2006年のMotoGPチャンピオン。あの日からもう5年……

ニッキー・ヘイデンを忘れない【ビッグスマイルが眩しいアメリカンライダー】

2006年、圧倒的な強さを誇っていたヴァレンティーノに対し、ニッキーはタイトル争いをリード

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2006年はそれまでにない混戦となった。世界GP最高峰クラスが4ストロークになったMotoGPから参戦を開始したドゥカティも戦闘力を大幅に向上。ドゥカティファクトリーのロリス・カピロッシは、デスモセディチの圧倒的なトップスピードを武器にシーズンをリード。

2006年のオランダGP。ニッキーは2006年初勝利。これはホンダにとっては、1966年の西ドイツGP(ホッケンハイム)でジム・レッドマンが初優勝を飾って以来、41年目にして最高峰クラス200勝目でもあった。

ロリスは開幕戦スペインでポールトゥウインを決め、第7戦カタルーニャで負傷するまでチャンピオン争いの一員だった。

一方のニッキーは、堅実にポイントを重ねる走りを披露。第3戦トルコでランキングトップに浮上すると、第8戦オランダで優勝。ランキング2位以下に42ポイントという大量のリードを築いた。

ホンダもニッキーを懸命にサポートした。V型5気筒という独創的なレイアウトをMotoGP初年度から使っていたホンダは、『ニュージェネレーション』と呼ばれるニッキー専用機をエンジンを含めて開発。

990㏄最終年度(2007年からMotoGPエンジンは800ccに)であったにもかかわらず、この意気込みは周囲を圧倒。ホンダならではの強さだった。エンジンの軸配置を変更して、エンジンの前後長を短縮。従来のホイールベースを維持しながら、スイングアームを伸ばすためにエンジンをつくり直したのである。

その大きな目的は、エンジン単体におけるマスの集中と軽量化。単体重量はオリジナルに対して7%軽く、内部パーツのフリクションを低減させ、最高出力は3%以上向上していた。

開幕戦で14位だったヴァレンティーノは、第2戦カタールで優勝を果たすが、第4戦中国〜第5戦フランスでノーポイント。ランキングは8位まで後退していた。しかし、シーズン中盤以降に王者の強さを発揮。第6戦イタリア〜第7戦カタルーニャで連勝してランキング3位に浮上し、タイトル争いのメンバーに加わってきたのだ。

2006年、世界グランプリ最高峰クラス3年目のニッキー・ヘイデン。着実に順応し、コンスタントにポイントを重ねる走りを見せた。

信じられないアクシデントを乗り越え、タイトルを奪取!

第11戦アメリカでの優勝以来、表彰台に上がれなかったニッキーは、第15戦日本までランキングトップを死守。しかし、残り2戦となった第16戦ポルトガルで、信じられないアクシデントに見舞われる。

レプソルホンダのチームメイトであるダニ・ペドロサがニッキーのイン側で転倒。2台はそのままリタイヤとなってしまったのだ。これはニッキーにとって2006年シーズンで、初めてのノーポイントレースだった。

2006年の最終戦バレンシア。タイトルを獲得できる可能性は高くなかったが、ニッキーは決して諦めず、アグレッシブに走り続けた。

そして、このレースで2位を獲得したヴァレンティーノがランキングトップに浮上。しかも、8ポイントの大差をつけられてしまった。やはり今シーズンもヴァレンティーノなのか……世界中がそんな雰囲気になった。

しかし、ニッキーは諦めなかった。

最終戦バレンシアの予選は5番手。決勝は好スタートをきり、3番手のポジションをキープする。レースをリードするのは、ドゥカティでWSBタイトルを決め、スポット参戦したトロイ・ベイリス。そこにロリスが続く。

