どうやってバイクを楽しみ続けてもらうか

世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.70「僕がレーシングスクールをやらない理由」

1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第70回は、盛り上がりを見せつつあるバイク業界についてなど。


TEXT: Go TAKAHASHI PHOTO: Hiroyuki ORIHARA

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バイクを介していろんな方と知り合うのが楽しくて仕方がない

ふと気付けばもう12月。2021年もあと少しとなってしまいました。僕もそろそろモナコに戻りますが、いや~、今年はなんだかめちゃくちゃ忙しかったですね! 趣味のゴルフや釣りにほとんど行けませんでした……。

相変わらずバイクにはたくさん乗らせてもらいました。イベント、サーキット走行会、スクール、ツーリングなどなど……。でも、僕の場合はありがたいことにほとんどが仕事。今年、自分のバイクでの完全プライベートソロツーリングは1回しか行けませんでした。

去年はやはりコロナ禍の影響が大きかったですね。いろいろなイベントが軒並み中止や延期になってしまい、その分、自分のプライベートな時間が多かったように思います。今年も春先まではキャンセルが多かったんですが、秋以降はだいぶコロナ禍以前の勢いが戻ってきているように感じます。

バイク業界は今、いい波に乗っていますよね。密を避けられる移動手段として注目を集めたのをきっかけに、今まで「乗ってみたかったけどチャンスがなかった」という人たちがたくさんバイクに乗り始めています。コロナ禍で時間ができたことが、思わぬプラスに働いているようです。外食や旅行ができなくなって余ったお金で、バイク趣味を楽しもう、という人も多いみたいです。

先日も教習所が大混雑なんていうニュースが流れていましたし、生産が思うように進まず新車が手に入りにくいこともあって中古車が大人気。バイクショップやカスタムパーツメーカーは今までにないほどの忙しさで、用品やギアもよく売れている、という話を耳にします。

せっかく盛り上がっているバイク業界ですから、どうにかこのブームを定着させたいですね。バイクに興味を持ってくれている人が増え、実際に乗り始めている人が増えている中、どうやってその興味や関心を持続させるか、業界を挙げて考えていく必要があると思います。

僕個人の意見としては、「バイクを売りっぱなしにしない」ということがとても大切ではないか、と。かつてのように、「バイクだけが趣味」というコアな人はだいぶ減りました。いろんな楽しみがある中でのバイクです。だからこそ、買ったバイクでいかに楽しみ続けてもらうかを考えなくちゃいけない。いろんな遊び方を提案することが絶対に必要だと思います。

ドゥカティ ライディング アカデミー(DRE)では、一般ライダーを対象にスキルアップのお手伝い。

元レーシングライダーという僕の立場からすると、スキルアップの機会をできるだけ設けることも大事だと思います。バイクは1回でも転んでしまうと「やっぱり危ない」「やめた方がいい」となってしまいます。練習の場であるサーキットならまだしも、公道での転倒は「事故」ですからね……。これを防ぐためにも、安全にライディングできるよう講習会やスクールをもっともっと増やした方がいいのではないでしょうか。

僕自身もサーキット走行会に参加させてもらったり、自分のスクールを開催したりして、できるだけスキルアップのお手伝いをしているつもりです。でも、個人的にはバイク乗りの皆さんと直接触れ合えるのが楽しいんですよね(笑)。まだ現役時代の「クールデビル」の印象が強いようですが、僕はバイク談義が大好き。バイクを介していろんな方たちとコミュニケーションを取るのが楽しくて仕方ありません。バイクを中心にして人間関係の輪が広がるって、素晴らしいことだと思うんです。

本気で上をめざすなら、話は別

僕は元レーシングライダーですが、いわゆるレーシングスクールはやっていません。大人の趣味として楽しんでいる方たち向けのものだけ。これには明確な理由があります。ひとつは、すでに素晴らしいスクールがいくつもあること。そしてもうひとつは、本気で上をめざすなら、本気でプロになるつもりなら、人に頼っていてはダメだと思っているからです。

自分の経験談になってしまいますが、僕はレースに関して親を含めて誰かに甘えたことがありません。もちろん免許がない子供の頃は、親に運転してもらわなければサーキットに行くことができませんし、レースはお金がかかりますから、いろんな形でサポートはしてもらいました。でも、ことメンタル的な部分で甘えたことはない、と断言できます。

1987年筑波選手権 第1戦(ノービス125)にて。この年と翌1988年はSP忠男に所属し、’88年はジュニア125で全戦優勝してヤマハワークス入りを決めた。 Photo: YM Archives

いつの頃からか分かりませんが、ファクトリー入りする前の子供の頃から、自分の中には「レース=仕事」という意識があったのだと思います。だからこそ、自分のことは自分で解決しなきゃ、と考えていました。自分で言うのもおかしな話ですが、若いうちから速かったので(笑)、まわりからはずいぶん強く当たられていました。そりゃあ大人たちにしてみれば、「ちっこい子供のくせに速くて生意気だ」となりますよね。はっきり言っていじめのようなこともありました。

でも、そういうことのひとつひとつを自分でしっかり受け止めて、自分の力で解決していきました。レースはチームスポーツだと思っていますが、決勝がスタートしてしまえば完全にひとり。タイヤがタレてしまっても、何かの原因でライバルについて行けなくなっても、自分の力でどうにかして、勝利をもぎ取っていくしかありません。誰も助けてくれないんです。

プロのレーシングライダーをめざすなら、周囲の手厚いサポートは弊害にしかならない、というのが僕の考え。サポートがあればあるほど、それを言い訳にしてしまう、という面もあるからです。自分だけの力で道を切り拓いていけば、すべては自己責任。うまく行かない時、誰のせいにもできません。そういう追い詰められた状況に自分を置くことで、戦ううえで必要な強さを身に付けていくんです。

今はレースの低年齢化が進んでいて、どうしても親や周囲のサポートが必要です。でも、支えすぎは本人のためにならない。プロをめざすなら、親は子離れをしないといけないし、子は親離れしないといけないんです。年齢が若くても、サーキットが職場になるわけです。会社に親が着いてくるビジネスパーソンはいませんよね。そういうことだと僕は思います。

僕の親をサーキットで見たという人は、ほとんどいないはずです。特にヤマハファクトリー入りして完全にプロになってからは、親には「サーキットに来ないで」とハッキリ言ってました。そのせいで親の方がひねくれてたようですが(笑)。親の支えがなければ、レースはできなかった。今も感謝しています。でも、それと甘えることとは別。公私できっぱりと線を引けたのは、自分の強みになったと思うし、それがチャンピオン獲得にもつながったと思っています。

……と、さんざん言っておいてナンですが、親子関係はさまざまだし、レースへの取り組み方もさまざま。僕は自分の経験からこんな風に考えていますが、他の人の考え方を否定するつもりはまったくありません。マルク・マルケスのようにMotoGPライダーでもピットにお父さんがいて熱く盛り上がってる、なんてライダーもいますしね。いろいろなパターンがあります。

ただ、世界で通用するような精神的な強さを身に付けようと思ったら、どこかで強さを持たないといけない。僕は、子供のうちから人に甘えすぎることなく自分の力で物事を解決していくことが、特に日本人ライダーには大事なことじゃないかと思っています。

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