モデルみたいなスタイルでイケメンで……。

世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.32「あの頃の500ccライダーは本当に『スター』って感じだった」

  • 2020/5/1
1986年・TBCビッグロードレース 平忠彦

1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第32回は、500ccクラスでポールポジションを獲った時の秘話。

TEXT:Go TAKAHASHI PHOTO:YOUNG MACHINE Archives ※トップ写真は1986年、全日本ロードレース第11戦鈴鹿で勝利した平忠彦選手
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家に居ることで、いつもと違う経験をしています

4月17日の金曜日、愛犬のテンテンが15歳6ヶ月で亡くなりました。テンテンを飼い始めたのは、現役を引退して少し経ってからのこと。その後に娘たちが生まれたので、テンテンは原田家の長男なんです。

家族全員でベロベロにかわいがって、美由希さんや娘たちにはものすごく懐いてたのに、僕にはちっとも懐きませんでした。いつも出かけて帰るたびにスーツケースにテンテンのおやつを忍ばせていたので、僕のことは「おやつを運んでくる手下」ぐらいに思っていたんでしょう(笑)。日本から僕が帰るといつも僕の枕の上でふんぞり返って、「何だよ!?」みたいな態度でした。かわいかったな……。

なかなかの愛され犬で、世界各国から弔いのメールをいただきました。中には、犬好きなケニー・ロバーツ御大からのメールも。テンテンはスペインにあったケニーさんの家に遊びに行ったことがあるんです。「あれ? テンテンいないな」と思ったら台所でケニーさんからハモン・セラーノ(塩漬けした豚肉の生ハム)をしこたまもらってて、「そんなしょっぱいのあげたら死んじゃいますよ!」と大騒ぎしたものです。

他の犬を見れば吠えるというちっちゃい暴れん坊でしたが、存在は大きかった。ここ2、3年は年を取ったのかすっかりおとなしくなって、その分家族たちとも寄り添っていたので、美由希さんや娘たちは大変なショックを受けていました。特に美由希さんの落ち込み方と言ったら……。「また犬を飼うならテンテンじゃなきゃイヤだ」と言ってますし、ベッドに敷いていたテンテン愛用のタオルを僕が触ろうもんなら、「テンテンの匂いが落ちちゃうでしょ!!」と激オコです。僕だって悲しいのになあ(笑)。

でも、命はいつかこうして去って行くもの。仕方のないことです。特に娘たちには、命の尊さを知るいい勉強になったと思います。コロナ禍のおかげで僕も家にいられて、家族全員で看取ることができたのも、何か意味のあることのように思えます。ありがとう、テンテン。

マルケスなのに転んじゃう……!?

つい「コロナ禍のおかげで」と書いてしまいましたが、レースは軒並み延期や中止で本当に大変な事態になっています。今は辛抱するしかありませんね……。そんな中でも、四輪レースはF1を筆頭にしてバーチャルレースが本格化しています。四輪のシミュレーションは相当リアルで、パッと見では本物かどうか分からないほど。ものすごい出来栄えです。

そういえばイギリス人ドライバーのヤン・マーデンボローはPlay Station3のグランツーリスモを使った「GTアカデミー」から実際のスーパーGTドライバーになりましたし、四輪はゲームとリアルの差がどんどん縮まっているように感じます。

本物のMotoGPライダーが参加したバーチャルレースの模様。中上貴晶選手とアレックス・マルケス選手が競っている。 [写真タップで拡大]

一方の二輪は──。MotoGPもバーチャルレースに積極的ですが、ゲームのリアルさで言えばまだまだ四輪には敵いません。僕もPS4でMotoGPのゲームをしたことがありますが、あっという間に転んじゃうんですよね。マルク・マルケスでプレイしてもブレーキングで転んでしまったりして、「マルケス、ダメじゃん!」なんて(笑)、なかなか手強かったです。

ちょっとゲームを作るつもりで、ブレーキングについて考えてみましょうか。バイクの場合、ブレーキングはただ減速するだけではありません。特にレースではハードにブレーキングしながら車体を傾けていきますから、車体の姿勢を3次元でコントロールする必要があります。ライダーは縦横のGや遠心力、そして接地感を感じながら、どのポイントでどれぐらいの効力でブレーキを掛け、どうやってリリースするかを瞬時に判断しているんです。

さらに、ブレーキをかけると車体が起きるとか、ライダーの体の動きで車体の傾きをコントロールするとか、アクセルを開けることで旋回力が増すとか、とにかくもう、さまざまな物理現象がめちゃくちゃ複雑に絡み合っています。

もっと言えば、ブレーキ自体が前後別々で、それぞれのかけ具合によって車体の動きが変わってきますからね。ライダー心理も大きく影響するし……。いやもう、これを正確にシミュレーションするなんて、気が遠くなります。ライダーは「フィーリング」とざっくり表現しますけどね(笑)。

2スト500cc時代のライダーのカッコいいこと!

