天井高のある新しい『AELLA』の工場に招き入れてもらうと、初稼働前の真新しいマシニングセンタが2機設置されていた。長年思い描いてきた新設の工場が具現化していく様子が楽しくてしょうがないとばかりに、「新しい基地や!」と糟野雅治さんはいつものように相好を崩しながら工場内を案内してくれた。
糟野雅治(かすの・まさはる)/1949年生まれ。17歳でレース活動を開始。1970年にMFJ全日本ロードレース選手権250ccクラスでチャンピオンを獲得。1971年、MFJ最優秀選手賞を受賞、ヨーロッパに派遣。1972年、レーシングチーム『フライングドルフィン』を根本健氏と共に設立、ヤマハ発動機と契約。1974年にカスノモーターサイクルを設立。1991年に自社開発・製造のカスタムパーツブランド『AELLA』を立ち上げ、早くから海外展開も手がける。「ドゥカティ京都」「モトラッドカスノ」も運営し、関西のドゥカティやBMWファンが集う。
●文:ミリオーレ編集部(村田奈緒子) ●写真:米村栄一、カスノモーターサイクル ●外部リンク:カスノモーターサイクル
未来に邁進する74歳、その原動力とは?
失礼ながら、京都のカスノモーターサイクルの創業者であること以外、糟野雅治さんのことを私はほとんど知らなかった。何度か食事もご一緒させてもらったが、糟野さんが話すことはこれから実現したい未来の話が多く、過ぎ去った昔の話をあまりされないからだ。
2022年10月に伺った際には、AELLA新工場の建屋は壁と天井が形をなすだけの状態だった。鉄骨の柱がむき出しのがらんどうの空間を見せてもらったが、「1階には新しいマシニングセンタも設置して……2階の事務所にはアイランドキッチンを設えて……」と話す糟野さんの目にはすでに完成した空間が映っているかのようで、詳細に新工場の様子を紹介していただいた。
こんな感じで糟野さんは常にエネルギッシュで、目を輝かせながら少し先を語る。時に顔をクシャクシャにして、舌をペロッと出して笑う様子は、まるでいたずらっ子の少年のようでもある。
なんともチャーミングな大将(親しいお客様は皆こう呼ぶ)は今年74歳。まだまだやりたいことがあると語る糟野さんの魅力に迫るべく、改めて話を伺った。
好きなことだから楽しさが何よりも勝る、プロ意識皆無の時代
糟野さんの原点は10歳の頃、原動機付自転車にはじめて乗ったことだった。風をうけて走る気持ちよさはずっと忘れられず、ロードレースへの興味も相まって、17歳のとき鈴鹿での2時間耐久レースに参戦。トラブルに見舞われ、初レースはリタイヤという結果だったが、とにかく楽しさが勝ったのだろう。「1966年のはじめてのレースは、今でも鮮明に覚えている」と、糟野さんは話してくれた。
その後、1967年の鈴鹿全日本選手権では、雨の決勝戦でファクトリーライダーもいるなか見事3位に入賞。1970年には全日本ロードレース250ccジュニアクラスのチャンピオンを獲得。MFJ最優秀選手賞を受賞し、MFJより贈られたヨーロッパ派遣の機会を得て3カ月ほど渡欧。帰国後は、ヤマハと契約を結びプロライダーに。さらに日本初のプライベートチーム『フライングドルフィン』を結成し、スポンサーと賞金レース文化を日本に根付かせるなど、活躍は多岐に渡った。
「とはいえ、プロライダーっていう意識は私には皆無。まったくなかった。好きなことをしてお金がいただける、こんな嬉しくてありがたいことはない。もちろん苦しいこともあったけれど、好きなことだから楽しいばっかり。だからずっと趣味、ある意味いまの商売も趣味なんやわ。もちろん、いまもレースに対する自負もあるよ。でもレースにおいてはこれが俺のいいところであり、ウィークポイントでもあった。好きだけで邁進していて、プロとしての心構えがなかった」と、語る。
バイクショップから始まり、唯一無二のブランドを立ち上げるまで
1974年に創業したカスノモーターサイクルは、2024年に50周年を迎える。
創業時はヨーロッパで目の当たりにしたバイク文化やショップの在り方などを率先して店づくりに取り入れた。それから17年後の1991年には、自社開発・製造のカスタムパーツブランド『AELLA(アエラ)』を立ち上げる。
糟野さんは自分自身のことを「好きになったら、とことん好きになるタイプ。そして、その好きがずーっと続く。それは人もそうだし、飲食店なんかもそう」と言う。だから、オートバイ好きが募ってショップを始めることに迷いもなかったのだろう。「苦労とか何も考えていなかったんや。その分、黙って女房が苦労してくれてたと思う」と語る。
商売に関しては、奥様(壽子さん)に任せっきりだったという。しかしバイクの世界しか知らなかった糟野さんも、商売の世界での出会いを経て、徐々に変化していった。
