔵だ。高山君」
広報部の先輩
「広報は広く報(ほう)じるというが、自分は、広く報(むく)いることだと思っている」
木村譲三郎氏(初代スーパーカブC100のデザイナー)
「君は、本田宗一郎が魂を込めて造り上げたスーパーカブの歴史を捻じ曲げるのか。私は君しか知らん。だから君に正しい歴史を残してほしいと願っている」
自宅で2時間ほど説教された記憶は鮮烈です。
吉野浩行社長
「私は、販売店様にこんな生ぬるい挨拶などしたくない。もっと厳しい話をしなければならないと思う。それが私の役目だ」
私が作成した販売店大会用の挨拶原稿を見て怒り心頭の吉野社長。’90年代末、店舗運営において改善すべき点がたくさんありました。
諸先輩からの話は、今でもその当時の状況が鮮明に記憶されています。果たして私は誰に記憶に残る話をしてきたのだろうか。私は無口な広報マンですから、名言よりもたくさんの本の中に伝えたいことを記載いただきました。それらの本は、時代が変わってもホンダの生きざまを語ってくれるものと思います。23年に渡りPRに携わってきたスーパーカブは、創業者である本田宗一郎と藤澤武夫両氏による渾身の製品です。この製品には、ホンダの夢、アイデアやチャレンジ、そして宣伝や広報活動のソフト領域から営業・サービス活動までも巧みに取り入れた、まさにホンダを映す鏡というべき存在です。スーパーカブから学んだことは、書籍やWeb、そしてTVなどで残してきました。いつかそれらに接していただける機会がありましたら嬉しいかぎりです。
終わりに、叱咤激励してくださった多くの方々と、長きに渡り支えてくれた、かみさんに感謝いたします。これからも相棒であるスーパーカブとの付き合いは長く続きそうです。皆様にとって楽しいバイクライフになりますよう願っております。
●文/写真:高山正之(本田技研工業) ●写真:柴田直行(トップ写真) ●編集:市本行平(ヤングマシン) ●協力:本田技研工業/ホンダモーターサイクルジャパン ※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
あなたにおすすめの関連記事
1986年7月に、モーターレク本部から青山本社ビルなどを管理する本田総合建物に異動し、ウエルカムプラザ青山の企画担当になりました。これまで経験してきたノウハウを活かしてほしいというものでした。まず最初[…]
ホンダの創業者・本田宗一郎さんは、最高で最大の広報・宣伝マンでした。青山本社のショールーム「Honda ウエルカムプラザ青山」には、たびたび訪れていました。1986年に、ウィリアムズホンダがコンストラ[…]
1996年、三樹書房の小林兼一氏が来社され、スーパーカブの書籍発行について相談を受けました。特集本と言えばスポーツバイクと決まっていた時代ですから、ビジネスバイクの代表でもあるスーパーカブの本を出して[…]
2009年の2月に、朝霞研究所から電話がありました。「面白いものを見せるから、すぐ朝霞に来い」というものでした。とりあえず駆けつけますと、何やらエンジンを組み立てている様子です。 主任研究員「これ、何[…]
スーパーカブは、人々の生活をより豊かにより便利に、生活に役立つバイクとして多くの人たちに支持され続けています。そして本田技研工業を一躍世界的な企業に押し上げた立役者でもあります。私とスーパーカブとの出[…]
最新の記事
- バイクの冬眠に向けて。デイトナのメンテナンス/保管用アイテムをAmazonでチェック!【ブラックフライデー前】
- ホンダのタフ・スクーター「ADV350」がマイナーチェンジ! スマホ連携TFTメーター獲得【海外】
- CB400スーパーフォアに代わり、首都高パトロールに黄色のBMW! 「F900XR」を12月上旬より黄バイとして運用
- スズキ「Vストローム250SX」と「Vストローム250」は何が違う? 身近な兄弟車を比較!
- 【2024年11月版】150~250cc軽二輪スクーター 国内メーカーおすすめ7選! 125ccの双子モデルからフルサイズまで
- 1
- 2