第47回マシン・オブ・ザ・イヤー2019

僕の「ちょっと」を理解してもらうには……

世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.3「『オレがオレが!』に立ち向かうために必要だったこと」

  • 2019/2/15

1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第3回は、ヨーロッパ人のメンタリティが育つ環境と、その中で勝負する日本人について。

TEXT:Go TAKAHASHI

できないことよりも、自分の強みで勝負する

外国人ライダーたちと接していて感じるのは、とにかくワイルドだってことです。大ざっぱというか豪快というか、細かいことは気にしない。まだ僕が全日本ライダーだった頃、初めて世界グランプリを視察した時、コーナー立ち上がりでアウト側にある縁石のさらに外側を走るマックス・ビアッジを見て、ドギモを抜かれたことをよく覚えています。「これは敵わないぞ」と。でも、その時に「こんな世界があったのか!」と逆に燃えて、グランプリで戦いたいと思うようになったんですけどね(笑)。

いざ自分がGPライダーになってからも、そういう大胆さは自分にはありませんでした。そもそも縁石のさらに外側を走るなんて、僕には怖くてできない(笑)。だったら、イン側をクルッと回ろうと思いました。自分はミニバイクの頃からそうやって走っていたから、それしかできないと思っていたし、無理なことをやっても仕方ありませんよね。だから自分の強みで勝負することしか考えなかった。

セッティングも同じです。僕は外国人ライダーよりもセッティングを細かく追求するタイプだったし、それが強みだと信じてました。ところが、言葉の壁が立ちはだかるんですね……。ヤマハにいた時は日本語が通じたので問題ありませんでしたが、アプリリアではもちろん日本語は通じませんでした。これには困った!

カタコトのイタリア語でコミュニケーションを取るためにどうしたかって、とにかくチームスタッフと過ごす時間を長く取りました。サーキットに置いたモーターホームを朝8時頃出ると、帰るのは夜中の0時過ぎ。ずーっとピットにいて、データを見直したりセッティングやタイヤチョイスについて話し合っていました。

「今のサスセッティングはこうだから、別の方向と、さらにその逆方向と、全部で3通り用意しよう」とか、「このセッティングの長所を少しでも多く残したまま、短所を消していこう」とか、「サスの沈み込みが早すぎるからバルビングをちょっと調整しよう」とか、カタコトで伝えるのはとても難しいことでした。

「ちょっと」と言っても、例えばそれがイニシャルを1/4回転することなのか、2回転することなのか、なかなか分かってもらえません。外国人メカニックたちの「ちょっと」は、やっぱり結構大ざっぱなんです。逆に、セッティングの細かいところまでこだわれるのが僕の強み、僕の武器だと思っていたので、ここは譲れない。自分の「ちょっと」のニュアンスをイタリア人スタッフに分かってもらうために、とにかく時間をかけて話をして、自分の要求を理解してもらう必要がありました。

ちなみに僕は今、イタリア語をそこそこ話せますが、勉強したことはありません。「フロントはアンテリオーレ、リヤはポステリオーレ」といった具合に、単語からひとつひとつ覚えていきました。メカニックたちとなるべく一緒にご飯も食べるようにしたし、家に遊びにも行きました。そうやってイタリア語を少しずつ覚え、コミュニケーションを深めながら、僕の「ちょっと」を理解してもらうようにしたんです。勉強するよりよっぽど効率いいでしょう?(笑)「目的を達成するためには、今、何をするべきか」ってことはいつも考えてましたね。

そういえば現役当時、僕はよく「近寄りがたい雰囲気」なんて言われてたけど、あれはメディアの人たちがそう感じただけじゃないかな。正直言って、取材に対応している時間があるなら、その分メカニックたちと過ごしたかったから。もちろんチームとの間で取り決められていた取材には応じましたが、必要以上のことは一切しませんでした。今のモトGPライダーたちは、当時の僕よりよっぽどキチンとメディア対応していて、立派だなと思います。

ところで、ヨーロッパで暮らしていると、日本では考えられないようなワイルドな出来事にしょっちゅう出くわします。それは、当たり前のように行われる横入り! いわゆる割り込みですね。これはもう、どんな場面でも日常茶飯事です。僕なんか、毎日いろんなシーンでブチ切れそうになってます(笑)。

驚いたのは、教育自体が横入りを推奨してるんじゃないかってことです。実際はそんなことないと思いたい……けど、こんな体験も……。娘たちがスキースクールに行った時のことですが、他のスクールの先生が自分の生徒たちに横入りさせてるんですよ! もう驚きを通り越して呆れました。まぁこれはかなり極端な例でしょうが、日本とは違う文化だってことは確かです。

今はもうモナコ暮らしも長いので、さすがに横入りされることにも慣れて来つつあるけど、自分がそうしようとは思いません。日本人としての美徳が許さない(笑)。でもヨーロッパで生まれ育ったら、こういう強引さの中を生き抜かなくちゃいけないんです。もちろんレーシングライダーも同じ。「オレがオレが!」という連中がサーキットに勢揃いして、日常生活よりもはるかに強烈な勢いでガツガツ来るわけですから、これに立ち向かう日本人ライダーは本当に大変です。

このコラムの第1回で紹介した、カピロッシが僕に突っ込んできたエピソードも、’18年サンマリノGPで物議を醸したモト2のロマーノ・フェナティの「ブレーキレバー掴み事件」も絶対に許されないことだけど、勝負ごとに対してガツガツしているヨーロッパではいつ起きてもおかしくない。レーシングライダーの多くが「絶対に勝つ!」というガッツの持ち主であることは間違いありません。

カピロッシやフェナティは完全に行き過ぎ・やり過ぎでどう考えてもアウトです。でも、勝とう、前に出ようという根性があったことは確かです。しつこいようですが彼らのやり方が正しいだなんて僕は思わないけど、これぐらいの根性がなければ世界のトップに立つことはできません。

じゃあ、そんな根性のない僕はどうしたかって? 横入り文化ではない日本で生まれ育った僕は、とにかく自分のやり方を貫くことで勝とうと思ったんです。自分にできないことをやっても意味がないですからね。クルッとコンパクトに旋回すること、セッティングを細かく突き詰めること、そして、クリーンに戦うこと──。

ガツガツとした「横入り文化」の中でも、自分のやり方を曲げない。自分の得意を伸ばす。勝つために必要なことは、どんなことでもとことんやる。そして、必要じゃないことは、何もしない(笑)。そうやって僕は世界チャンピオンになりました。

相手に関わらず自分のやり方を貫き、やるべきことをとことんやるって、実はとても大事なことなんですよね。外国人ライダーに得意なところがあって、日本人である自分にそれができないなら、別の強みを見つければいいんです。他の人と同じである必要はまったくない。自分だけの武器を身に付けて、それを磨き上げることが何よりも大切じゃないかな、と僕は思います。

【‘87筑波選手権 第1戦(ノービス125)】ミニバイクの頃から“そうやって”走っていたという原田さん。’87、’88年とSP忠男に所属し、’88年にはジュニア125で全戦優勝を遂げてヤマハワークス入りを決めた。目玉ヘルメットで走る原田さんの写真は稀少である。

『世界GP王者・原田哲也のバイクトーク』は、毎月1日・15日にお届けします!

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原田哲也

原田哲也

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1993年ロードレース世界選手権(WGP)250の世界チャンピオン。1992年に全日本で同クラスのチャンピオンを獲得し、翌年に初挑戦のWGP250で戴冠した。現役当時のニックネームは「クールデビル」。'02年に現役を引退し、現在はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。