ニッキーは積極的な走りを見せ、MotoGPチャンピオンに向け走り続けた。スタートに失敗したロッシは、走りに焦りが見られ、5周目に転倒。6連覇はならなかった。

ニッキーは、地元アメリカGP以来となるシーズン10度目の表彰台に上り、念願のタイトルを獲得した。

「人生を賭けて何かに打ち込み、その夢を叶えたとき、最高の悦びが得られる」。これは、レース終了後のニッキーのコメントだ。

「自分自身と支えてくれたチームや家族を誇りに思いたい。ポルトガルで夢は途切れたと思ったけれど、最終戦では気持ちを切り替え、走りに集中した。レースは何が起こるかわからない。最後まで戦おう、いまやらないで、いつやるんだ! と自分自身に言い聞かせた。ヴァレンティーノとの差は、サインボードで見ていた。転倒したことも把握していたが、バイクに問題がなければ、あっという間にポジションを上げてくるライダーだから、油断はしなかった。P3 OKという表示でやっと安心することができたよ」

諦めずに努力して、掴み取ったタイトル

2006年の戦いは本当にドラマチックだった。歴史に残る戦いだった。ニッキーが全力で走る姿、夢を叶えた時の涙や笑顔はいまでも鮮明も思い出せる。

2006 MotoGP、チェッカー後にアメリカ国旗を持ってウイニングラン。ニッキーはコース上で父であるアールさんと抱き合い号泣。感動的な新王者誕生の瞬間だった。

その後、ニッキーのレースでの成績は十分といえるものではなかったかもしれない。それでも多くのファンの心にその走りが刻まれているのは、誰しもにその努力が伝わってきたからなのではと思う。

ニッキーは確かにマシンコントロールに長けてはいたが、決して天才ではなかった。でも調子が良い時もナーバスな時も感情を表に出し、それがとても魅力的だった。素直に応援したくなった。どんな時も前向きで、ファンサービスを忘れず、バイクのコンディションがよくなくても自分の100%を出し続けていた。思い通りにならないバイクでもひたすら走り込んで自分を納得させているようなシーンもたくさん見た。本当にバイクが好きで、レースを愛していた。

この後、何度かインタビューを受けてくれたが、ニッキーは常に我々メディアにさえも気を使ってくれた。2007年2月、ホンダのキックオフパーティに来日していたニッキーは、日本に着いた翌日の朝6時にホテルの地下駐車場まで降りてきてくれて撮影に付き合ってくれた。

2月なのに半袖のレプソルシャツ1枚で現れた彼と握手すると、大きな手はとても温かった。早朝からあの100%の笑顔を披露してくれたのは言うまでもない。

そして、どんな質問にも真面目にそしてユーモアを入れて答えてくれたのも印象的。ホンダからドゥカティに移籍した直後に、ドゥカティの印象は? という質問にも「ドゥカティはアニマル(野獣)だ。ホンダとは全然違うよ」とニッキーは笑った。

ケンタッキー・キッドは、スーパースターになってもどこまでもナイスガイだった。あのビッグスマイルが、いつまでも忘れられない。

2007年からはMotoGPのレギュレーションが変更され、マシンは800ccエンジンを搭載するRC212Vになった。ニッキーは、ゼッケン1で挑むが苦戦した。

2009年からはドゥカティのファクトリーライダーとしてMotoGPに参戦。パートナーはケイシー・ストーナー。

2011年からは久しぶりにヴァレンティーノ・ロッシがパートナーに。2013年のパートナーはアンドレア・ドヴィツィオーゾ。

2014年からはホンダに復帰。サテライトチームからMotoGPに参戦するがタイトルに近づくことはできなかった。2016年からはWSBに移籍し、ランキングは5位だった。

2016年、負傷したダニ・ペドロサの代役として、オーストラリアGPのフィリップアイランドに参戦。久しぶりにレプソルカラーのMotoGPマシンを駆った。

2016年は、13年ぶりに#634 MuSASHi RT HARC-PRO.から鈴鹿8耐に参戦。WSBは日本開催がないため、久しぶりに日本のファンの前でその走りを披露。決勝はリタイヤ。

ニッキー・ヘイデンはMotoGPで殿堂入り。ゼッケン69は永久欠番に。


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