フォトグラファー真弓悟史のPHOTO&COLUMN

序盤のトップ走行は奇策か、当然か──ファインダー越しに見た長島哲太×ダンロップの挑戦2025

序盤のトップ走行は奇策か、当然か──ファインダー越しに見た長島哲太×ダンロップの挑戦2025

「この男の戦う姿を撮ってみたい」。ヤングマシンを含む二輪メディアを中心に活躍中のフォトグラファー真弓悟史。バイクから人物写真まで数々の印象的な作品を撮り下ろしてきた彼が、2024年からは全日本ロードレース・JSB1000クラスに挑む長島哲太選手を追いかけている。プロとしてレンズを向けたいと感じさせたその魅力に迫るフォト&コラムをお届けしよう。


●文と写真:真弓悟史

難しい路面状況を利用して前に出る

悔しい開幕戦の途中リタイアから約1か月、全日本ロードレースの第2戦が5月下旬、宮城県のスポーツランドSUGOで行われた。

第1戦のモビリティリゾートもてぎでは序盤5周に渡りトップを快走し見るものを沸かせ、ここSUGOでも土曜日に行われた第1レースは後半まで3位争いを展開して結果は7位。昨年終盤には見られなかった好バトルを見せたDUNLOP Racing Team with YAHAGIの長島哲太。

迎えた日曜日、前日夕方からの雨も朝から上がり、ほぼ路面も乾いた午後、JSB1000の第2レースが始まった。

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

このレース、私は長島哲太の走りに衝撃を受けた。

スタートが得意な長島は4番手あたりで1コーナーに進入してきた。彼からすれば、まずまずと言ったところだろうか。2コーナーでは好スタートを決めトップにいたホンダの野佐根選手が転倒しているが、その先3コーナーに向けて順位はどうなっているのか、もう私の位置からでは見ることが出来ない。

そこから約1分半、最終コーナーからストレートの急勾配を駆け上がり真っ先に姿を現したのは黄色いバイクの長島だった! それも2位BMWの浦本以下は大きく引き離して帰ってきたのだ。

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

コースサイドで思わず「マジで!?」と1人声が出てしまう。

ここまでの走りは想像もしていなかった展開だ。午前に行われたST1000のレースでは路面状況からレインタイヤとスリックタイヤに分かれギャンブルに出るライダーもいた。ならばこの状況もあり得る。しかしこのレースにおいては、皆スリックタイヤを装着し全車同じ条件だ。いったい何が起こっていたのであろうか。

「ハーフウェットでライン上は乾いているんですけど、ラインを外すとまだ濡れていたんです。なので『みんな様子を見てくるだろうな』と思っていました。抜きに掛かると濡れている所でブレーキングしないといけないので抜く事が出来ないし、無理も出来ないんです。なので(自分は)最初に前に出てとにかく『抑えよう』と」(長島・以下同)

この作戦が見事にはまる。長島は翌周もまた次の周も、後ろにライバルを引き連れトップで帰って来る。結果10周にも渡りトップをキープした。「今回は路面状況に助けられた部分と言うのが大きいですね」と冷静に話すが、激しいブレーキングで後ろを巧みにブロックしつつ絶対に抜かせない走りは間違いなく長島だからこそ出来た技だった。

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

このまま最後までイケるのではないかと思わせたレースであったが、中盤以降は長島のダンロップタイヤが消耗してくるとライバルの先行を許す展開となる。

「イケるかなぁと思ったんですけどね。(ラインを)こじ開けられちゃうと、なかなか厳しいですね」

終盤はタイヤを使い切り、防戦一方の戦いは最終ラップにも1台に抜かれ、結果は第1レースと同じ7位に終わった。大いに魅せた走りと悔しい成績──。

「長島哲太だから出来る」を見せておく

「たまに言われるんですよ。もう少し『攻めない走り』や『タイヤを持たせる走り』って考えないの? って。でも前半行かずに持たせてタイヤを作った所で、その順位のタイヤしか作れないと思うんです。序盤から“あの順位”を行けて、あれをそのまま最後までキープ出来たら“勝ち”じゃんって。うちらの今目指す先はそこかなって思っているんです」

ちなみに最初攻めずに最後までタイヤを持たせた所で最終の順位は? と聞くとこう答えてくれた。

「たぶん変わらないと思います。だったら攻めた方が良いと思いますし、(魅せる走りをせずに終わってしまったら)『だれでもイイじゃん』ってなってしまうと思うんです。やっぱり、あのようにトップを走れるのが長島哲太だよね”って姿を見せておかないと」