最近はとにかく時間があるので、YouTubeでバイクやレースの動画ばかり観ています。いやぁ、2スト500cc時代のライダーはカッコいい人たちばかりですね! 平忠彦さんなんかあまりにもカッコよすぎて、嫁の美由希さんは「草刈正雄より全然イイ男じゃない!」と驚いてました。

ヤングマシン1986年11月号

ヤングマシン1986年11月号より。スポット参戦した全日本ロードレース選手権第11戦鈴鹿にて、ワイン・ガードナー選手を下した平忠彦選手が勝利を挙げた! [写真タップで拡大]

ヤングマシン1986年11月号

平忠彦さん。スポット参戦した全日本ロードレース選手権第11戦鈴鹿にて。 [写真タップで拡大]

辻本聡さんも宮城光さんも伊藤真一さんも、みんなモデルみたいにスラッとしてます。藤原儀彦さんなんて、俳優の中井貴一と見間違えるほど。樋渡治さんも町井邦生さんも、みんなとにかくスタイルがよくてイケメンで、本当に「スター」って感じです。昔の500は顔がよくないと乗れなかったんですかね? あ、だから僕は500ではパッとしなかったのかな(笑)。

みんな目がキリッとしてて、ピリピリした緊張感があって、オーラがあって、人としてカッコいい。僕も現役時代はピリピリしてましたが、今になってYouTubeで見返すと目つきが悪い悪い(笑)。アゴなんかもとんがっちゃってます。そりゃ、ホントに突き詰めてましたからね、ピリピリもしますよ……。

こんなこともありました。’99年イタリアGPが行われたムジェロサーキットは、500ccクラスで初めてポールポジションを獲ったコースです。あの時は予選のラスト10分でコースレコードを更新し、もちろん暫定ポールだったので「もう十分だろう」という気分でピットに戻ったんです。ところがメカニックは新品タイヤに交換して「行け行けオーラ」を出してるんです。僕自身はもうアタックする気がなかったんですが、そこに登場したのが嫁・美由希さんです。ピットでグッタリしていると、「なに休んでるのよ!」と一喝されました(笑)。ちょうどアレックス・クリビーレが僕のタイムを破ってポールを奪われたところだったんです。

僕としては決勝を見据えていたので「フロントローならいいかな」と思っていたんですが、美由希さんに「アプリリアのホームGPで、社長も来てるのよ? 走りなさいよ!」「はーい、分かりました。行ってきま~す」。で、クリビーレのタイムをさらにコンマ3秒ぐらい塗り替えて。ポールポジションを奪い返しました。

ピットは美由希さんも交えて大盛り上がりでしたが、やってる方はホントに大変なんですよ……。当時のダンロップの予選用タイヤはグリップ力がものすごく高くて、旋回のかなり早い段階からアクセルを大きく開けないと、押し出されてプッシュアンダーが出てしまうほどでした。

旋回の早い段階でアクセルを大きく開けるためには、ブレーキングを極限まで頑張らなくてはいけません。いつもよりずっと強く、でもいつもよりずっとていねいにブレーキを掛ける感じ。めちゃくちゃハードブレーキだけど、フロントサスペンションがガンと入ってしまうのを防ぐためにブレーキ圧をギリギリコントロールする、といったイメージです。

フロントが入りすぎたら瞬間的にごくごくわずかに圧を抜き、でも速度はしっかり殺す、というように、ギリッギリのブレーキングを全コーナーで繰り広げなければいけません。しかもここではブレーキングに限って話していますが、マシンを傾けること、旋回しながらフルバンクでアクセルを開けていくことなどなど、本当に1周にすべてをぶつけて神経をすり減らすライディングなんです。

当時の走りの写真を見てると、旋回でほぼフルバンクしている状態でフロントを浮かせてますからね。それだけ早くアクセルを全開にしてるんですが、今となっては自分でもワケが分かりません(笑)。あんな走りをしていたら、そりゃピリピリもするってものです。今ではモナコの友人たちに「テツヤは性格も顔も丸くなったね」なんて言われますが、「でも、とにかく楽しそうだよ」と。やっぱり顔に出るんでしょうね。

顔に出るといえば、4月20日に命日だった大ちゃん(故・加藤大治郎さん)もそうでした。普段はポワーンとしていましたが、ヘルメットをかぶった時の眼差しはとても鋭かった。レース前はキリッとしたいい表情をしていたし、オーラも出ていました。

だいたい大ちゃんは、僕に引導を渡したライダーです。’01年にGPの250ccクラスでタイトル争いをしながら、「これはダメだ。とても敵わない」と思わされました。現役時代、マックス・ビアッジやバレンティーノ・ロッシといった才能あるライダーたちと戦ってきましたが、そんな風に諦めさせられたのは大ちゃんが初めてです。大ちゃんはチャンピオンを獲り、僕はランキング2位でしたが、実際のところはまったく勝負になっていませんでした。

これは一緒に戦った身じゃないと分からない感覚かもしれません。同じ日本人でありながら自分とは別次元の走りをする大ちゃんを、僕は誰よりも近くで見ていた。そして、ライディングフォームもバトルも本当にキレイな大ちゃんに、ほれぼれしてしまっていたんです。レースしているのに「こりゃあ負けてもしょうがないかな」と思ってしまってるんですから、もうライバルとは言えませんよね(笑)。

年齢的なこともあったと思います。’01年は大ちゃんが24、5歳で、僕が30歳でした。僕がタイトルを獲ったのが23歳でしたから、当時の大ちゃんはめちゃくちゃ勢いがあって乗れていたのは確かでした。それにしても、タイム差以上の差を自分で感じてしまって、「オレ、もういいかな……」と心が折れたんでしょうね。翌’02年を最後に僕は引退しましたが、もし’01年、大ちゃんにあんな差を見せつけられていなければ、もう少しレースをしていたかもしれない。それぐらい大ちゃんからは衝撃を受けたし、本当に偉大な存在でした。

でも、僕も大ちゃんも背が小さいんですよね。昔のライダーたちみたいにもっとスラッとしてカッコよければ、500でもMotoGPでも、もしかしたら……(笑)。

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