ともに4度の世界チャンピオンを獲得

バレンティーノ・ロッシがヤマハの公式ブランドアンバサダーに!「ドクターから大使に昇進できてうれしい」

ヤマハは、ロードレース世界選手権(FIM Grand Prix World Championship)で9度のタイトルを獲得したレジェンドライダー、バレンティーノ・ロッシ選手と複数年のアンバサダー・サービス契約を締結し、ヤマハの公式ブランドアンバサダーに任命したと発表した。


●文:ヤングマシン編集部 ●写真:ヤマハ ●外部リンク:ヤマハ

GP125ccクラス×1回、GP250ccクラス×1回、GP500ccクラス×1回、MotoGPクラス6回のチャンピオンになった男

バレンティーノ・ロッシ選手がヤマハの公式ブランドアンバサダーに就任した。ヤマハと複数年のアンバサダー・サービス契約を締結したもので、2021年シーズンをもって引退した後もトレーニングやレジャーとしてヤマハのモーターサイクルに乗り続けてきたロッシ選手が、ヤマハとの協力関係で生み出すのか期待せずにはいられない。

ロッシ選手は、ロードレース世界選手権にフル参戦を始めてから2年目にあたる1997年にアプリリア RS125で125ccクラスの世界チャンピオンを獲得し、1999年には同じくアプリリアのRS250で、同じく参戦2年目の250ccクラスで世界チャンピオンに。翌年にはWGP500ccクラスへ昇格し、ホンダNSR500を駆って2年目の2001年に世界チャンピオンを獲得した。

すべてのクラスで参戦2年目にチャンピオンを獲得したあとは破竹の快進撃を見せ、最高峰クラスのマシンが4ストロークに切り替わった2002年にホンダRC211Vで連覇、翌2003年も同体制で盤石の王座防衛を見せた。

ヤマハに加わったのは2004年。戦闘力でライバル勢に劣るとされたYZR-M1で初めて出場した開幕戦南アフリカGPで勝利し、そのままチャンピオンをもぎ取ると、翌2005年、2008年、2009年と、ヤマハのライダーとして計4度の世界チャンピオンに輝いた。

その後もグランプリを象徴する選手としてMotoGPを支えながら、幾度となくチャンピオン獲得へと迫り続けた。愛称は「ドクター」で、本人はその由来を明らかにしていないというが、緻密なマシンコントロールや開発能力の高さから誰もが納得の『DOCTOR』として愛され続けている。

ヤマハ発動機 MS戦略部長 小野哲氏のコメント

「何よりもまず、この場を借りて、ロッシ選手がパートナーシップ継続に合意してくれたことに感謝の意を表したいと思います。当社は彼をブランド・アンバサダーとして迎えることを誇りに思いますが、彼自身からその希望が伝えられたことで、より一層、気持ちが高まっています。世界選手権9冠の選手から認められることはモーターサイクル・ブランドにとって最高の推薦となりますし、当社製品の品質や企業文化の証ともなります。当社はお客様に“感動”をお届けするために、常に努力を続けています。モーターサイクルレースのGOAT(Greatest Of All Time)であるロッシ選手が ヤマハ製のモーターサイクルを熱望していること、また当社との緊密なパートナーシップ締結を喜んでくれていることをうれしく思います。当社としては、トレーニングやレジャーを目的としたモーターサイクルで彼のニーズに応えるために、この契約を締結しました。ヤマハ発動機ブランドをより一層、強化するため、彼とともに仕事をする日を楽しみにしています。」

Monster Energy Yamaha MotoGP チーム代表兼ヤマハ・モーター・レーシング Srl マネジング・ディレクター リン・ジャービス氏のコメント

「ヤマハ発動機にとって素晴らしい瞬間であり、また、ロッシ選手が大成功をおさめたMotoGPを引退して以来、その存在を恋しく思っているであろうファンの皆様にとっても感動的な展開であると確信しています。ロッシ選手と YZR-M1 は特別な絆で結ばれていました。彼の加入によって私たちの MotoGPプログラムは完全に変化し、ロッシ選手とヤマハ発動機がほぼ同義語になるまでになったのです。私たちはともに多くの勝利、表彰台、そして4つのタイトルを獲得しました。そしてその裏側にもさまざまな感動の瞬間 があって、ハードワークだけでなく楽しい部分も含めてレースへの情熱を共有してきました。私たちはいつもロッシ選手を“家族”と思っていましたから、彼がヤマハ発動機のモーターサイクルを使い続けたい、ブランド・アンバサダーになりたいと表明したとき、私たちはすぐさま、それを実現すべく動きました。ロッシ選手が正式に私たちのアンバサダーになったことを、とてもうれしく思っています。」

バレンティーノ・ロッシ選手のコメント

「ヤマハ発動機との契約は、間違いなく大きな感動を与えてくれました。長年にわたって一緒に仕事をしてきたの で、とても自然な感覚です。 MotoGPを引退したあとも、私はトレーニングとモーターサイクルでのライディングを続けています。常に何らかの形でレースを続けていこうと思っていたのです。 MotoGP参戦中は契約の一部としてヤマハ発動機のモーターサイクルに乗っていましたが、引退後もヤマハ発動機のモーターサイクルを使い続けて楽しんでいます。契約が締結され、ヤマハ発動機と私が協力し合えるようになったことをうれしく思います。」

なお、ロッシ選手は本人のSNSで「“ドクター”から“大使”に 昇進できてとてもうれしい。ありがとうヤマハ。」とのメッセージを公開している。

バレンティーノ・ロッシ選手が残した記録

  • ヤマハ発動機で史上最も成功したライダー(ヤマハ発動機で56勝、2位46回、3位40回、273レースでポイント獲得)
  • グランプリで最も長く活躍したライダー(1996年にデビューし2021年に引退。合計26シーズンのなかで432レースに出場、そのうち372回は最高峰クラス)
  • MotoGPで最も多くのシーズンをヤマハ発動機で戦った(16シーズン)
  • MotoGPで最も多くの表彰台をヤマハ発動機にもたらした(142回)
  • MotoGPで最も多くの優勝をヤマハ発動機で果たした(56勝)
  • 230回連続で完走(1996年マレ ーシアGPでのデビューから2010年のムジェロまで1度も欠場なし)
  • 総合および最高峰クラスで最多出場の記録を保持(全クラスで合計432レースに出場、そのうち372回が最高峰クラス、そのうち273回はヤマハ発動機で出場)
  • 異なるメーカーで最高峰クラスの連続優勝を達成した最初のライダー(2004シーズン開幕戦の南アフリカGPにて達成)
  • 最高峰クラスの1シーズンに、ヤマハ発動機のライダーとして最も多くの優勝を獲得(2005年に11勝)
  • 最高峰クラスで199回の表彰台
  • 全クラスの合計で235回の表彰台
  • ラリー・レースにも優れた唯一のグランプリ・ライダー(Monza Rally Showで7勝、アブダビのYas Marina Circuitで2019年Gulf 12 HoursのGTE Am class優勝)
  • ヤマハ発動機のグランプリ520勝のうち11%を獲得し最も貢献したライダー520勝中56勝)
  • グランプリ出場とチームオーナーを同時に行っ た唯一のライダー
  • 出場した全クラス(125cc、250cc、500cc、MotoGP)を通じて合計6357ポイントを獲得

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