「店をはじめて数年経った時、27とか28歳の頃かな、ヤマハの営業担当者の小田倉さんと知り合った。彼が『物事はすべて数字や』と、その大事さを説き、いまで言うマーケットリサーチの基礎となるようなことも教えてくれたんや」
若き経営者を導く人、支えてくれる人との出会いと関わりを経て少しずつ会社経営にも邁進し、レースも続けていた。
「ずーっと趣味だから、途中休止もしつつレースは続けていて。そうすると市販レーサーを改造したい、自分の部品をつくりたいと思うようになるのよ。だから、まず機械を買った」
「大きな金額だったでしょう?」と問うと、「そうやろなぁ」と返ってきた。飄々と答えるが、後々で金額を聞くと、その当時で機械は4000万円ほどかかったという。金属加工といえば旋盤やボール盤だった時代に、マシニングセンタを入れる決断力が糟野さんらしい。
「(機械を)買うてんけど、入れるところがなくて(笑)。それから建物を建てて、機械を入れて稼働するまでに結局1年くらいかかったかなぁ。一番最初につくったのは、ワッシャーかボルトだったと思うけど、はじめてオリジナルでモノをつくったのは嬉しかったなぁ」
これが『AELLA』の始まりだ。糟野さんが求めるモノをつくるためにブランドが生まれたのだ。
ブランドのフィロソフィーとなるのは、走る・曲がる・止まるといったバイクの基本機能を徹底的に追求し操作性を高め、ポジショニングを追求したことで生まれる「機能美」。こうして身体の一部と変わらぬように感じられるぐらい優れた機能性があり、所有する喜びをもたらすプロダクトを展開していった。
すべてのライダーが「楽しい」と思えるプロダクトと場所を提供する
カスノモーターサイクルが幹ならば、『AELLA』はものづくりをする枝葉の一つ。そして2002年には「ドゥカティ京都」、2014年には「モトラッドカスノ」をオープンし、会社組織として枝葉は増えていった。
「オートバイは楽しさがある乗り物だが、危険ももちろんある。それを軽減するためにきちんとした整備やライダーの運転技術、そして安全への意識が欠かせない。だからこそ、カスノモーターサイクルでは時としてお客様を指導させていただくこともある。場合によっては厳しい店やなぁと感じるかもしれないけど、すべては安全に少しでも長くオートバイを楽しんでもらいたいからや」
命を守るメカニックの大切さ、命を預ける絆の深さを知り尽くした糟野さんのレース経験に基づき、組織が大きくなっても、ビジネスとしてのサービスを提供する立場だけにはとどまらなかった。
そして、より安全にバイクを楽しめるようにと企画する「カスノ運動会」を毎年鈴鹿ツインサーキットで開催したり、ドゥカティの魅力をより発信すべくドゥカティ・オフィシャル・クラブ『DOC京都』を発足したりと枝葉はより広がっていった。
『AELLA』は糟野さんの理想から、お客様の走りをサポートし喜ばれるものづくりへ
こうして多くのライダーが集い、ドゥカティやBMWといった趣味性の高いバイクを愛する人の輪が広がるにつれ、さまざまな声も届くようになる。そうした声も聞きながら、『AELLA』ではライダーの「走りたい」という情熱に応えるためのプロダクトを提案するようになっていった。
バイクのパーツをつくっているメーカーはたくさんあるが、バイクショップと隣接=ユーザーと密着しているパーツメーカーは少ない。これがカスノモーターサイクルのいちばんの強みだ。糟野さんの思いはしっかりと継承され、拡大。それが新しい『AELLA』新社屋に繋がっている。ここから『AELLA』のものづくりはさらに進化と深化を遂げていくだろう。
とはいえ経営において順風満帆なことだけではなく、仕事における大きな決断ポイントはいくつもあった。多くのスタッフを抱える経営者として、その極意を尋ねてみたら「そんなんないわ」と一蹴された。
「すべてはタイミングと五感。そもそも趣味だから、目標やゴールがないのよ。もちろんざっくりとした方向はあるよ。で、そっちの方向にいったら楽しいか楽しくないか? 楽しいと思えれば、進むだけ。あと、俺は運がいいからな。人との出会い、物事のタイミング……本当に運がいい。ありがたいことやなぁ」
自身の頑張りや努力ではなく、すべては運がいいからと言えるのは糟野さんの謙虚さゆえと、その人柄に惚れ込んでサポートしてくれる人たちが多いからだろう。
「50周年にはいろんな人を招いて、盛大なパーティができたらいいなぁ。オートバイしか知らなかった俺ができるこの業界に対する感謝やな」
そう言って、大将は舌をペロッと出して、ニカッと笑った。やっぱり少年のようだった。
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