この熱い気持ち。これこそが長島の真骨頂であり魅力である。

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

「レースの本質って順位を争うというのが1番大事だと思うんですけど、興行であるって事も忘れちゃいけないと思うんです。JSBのレースで言えば今まで様子を見たりして序盤あまり争わずに淡々とレースを進めて最後に抜いて引き離すというレースが多かった。序盤からガンガン行って、激しいバトルとかもあまりなくて『面白いけど…』という部分があったと思うんです。しかし自分があんな風に(最初から攻めて)レースをしていると『あそこまで行ってイイんだ』と(他のライダーも)なるし、他のクラスを見てもバチバチのレースをするようになって来ていますので、見てくれている側はどんどん面白くなって来ていると思います。

昨日も(日浦)大治朗を1コーナーで抜いた場面、ずっと2コーナーまでバチバチに当たりながらバトルをして(笑)。ワールドスーパーバイクが面白いなって思うのは、誰も引かないし、ぶつかりながらでも行く所。これが全日本には足りない部分だったと思いますし、みんな『無茶をしない』じゃないですか。今ある物のレベルの限界を超えてまでレースしようとしている人はなかなかいないと思うんです。

でも、そういう姿を見せていたら今日の藤田哲弥(長島哲太率いるTN45所属のライダー。ST600クラスで初優勝)も頑張ってくれますし、見せ続けるのが大事だなと感じました」

マラソンでも最初は集団を形成し、ある程度絞られてから相手の余力を見つつ駆け引きに出て最後にスパートをかける。これがセオリーだろう。だが、今の長島は最初から飛び出して逃げを打つ。そして激しいバトルと魅せるレース。このようなレース展開に持ち込もうとするのは、自身のバイク・タイヤがライバルとまだ対等に渡り合えない状況からそうしている事は想像できる。しかしこのような事をしたライダーは今までいなかったのではないだろうか。常識を覆す異端とも思える。

「自分からしたら逆なんですけどね。ああいう走りは当たり前だし、あそこで何とかするのがライダーの仕事。それが出来ないのであればライダーは誰でも良いとなってしまう。長島哲太の応援に来てくれている人たちも自分が手を抜いて走っていたら面白いと思ってもらえない。あれをやるから『観に来て良かった』と思ってもらえる」と秘めた思いを語る。

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

「あとは僕が何とかする」では誰もが乗れるタイヤにならない

第1戦もてぎではトップを5周、ここSUGOでは10周トップを走った。勝てる日が1歩1歩、近づきつつあるようにも思えるが──。

「どうですかねぇ? レース展開次第だと思うんです。今で言うとレース中盤以降タイヤがタレてくると、どうしても抜き返せないんです。それがアドバンテージじゃなくても『抜き返せる』くらいまで残っていてくれたら後は人間が何とかしますよ。でも、それが万人に乗れるタイヤかと言うとそうじゃないので、もっと開発が必要かなとは思います」と話す。

そして「レースって結果がすべてだと思います。勝てば偉いし負ければダメだし……。今『ブリヂストンがすごい』と言うイメージが着いていますよね。それを早く『ダンロップでも可能性がある』と一般の人たちが思ってもらえるような走りを見せて行けばなと思います」

このSUGOのレースは、長島のレースに賭ける思いや気持ちがライディングする姿に溢れ出た“長島哲太”が表現された、感動すら覚えるレースであった。

「結果は悔しいですけど、今週はやり切りましたし、最低限の仕事は出来たと思います。そして人間は『まだまだイケますよ』というアピールにはなったのかなと思います」

レース後、ピットでチームやダンロップのスタッフにインプレッションを伝え終えた長島のもとに、同じダンロップタイヤでGP3クラスを戦う盟友の尾野弘樹選手がやって来て長島の走りを称えていた。「もう優勝だよ」と。

確かにレースは結果がすべてである。しかし今日の長島の走りは優勝にも値するレースだったと私も思う。

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

DUNLOP Racing Team with YAHAGI|長島哲太

TN45|藤田哲弥

真弓 悟史 Satoshi Mayumi】1976 年三重県生まれ。鈴鹿サーキットの近くに住んでいたことから中学時代からレースに興味を持ち、自転車で通いながらレース写真を撮り始める。初カメラは『写ルンです・望遠』。フェンスに張り付き F1 を夢中で撮ったが、現像してみると道しか写っていなかった。 名古屋ビジュアルアーツ写真学科卒業。その後アルバイトでフィルム代などの費用を作り、レースの時はクルマで寝泊まりしながら全日本ロードレース選手権を2年間撮り続ける。撮りためた写真を雑誌社に持ち込み、 1999 年よりフリーのフォトグラファーに。現在はバイクや車の雑誌・WEBメディアを中心に活動。レースなど動きのある写真はもちろん、インタビュー撮影からファッションページまで幅広く撮影する。

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