王様・ロッシを前にルールが変わる!?

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.41「ワンメイク化の脅し文句に翻弄される日々」

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、そのタイヤ開発やレースの舞台裏を振り返ります。2007年後半戦も、ケーシー・ストーナー選手をはじめとするブリヂストンは絶好調。しかしそれが逆に、悩みの種を次々に生み出していました。


TEXT:Toru TAMIYA

バレンティーノ・ロッシ選手の地元で……

2007年シーズンは、約1ヵ月のサマーブレイクを挟んで、8月中旬の第12戦チェコGPで再開。ブリヂストンとしては、舞台裏でヤマハとホンダのワークスチームから来季のタイヤ供給をリクエストされ、難しい判断を迫られている状況でしたが、レースではドゥカティワークスチームのケーシー・ストーナー選手が優勝、スズキワークスチームのジョン・ホプキンス選手が自己ベストリザルトとなる2位に入賞して、強さを発揮していました。3位と4位はホンダワークス勢に譲ったのですが、5位と6位はブリヂストン勢が獲得し、ヤマハのバレンティーノ・ロッシ選手は7位……。ロッシ選手はさらにミシュランタイヤへの不満が高まったことでしょう。

続く第13戦は、1993年以来のロードレース世界選手権復帰となったミサノサーキット(現在はミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリの名称)でのサンマリノGP。コースは、再びMotoGPを開催するため前年に大規模な改修が施され、周回方向まで逆になったので、完全に新しいコースでのレースという状況でした。

そのため、事前にブリヂストンの技術スタッフがコースを確認しに訪ねて、レーザー計測による路面形状分析に基づいたシミュレーションなども実施。とはいえ、それらのデータだけでどんなスペックのタイヤが機能するのか判断するのは非常に難しく、もちろん現地確認しないよりはるかにいいのですが、結局のところ技術者の“勘”に頼る部分が大きいというのが正直なところでした。

とはいえ不安いっぱいで臨んだこのレースでも、グリップや耐久性にはこれといった問題はありませんでした。最大のライバルであるミシュラン勢と比べて……という評価は、ホンダワークスの両ライダーがスタート直後の2コーナーで転倒に巻き込まれ、ロッシ選手は序盤にマシントラブルでリタイヤしてしまったことで、まるでわからずじまい。結果的にブリヂストン勢は、優勝のストーナー選手を筆頭に5位までを独占したのですが、ライバル勢のスター選手が早々にいなくなり、とくにロッシ選手のリタイヤで地元ファンが静まり返っている状況だったので、素直に喜べなかったことを覚えています。

2007年第13戦サンマリノGPで優勝したケーシー・ストーナー選手。

しかもこのサンマリノGPでは、レースウィーク中に何度もMotoGPを運営するドルナスポーツとミーティングを重ねていました。このレースは、決勝日が9月2日。ブリヂストン本社では、8月中には「来季もヤマハワークスとHRCにはタイヤを供給しない」という結論に至っていました。一方でドルナは、カルメロ・エスペレータ会長みずからが「ヤマハやホンダにも供給してほしい」との発言を繰り返していましたが、それに加えてロッシ選手が「1大会で使用できるタイヤ本数が少ないから、タイヤ規制の内容を変更すべき」と頻繁にコメントしていたことを受けて、タイヤメーカーに協議を求めてきました。

そこで、ダンロップも含めた3社で当時のフロント14本、リヤ17本という本数が妥当かどうか協議すると、「使用本数の増加は必要なし」との結論。それをドルナに伝えると、「それではダメだ。このままタイヤが勝敗を左右するのはおもしろくないから、ワンメイクにするぞ」と……。結局、それぞれの思惑が入り乱れて結論が出ないため、この協議はその後のポルトガルGP、そして日本GPまでずっと続くことになりました。

ポルトガルGPではロッシとペドロサに続く3位で王座にリーチ!

これは前々回のコラムでも触れましたが、ミシュラン勢はリヤタイヤの場合だとコンパウンドが異なる5種類を3本ずつ登録してレースウィークを戦っていたのですが(残り2本は予選用)、3本だと決勝に向けたセッティングができないから増やしたい……と、ロッシ選手は考えたわけです。しかし、逆に本数増加でさらにブリヂストンが有利になるのではないかと推測する人もいるわけです。もちろん、この年に初めて導入された新たな規制なので、不具合があれば変更していくのは当然ですが、ある特定のライダーやチームやメーカーに有利となるような変更はあり得ません。ですから「使用本数の増加は必要なし」という、ミシュランも含めたタイヤメーカー全社の結論となるわけですが、ドルナあるいはエスペレータ会長としては、MotoGPのビッグスターで人気を支えていたロッシ選手の望むことは、なるべく叶えたいという立場だったのです。

また同じ時期、ダンロップが来季はMotoGPクラスの活動を継続しないのではないかというウワサもあり、それも心配事のひとつでした。私としては、3社で競い合うというのがもっとも理想的な状態。ミシュランはコンペティショでやりたいと言っていましたから、タイヤメーカー側の判断でワンメイクになってしまう心配はしていませんでしたが、3社による共存共栄競合というのはどんな世界でも難しいのかも……と思いはじめていました。タイヤ規制には「表彰台を獲得していないメーカーにはタイヤ規制を適用しない」という項目を入れていたので、ダンロップにはこの年はタイヤ規制が施行されなかったのですが、それでもユーザーが少なく厳しい状況でした。

来季に向けたタイヤに関するゴタゴタは、解決するどころかさらに問題が増えているような状況でしたが、ストーナー選手の好調はなおも続き、サンマリノGPの2週間後に開催された第14戦ポルトガルGPでも、優勝をロッシ選手、2位をホンダワークスのダニ・ペドロサ選手に譲ったものの、ロッシ選手と約1.5秒差の3位に入賞。ストーナー選手は2番手ロッシ選手と83点差のランキングトップで次戦の日本GPを迎えることになり、シリーズタイトルにリーチをかけることになりました。

勢いを増す若手だったペドロサ選手と、王様ロッシ選手。ストーナー選手は総合チャンピオンを見据えて、やや距離を置く?

そういえば、過去に私が書いた原稿を読み返していたら、「第12戦チェコGPの後にブルノで優勝パーティを実施して、そこでかなり酔っぱらった私は、ホテルに戻ってベッドに入ったら昔からの苦労してきた記憶が走馬灯のように浮かび、思わず涙をこぼしてしまった……」というようなことが書いてありました。この時点で、6戦を残してランキング2番手と60点差。レースは何があるかわからないということは百も承知ですが、チェコGP終了時点でタイトル獲得を確信したのだと思います。125ccクラスでロードレース世界選手権に挑戦しはじめたのが1991年。それから13年間やっても125ccですらチャンピオンになることはできなかったわけで、最高峰クラスのタイトル獲得が目前に迫ったこの時期に、感慨深くなるなというほうがムリだったかもしれません。


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